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Franco et O.K. Jazz (1956-89)
Georges 'Verckys' Kiamuangana, saxes (1963-1969)

Artist

ORCHESTRE VEVE

Title

THE BEST COLLECTION


veve best
Japanese Title

ベスト・オブ・オルケストル・ヴェヴェ

Date 1976-1978
Label ESPERANCE/SONODISC CD 8478(FR)/オルターポップ AFPCD-209(JP)
CD Release 1990
Rating ★★★★★
Availability


Review

 再三述べてきているように、わたしがいちばん好きなO.K.ジャズはヴェルキスがいたころのO.K.ジャズだ。メタリックで端正なフランコのギターと野卑でルーズなヴェルキスのサックスの熱いインタープレイは、60年代のルンバ・コンゴレーズの華だった。

 ヴェルキスこと、ジョルジュ・キャムアンガナ Georges Kiamuangana は、フランコより6歳下の1944年生まれ。フランコの弟バヴォン・マリー・マリーと同い年である。レオポルドヴィル(キンシャサ)の裕福な家庭に育ったかれは、預言者シモン・キンバング*の教会で奉仕のため管楽器をプレイするうちに、学業もそっちのけにふかく音楽にのめり込んでいった。
 61年、フランコの先輩ドゥワヨン率いるコンガ・ジャズにサックス・プレイヤーとして参加しプロとしてのデビューをかざる。やがて、そのプレイがフランコの目にとまり、63年、O.K.ジャズ入りしている。

* 1921年にコンゴ族の土着信仰とキリスト教を融合させたキンバンギズムを興したメシア的宗教運動指導者。

 ヴェルキスは、たんに有能なサックス・プレイヤーであっただけでなく、ショウマンとしてもすぐれていた。かれは奇抜な衣装に身を包んでステージ上で派手なダンスやパフォーマンスをして、O.K.ジャズに視覚的な要素をもたらした。こうしてかれの人気はいつしかフランコと肩をならべるほどになっていた。

 67年、ヴェルキスがレコーディング・セッションにあらわれなかったことが発端となり、フランコと訴訟問題に発展。これ以降、両者の関係はますます険悪になっていく。
 そして、ついに事件は起こった。フランコが渡欧中の翌年9月、ヴェルキスは新レーベルVEVEの設立を宣言。さっそくメンバーのユールー、シマロ、ビチュウ、シェケン、それにクァミーのレヴォルシオンにいたギタリスト、ファンファンらをさそって、シングル6枚分のレコーディングをおこなった。
 その年の12月、レコード・プレスのため渡欧したヴェルキスと行きちがいに帰国したフランコはこのことが知るなり大激怒。結局、レコードの売り上げの40パーセントをフランコに支払うことで一応の決着がついたものの、69年2月、ヴェルキスはO.K.ジャズを去った。



 それからわずか2ヶ月後の4月はじめ、O.K.ジャズが拠点にしていたヴィザヴィ・クラブで、オルケストル・ヴェヴェは旗揚げ公演をおこなった。
 メンバーには、ヴォックス・アフリカにいたギタリスト、ダニラ Daanyla、シンガーはのちにトリオ・マジェシを結成する“マリオ”Mario、“ジェスキン”Djeskain、“マックス・シナトラ”Max Sinatraこと、マタディディ・マベレ Matadidi Mabele、マルセル・ロコ Marcel Loko、ボニャット・ツェカブ Bonghat Tshekabu、soreniの3人、それにドクトゥール・ニコのバンドにいた“ミスター・ファンタスティック”ボヴィック・ボンゴ 'Bovic' Bongo Gala らがいた。
 
 ヴェルキスは精力的にこの新オルケストルの売り出しに努め、その年のうちになんと35枚ものシングルを発表。その甲斐あって、ヴェヴェは一躍人気グループの仲間入りをはたした。現在、ソノディスクから発売されているVERCKYS & LE VEVE "MFUM'BWA"(AFRICAN/SONODISC CD 36599)は、そんなかれらの初期録音全14曲('MFUMBWA' パート1とパート2をあわせて1曲ととれば13曲)をコンパイルしたもの。表紙には'1969/1971'のクレジットはあるが、どの曲が69年で71年なのか判然としないところが残念。

