見てきました                   猷々自的

豊川市の八幡砦跡

 愛知県豊川市教委による八幡砦発掘調査の現地説明会が、2003年8月24日に開かれ ました。午前10時と午後2時の2回説明がありましたが、私は午前中の説明会に参加しました。新聞各紙で 報道されたようで、今夏一番とも言われる暑さにもかかわらず、県下各地から200人近くが集まり、盛況でした。

 同市教委によると、八幡砦は、今川氏が永禄3(1560)年の桶狭間の戦いで敗走後、東三河進出を目指す 松平氏に対抗するため、佐脇砦(同県御津町)とともに築いた前線基地の一つ。八幡砦に板倉重定、佐脇砦に 三浦義就が配されました。永禄5年に両砦で大きな戦いがあり、今川勢は、いったんは松平勢を撃退したものの、 砦は陥落。1−2年しか持続しなかった短命な砦というということが文献から分かるそうです。

 砦の規模は、一辺が100メートルのほぼ正方形。土地区画整理事業に伴う発掘調査は、平成10年度から 進められています。平成15年度の今回調査分は3,064平方メートル。過去の調査を含めると、 総面積10,000平方メートルのうち約6,000平方メートルの発掘が終わった、といいます。

 土塁は、東と西側は削平されていて、西側と北側で現存、高低差は6、7メートル。北西隅の土塁上で6個の 柱穴が見つかり、物見台跡と見られます。2個所で断ち割り調査の結果、土を突き固める版築手法は認められず、 積み方が荒く、市教委では、短期間で造らなければならなかった当時の緊迫した状況がうかがわれる、としています。

 堀は今回見つかったのは1ヵ所ですが、これまでの調査で、東側全面に堀が掘られていたことが分かっています。 幅は5、6メートルありますが、深さは最大で約2メートルと浅く、敵を防ぐ効果は小さく、ここからも 急場しのぎに構築した様子がうかがわれる、いいます。堀の中に砦内への出入り口と見られる土橋状の遺構も 見つかりました。

 砦の建物遺構として、今回の調査区域から4棟分の掘っ立て柱跡が見つかりました。これまでの調査分と 合わせると、11棟分が検出されたわけですが、いずれも小規模で、主となる建物は、未発掘地点に眠っている、 と同市教委では見ています。他に直径約1.6メートル、深さ不明の井戸跡などが発見されました。

 また、今回の調査区域から、縄文時代の焼成土坑が3基確認されました。同市教委の説明では、 過去の発掘調査でも同じような土坑が見つかったが、時期が特定できなかった。今回1ヵ所から縄文土器片が 見つかり、縄文時代の焼成土坑と分かった、とのことです。

 さらに、縄文時代の遺構として、過去に落とし穴状の遺構も発見されていいることから、同市教委は「調査 区域一帯は、縄文時代は狩り場であった」との見解を出しました。  【写真は出土した八幡砦の土塁】(2003年9月3日作成)


©2002-2003 Yuusuke Niinomi

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