見てきました                   猷々自的

愛知県2例目の製鉄炉遺跡

 愛知県春日井市西山町の西山製鉄遺跡で、2004年3月27日、現地説明会があった。製鉄炉跡の 発見は、近くの狩山戸遺跡(小牧市)に続いて愛知県内では2例目、という。この日は、雲がうっすらかかる 晴天で、地元の人たちを中心に100人近くが集まった。

 発掘された製鉄炉の跡は、造成工事に伴い、春日井市教委が2月末に確認調査をした。市教委によると、 操業が終わった段階での大きさは、幅約70センチ、長さは、熱を強く受けて青く焼き締まった還元硬化面から 約2メートルと推定。炉跡の両端で、不純物の鉄滓が捨てられた排滓坑が検出された。

 この遺跡は、春日井市の北端、小牧市との境にある。標高は約43メートルで、小牧市から続く篠岡丘陵の 末端部分に位置し、炉は丘陵斜面の等高線に平行して設けられていた。また、市教委担当者は 「製鉄炉は湿気を帯びるといけないので、炉の底に石を置いて、空焚きをし、その上に砂を入れている状態が分かる」と 付け加えた。

 北側に平安時代の灰釉、緑釉陶器が多く出る100基ほど窯跡が確認されている小牧市の篠岡古窯跡群、 平安時代を中心とした桃山古窯跡群、東側には6世紀から7世紀を中心とした下原古窯跡群あり、一帯は奈良、 平安時代にかけて窯がたくさん造られ、一大窯業生産地を形成していたが、鉄の生産も行われたことが明らかに なった、という。

 市教委担当者は、炉跡の上に土とか粘土で作った浴槽のような四角い長方形の炉があった、と想定。 そこへ製鉄原料と炭を入れて燃やすと、化学反応が起き、地金となる鉄成分が炉の下にたまる。 炉は操業が終わると壊こわして、地金を取り出すが、西山製鉄炉跡では、きれいな形で基礎の部分が残っている、 と説明した。

 現地では、以前から鉄滓や炉壁などが拾え、昭和54、55年の「郷土誌かすがい」で報告されている。 字名が金屋浦で、155号線沿いに金屋薬師があり、地名からも鉄の生産が考えられていた、という。 製鉄の原料について市教委は、北約800メートルに中央自動車道と東名高速道路が重なる小牧ジャンクションが あるが、その南側で、砂鉄が採れることなどから、砂鉄を使ったことが想定できる、とした。

 操業した時代について、市教委担当者は「製鉄遺跡は窯跡と違って年代の基準となる土器が出てこない。 小牧の狩山戸遺跡も平安時代の土器のかけらが1片出ているだけ。西山製鉄遺跡からも平安時代の土器の破片が 見つかった」と話し、平安時代の炉跡の可能性が大きいとの見解を示した。
 【写真は平安時代に操業したと推定される製鉄炉跡=愛知県春日井市西山町で】


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