見てきました                   猷々自的

大きな力もつ人が住む

 岐阜県関市大杉・西田原地区にある大杉遺跡の第16次調査の現地説明会が、3月18日 午後1時30分から開かれた。この日は、朝から曇り空、説明会の途中から雨がぱらつくあいにくの 天気だったが、50人近くが訪れた。

 関市教委は、平成11(1999)年から発掘調査を続けており、平成16年度までに、弥生時代、古墳時代、 古代の集落跡が検出されている。奈良時代後半の創建と考えられる大杉廃寺を遺跡の範囲内に含み、第16次 調査で縄文時代の掘立柱建物跡が見つかったことから、縄文から奈良時代にかけて集落が形成されていた、と 考えられている。

 平成17年度は、県営畑地帯総合事業(第13次)、関市市民農園造成事業(第15次)、民間の宅地造成事業 (第16次)に伴う発掘調査が行われている。

 第16次調査で注目されるのは、直径30センチほどの柱を使ったと思われる6個の柱穴を持つ掘立柱建物跡を 検出した。市教委では、柱穴から出た土器片から縄文中期(4000〜5000年前)と推定している。脇に径の 小さい柱跡も検出されており、建て替えられたようだという。建物の用途は不明としている。

 このほか、縄文中期と見られる掘立柱建物跡の東側で、古墳時代の田の字型に9個の柱穴が掘られた掘立柱 建物跡が見つかった。総柱建物跡で、倉庫だった可能性が高いという。古墳時代の竪穴住居跡は、いくつも見つ かっているが、掘立柱建物跡は初めて。

 また、古墳時代の住居跡の上層部から破鏡が見つかった。破鏡の破片は、外区と内区を一部含む長さ 約8センチ、幅約2センチ。八賀晋・三重大名誉教授の鑑定によると、中国製の後漢時代(AD25−220) の内行花文鏡の一部で、復元径は約12センチという。

 集落から破鏡が出土する例は東海地方では少なく、関市では砂行(すぎょう)遺跡についで2例目、岐阜県下 でも2例目。中国鏡は、特に大事にされたといわれることから、関市教委では「集落に大きな力を持った人がいた であろう」と話す。縄文期の住居跡が見つからないのは削平されたようだ、という。 
 【写真は岐阜県関市・大杉遺跡の16次調査で見つかった内行花文鏡の破片】


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