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Artist

FRANCO ET L'OK JAZZ

Title

1967/1968


1967/1968
Japanese Title 国内未発売
Date 1967 /1968
Label AFRICAN/SONODISC CD 36518(FR)
CD Release 1992
Rating ★★★★★
Availability


Review

 67、68年は、O.K.ジャズにとってビジネスの面では低迷期だったが、音楽的な充実度では最高潮に達した時期であった。BOMA BANGOから発売されたシングルを中心にまとめたこの編集盤は、そんなかれらの集大成であり最高傑作の1枚。
 全13曲中、フランコの手によるものが9曲と大半をしめ、残りはヴィッキー、シマロ、ムジョス、ジョジョが各1曲という構成。

 なによりもまず歌がいい。
 O.K.ジャズは70年代もなかばを過ぎるころには、LP時代を迎えて1曲の演奏時間が10分をこえることもザラになってくる。そうなると、興味の中心はゆったりした前半のヴォーカル・パートよりも、めくるめくギターワークが満喫できる後半のダンス・パート(セベン)に移ってしまう。いわば、前半のヴォーカル・パートは最後にイクための長い前戯のようになってしまうのだ。

 「女性はクライマックスにいたるまでのプロセスを重視する」ようなことがHOW TO SEXものにはかならず載っていて、血気盛んだったわたしは、これを真に受けて「義務だ、義務だ」と心の底でつぶやきながらせっせと励んだものである。貴男もきっとそのはず。でも、そもそも“前戯”と“本番”を分け、しかも“前戯”を義務ととらえるスタンスこそがきわめて男性的であることを知るべきなのだ。

 フランコのギターは怒張した一物である。いっぽう、ヴィッキーなどのヴォーカルは甘い口づけであり愛撫である。最初から一物を大上段にふりかざすのは問題外として、口づけにはじまりクライマックスを迎えるまでのプロセスを全体としてとらえ、そのことに酔うことができる者のみが60年代後半のO.K.ジャズを心から楽しむことができるとわたしは思うのである。

 要するに(コント55号の欽ちゃん風。わたしはこのことばを小学生のとき連発して、母からひどく叱られたものである)、この口づけがことのほか甘く心地よいのだ。楽曲自体のよさもさることながら、ヴィッキー、ユールー、そしてフランコを中心とするヴォーカル・ラインのコンビネーションは抜群。2曲の美しいバラード、シマロ作の'ANNIE OBOSANI NGAI?' とムジョス作の'SALA OMONA PASI YA MBONGO?' ではヴィッキーとムジョスがそれぞれソロで歌っているが、本質はやはりコーラス・ワークにある。'EST-CE QUE OYEBI? ' からラストの'NASEKI MINGI' まで、まったく非の打ちどころのない絶妙なハーモニーが展開される。

 これら粒ぞろいの名曲名唱のなかで、唯一浮いているのがジョジョが書いた'KOMIKOSAKA TE NA BASI' 。ジョジョJojo は、EWENSの著書"CONGO COLOSSUS" 巻末の資料によると、60年から66年までヴォーカリストとして在籍したとある。本盤とは1〜2年時期がずれるが、かれにかんする記述はこのほかはどこにも見つからなかった。

 曲調はともかくシンプルでストレート。むしろ、後年のルンバ・ロックに近い雰囲気がある。ヴォーカルのメインはおそらくジョジョ。優美なハーモニーが売りのO.K.ジャズにあって、声が野暮ったくガサツな印象を受けてしまう。この曲を除けば、かれがバック・ヴォーカリストどまりだったのもよく理解できる。でも、誤解のないように付け足すなら、歌も演奏内容もけっして悪くはない。ほかがよすぎるのである。ちなみにこの曲、ジョン・ストーム・ロバーツのいまはなきレーベルORIGINAL MUSIC発売のコンピレーション"THE SOUND OF KINSHASA" (OMCD 010) にジョジョとO.K.ジャズとして収録されていた。

 いうまでもなく演奏がこれまたすばらしい。まずギターワーク。前にも書いたように、63年ごろからO.K.ジャズでは、フランコのリード・ギターに加えて、リズム・ギター、さらにリード・ギターとリズム・ギターの中間的な役割をする“ミ・ソロ”といわれるミディアム・ギターというふうに分業体制がきっちり確立していた。
 シンプルなパターンの反復から紡ぎ出されるルンバ・コンゴレーズ独特のアンサンブルは、あまりに深く細かく入り組んでいるため、じっさいは何人のギタリストが演奏しているのかよくわからないが、眩暈がするほどすばらしい。
 'NAYEBAKI LIKAMBO''NGANDA MABOKE NABOYI''DEDE KABOLA MIKOLO''LIKANMBO EKOSWA NA MOTEMA' あたりでは、リード・ギター、リズム・ギターのほかに、エレピのような音色のギターがはっきりと聴きとれる。これが“ミ・ソロ”にあたるのかどうかわからないが、サウンドに力強いグルーヴをもたらしていることはたしかである。

