弥生時代末から古墳時代後期にかけての住居跡が見つかった愛知県小牧市大字北外山の
内方前遺跡で2002年11月2日に開かれた、第2次発掘調査現地説明会に行ってきました。
地元の人を中心に、目算で200人ほどが集まりました。中小都市の特に注目される発見もない遺跡の
現地説明会としては盛況といえるでしょう。
東京で木枯らし1号が吹いたという寒さの中でした。ここも北西の風が吹く完全な冬型。11月初めの
気候ではありません。それで、寒さで頭の中も凍りつき、いろいろ質問しようと思ったのですが、
小牧市教委による一通りの説明を聞いているうちに意欲がなくなりました。年です。集中力が続きません。
それでも寒い、寒いと思いながら、同教委による説明のあと、開放された遺跡の中を歩いてまわりました。
住居跡脇の穴の前では、誘い合わせてきた中年の女性数人が、「これ、私が掘ったの」「深いねえ」
「掘るの大変だったでしょ」などと話す姿がみられました。なかなか、いい光景だと感じました。
この遺跡は、小牧市の市街地から南に1.5キロメートルほど離れた田畑と住宅・店舗の混在地にあります。
県道の名古屋・犬山線沿いで、名古屋に近いですが、周辺に自然は残っていて、郊外といった感じのところです。
私が、これまでに説明を聞くために現地を訪れた遺跡の中では最も住家に近いところにありました。
平成元年度に新発見された遺跡で、小牧市教委は土地区画整理事業に伴う平成11年度の範囲確認調査で、
古墳時代から中世にかけての遺構、遺物を発見しました。これを受けて、同市教委は平成13年度の
約700平方メートルを対象とした第1次発掘調査に続いて、平成14年度に第2次調査として
約1065平方メートルを発掘しました。
小牧市教委の資料によると、第2次発掘調査では、古墳時代の竪穴住居跡3、溝、不明遺跡、さらに奈良〜平安時代
(古代)の掘立て柱建物跡2、ほかに鎌倉〜室町時代(中世)、戦国時代の溝と近世の井戸などが
発見されました。竪穴住居跡は1辺が6〜7メートルの方形。貯蔵穴も見つかり、底から土師器の壷などが
出土しました。
古墳時代の溝は長さ13.5メートル、幅75〜150センチ、深さが25〜55センチで、集落の北限に
あり、小牧市教委は区画溝と見ています。不明遺構は南辺が14メートルあることが分かりましたが、
全体規模は不明。上層部から土師器や須恵器、下層部で多量の礫の間から土師器の高杯や壷が見つかりました。
掘立て柱建物跡は、1ヵ所が4.5メートル×6メートルと、もう1ヵ所が2メートル×4.2メートルの
大きさ。戦国時代の溝は、多量の川原石で埋められ、それに混じって土師器の羽釜、施釉陶器の天目茶碗などが
見つかりました。井戸は約1メートルの円形で、深さが約3.4メートル。底から志野丸皿が出土しました。
小牧市教委は1次、2次調査のまとめとして、弥生時代末から古墳時代後期にかけての竪穴住居跡14を
確認。内訳は弥生時代末〜古墳時代中期(3世紀前半〜4世紀後半)が10、古墳時代後期(7世紀代)2軒、
時期不明2で、これにより、古墳時代には空白期間があるものの遺跡が発見された地域で
集落が営まれていた、と結論付けました。また、一つの遺跡としては竪穴住居の検出数が小牧市内では
最も多い、としています。
さらに、@発掘区域の西部分では、中世の遺構が廃絶された後に土が搬入されて平地が作られた
A現在の溝と重なって中世〜戦国時代の溝が築かれているところがあることから、現在につながる開発が
中世〜戦国に行われたと考えられる−との見解を出しています。(2002年11月7日作成)