岐阜県養老町橋爪にある象鼻山古墳群の第4次発掘調査現地説明会が、2007年8月
25日午後1時過ぎからに開かれ、目算で100人ほどが参加した。
養老町教委によると、象鼻山古墳群は、南宮山系の一つに立地し、発掘調査された前方後方墳である1号
古墳を含む約70基からなり、依存状態は良好という。
平成16年度に始まった第1次から第3次で、3号墳と8号古墳の範囲を確認する発掘調査がされた。
この結果、3号墳は自然地形や堀によって方形に区画された壇の上に円丘を設けた構造であることが分かった。
また8号古墳は円墳の可能性が高く、出土土器(廻間T式期0段階)から2世紀中ごろの築造と想定された。
3号墳については、築造時期を直接示す遺物の出土がなく、墳墓であるのか、象徴的な施設だったのかを
明らかにすることができず、町教委では、上円下方壇として、古墳と区別している。
第4次発掘調査は、7月18日から9月7日の日程で、象鼻山古墳群の中で最も大きい方墳と考えられる
4号古墳の範囲と築造時期を確認するとともに、4号古墳の北側に残された平坦部、4号古墳に伸びる上円
下方壇と名づけた3号墳を分断する断層崖を含む地形の調査も対象にした、としている。
この結果、4号古墳の規模は、東西約26メートル、南北約21メートルで、正方形に近い長方形の墳丘
であることが確認され、築造に当たっては範囲を決めた後、岩盤あるいはその付近まで掘削し、周囲を溝と
礫積みで区画した後、周囲から土を盛り上げていく工法が採られた、という。
4号古墳は、盛り土から2世紀前半ころ(山中U式期後半)、2世紀後半ころ(廻間T式期)の土器が出土、
2世紀後半ごろの築造の可能性が高くなった。さらに、3号墳を分断する断層崖が、4号古墳を分断していない
ことから、3号墳の方が4号古墳より早くできたと考えられる、と説明。
また、4号古墳北側の平坦部は、岩盤あるいはその近くまで掘削した後、石を混ぜた土で造成。この平坦部が、
4号古墳の築造によって破壊され、3号墳を分断し、4号古墳を分断していない断層崖によって分断されている
ことから、平坦部は3号墳の築造に伴って造成された可能性が高い、との判断を示した。
養老町教委は、第4次までの発掘調査の結果、象鼻山古墳群は、3号墳、8号古墳、4号古墳、1号古墳の
順に築造された、推定した。
【写真は礫積みが出土した4号古墳範囲確認のトレンチ=岐阜県養老町の象鼻山古墳群で】