 ギターにかんして、この時期、もうひとつ注目すべき出来事があった。ヴェルキスのツテでオルケストル・レヴォルシオンからファンファン Moses Se Sengo 'Fan Fan' (岡田真澄ではない)という若いギタリストが加入したのことである。
 かれはかねてよりフランコの信奉者で、フランコのギター・スタイルを完璧にマスターしていた。そこに目をつけたフランコはファンファンを自分の影武者に仕立てたのである。これによって「二人のフランコ」が同時にソロを弾くことも可能になった。このストーリー、フランク・ザッパとスティーヴ・ヴァイの関係にそっくりだと思いません? なんでもEWENSによると、かれら2人のソロ・ギタリストに、1人の“ミ・ソロ”プレイヤー、3人のリズム・ギタリスト、さらに2人のベース・ギタリストがいたというのだからスゴイ! でも、聴くかぎりではそんなにたくさん参加しているようには思えない。レコーディングではもっと少人数で臨んだのではないだろうか。
 ファンファンは、その後、ソモ・ソモ Somo Somo というバンドを結成すると、ザンビア、タンザニア、ケニアといった東アフリカ諸国に行って成功を収める。その貴重な記録は、英国のレトロアフリークから "BELLE EPOQUE" (RETROAFRIC RETRO7CD) としてCD復刻されている。

 つぎにギターとともにO.K.ジャズ・サウンドの中核を担ったサックスについて。これら一連のレコーディングがおこなわれた時分には、フランコとヴェルキスの関係は冷え切っていた。だが、対照的にふたりのインタープレイは火傷するほどに熱い。

 以前、わたしはヴェルキスのプレイにはジャズやラテン系音楽のにおいがあまりしないと書いた。よくいわれるのは、かれのプレイの背景にはR&Bからの影響がみられるということだ。かれのサックスは、音の抜けが異常によくて聴衆を煽るようなグロウ・トーンのブロウ・スタイルが特徴である。R&Bにあまりくわしいほうではないわたしは、ハーシャル・エヴァンス、バディ・テイト、アーネット・コブ、イリノイ・ジャケーに代表されるテキサス・テナーを連想してしまった。
 ひとによっては、「単細胞」とか「お下劣」というかもしれない。しかし、エモーショナルではあっても単純さにはほど遠く、むしろ緻密でさえある。マウスピースを絞めたり弛めたりして音のニュアンスをコントロールするテクニックにかけては、余人にはマネのできない天性の才を感じる。

 残念ながら、ヴェルキスは69年2月にO.K.ジャズを脱退している。ヴェルキスが抜けたことは、ヴィッキーの脱退以上にO.K.ジャズのサウンドを根本的に改変せざるをえないほどの衝撃であったはずだ。

 ヴェルキスとフランコとの確執は、67年、レコーディング・セッションにヴェルキスがあらわれなかったことにたいし、フランコが訴訟をおこしたのが発端だったといわれている。フランコはさらに追い討ちをかけるように、同年、ブラザヴィルにおいて楽器窃盗の容疑でドラマーのネストール Nestor が逮捕された事件にヴェルキスが一枚噛んでいるといいがかりをつけた。それでもこのときはなんとか事態の収拾はついたが、翌年、ふたりの関係を決定的に決裂させる事件がおこった。
 
 それは、67年も終わりに近いころ、フランコの渡欧中を見計らって、ヴェルキスがシマロ、ビチュウ、シェケン、ユールーといったメンバーをさそって、自分のリーダー名義でレコーディングをおこなっていたことが発覚したためである。(このときのセッションにファンファンが参加していたのがきっかけになって、かれはO.K.ジャズに加入する。)O.K.ジャズと専属契約にあるミュージシャンを勝手に使われたことにたいするフランコの怒りはたいへんなものであった。結局、この違法なレコードの売上げの40パーセントをフランコに支払うということで一応の決着はついたものの、それから1ヶ月も経たないうちにヴェルキスはO.K.ジャズを去ることになった。

 常日頃、ヴェルキスはO.K.ジャズでやるべきことはすでになにもないと話していたので、このことは当然のなりゆきだったといえよう。また、ザイコ・ランガ・ランガを筆頭に、ロックの影響をモロに受けたギター・バンド主体の第3世代が台頭してきて、O.K.ジャズでもサックスのポジションが以前ほどには重要でなくなりつつあった時代背景もこのことに拍車をかけたのかもしれない。

 とにもかくにもこのアルバムに収録された曲の数々は、フランコとヴェルキスというふたりの天才が編み出したルンバ・コンゴレーズの技法が最後に咲かせた大輪の花であったことはまちがいない。

 このアルバムは全曲があまりにすばらしいため、各曲についていちいちとりあげなかった。だが、フランコが書いたつぎの2曲についてはひとことつけ加えておきたい。
 まず、'LA BERITE DE FRANCO' について。「フランコの真実」のタイトルを持つこの曲は、妻との秘めごとを描いたとされる歌詞内容が検閲委員会で問題となって発売延期を余儀なくされたいわくつきの代物。
 いっぽう、'CAFE' はルンバ・コンゴレーズ中心の楽曲構成にあって、ひときわ異彩を放つ。というのも、この曲はなんと!驚くなかれ、ソン・モントゥーノなのである。しかも、本家本元のアルセニオ・ロドリゲスにもひけをとらない粘り腰の黒いコクがぎっしり詰まった‥‥。キューバをあたっても、これだけ濃厚な演奏ができるグループはそうはない。
 甘い美声の持ち主であるヴィッキーがノドを絞めながら歌うラテン的センティメントのすばらしさもさることながら、アルセニオのトレスの役割を担うフランコのギター・ワークがむちゃくちゃしぶくてきまってる。冒頭「ソン・モントゥーノ!」と叫ぶ気合いの入れ方までアルセニオそっくり!
 なにもいうことありません。一生ものです。だまされたと思って、ぜひこのアルバムを聴いてみてください。もし「だまされた!」と感じたら、それはあなたがフランコとは縁がなかったということです。


(9.7.03)



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by Tatsushi Tsukahara