 全体の感じとしては、ソリッドなギターのくり返しに分厚いグロウ・トーンのホーン・セクションがおおいかぶさりジワジワと熱くなっていくという60年代末のO.K.ジャズのスタイルに近い。CDでいうと、FRANCO & L'OK JAZZ "1968/1971"(AFRICAN/SONODISC CD 36529)あたり。ただし、O.K.ジャズより民俗色がつよくルードな肌ざわり。

 聴きどころは、ルンバ・コンゴレーズならではの、連綿と弾き続けられるギターの反復パターンと繊細で優美なヴォーカル・ハーモニーが織りなす陶酔感をうち破るかのようなヴェルキスを中心とした迫力満点のホーン・セクション。ひんぱんに聞こえる怒鳴り声はヴェルキス本人のものと思われ、迫力においてフランコにひけをとっていない。そして、ヴェヴェにおいて鍵を握っていると感じたのは、下腹部にズシンと響くベースである。ここにあるのはスークースということばの響きが連想させる軽やかなステップはなく、大地を踏みしめ地響きを起こさせる熱いグルーヴだ。

 これらのなかで唯一、異質な輝きを放っているのがラストの'NAKOMITUNAKA'。72年にヒット・チャート1位を獲得したこの曲は、同年、タブ・レイが発表した'MONGALI'TABU LEY ROCHEREAU "1971-1972-1973"(SONODISC CD 36552)に収録)とともに、モブツ大統領が強力に推進した「真にザイール的なものの回復」をめざす政策、オタンティシテを具現化した代表曲とされる。めずらしくアコースティック・ギターを使ったこの美しい曲は、オタンティシテに異論を唱えたカトリック教会にたいするヴェルキスのアンサー・ソングになっている。

わたしは自問します
神様、わたしは自問します
黒い肌はどこから来るのでしょうか?
われわれの先祖はいったいだれなのですか?
主は、神の御子は白人でした
聖人もみな白人でした
ああ神様、それなのになぜ?

わたしたちが学んだ教えでは
天使はみな白人の姿
聖人もみな白人の姿
しかし、悪魔はいつも黒人の姿
ママ、このような理不尽はどこから来るのでしょうか?

黒い肌はどこから来るのでしょうか?
白人たちはわたしたちの理解を妨げています
白人たちはわたしたちの先祖の彫像をこばんでいます
白人たちはわたしたちの先祖の呪物も受け入れようとはしません
なのに、ご存じのように、教会で
わたしたちは十字架を手に祈りをささげています
わたしたちは教会にある聖像に祈りをささげています
しかし、その聖像はみな白人の姿
神様、なぜですか?

わたしたちは白人の預言者を受け入れています
なのに、白人は黒人の預言者を受け入れようとはしません
神様、なぜあなたはわたしたちをこんな姿かたちに創造されたのですか?
わたしたち黒人の先祖はどこにいるのでしょうか?
アフリカはいま目覚めた
アフリカよ、わたしたちは後戻りはしない

 ファンキーなイメージがあるヴェルキスからは想像もつかない内省的で、しかし強い意志が感じられるリンガラ音楽史上に残る名曲である。日本編集による入門盤『コンゴからザイールへ』(オルターポップ WCCD-31009)で、この曲を選んだ海老原政彦さんのセンスはさすが。



 ヴェルキスは、フランコ、タブ・レイとともに70年代のザイール音楽界のトップ3といわれるが、その割にはCDのリリース数がすくない。単独CDとしては、知るかぎり、前述の"MFUM'BWA"、2001年にレトロアフリークからリリースされた"VINTAGE VERCKYS"(RETROAFRIC RETRO15CD)、そして本盤の3枚きり。しかも、レトロアフリーク盤は、全10曲中、3曲が"MFUM'BWA"、4曲が本盤と重複している。

 そのほか、ソノディスクから出ている5枚のコンピレーション・アルバムに1、2曲ずつ収録。ところが調べてみると、重複がなかったのは、"COMPILATIONS ORCHESTRES CONGOLO-ZAIROIS 1967/1968/1970/1974"(SONODISC CD36537)収録の'EKWILE FERROS''NABWAKI NSOI'"MUSIQUE CONGOLO-ZAIROISE VOLUME II"(同 CD36507)収録の'CHERIE ANNA'"MUSIQUE CONGOLO-ZAIROISE VOLUME III"(同 CD36510)収録の'OKOKOMA MOKRISTO' のわずか4曲のみだった。

 この異例のすくなさは、復刻が進んでいないこともあるだろうが、それ以上にレコーディングの絶対量のすくなさに起因している。
 オルケストル・ヴェヴェはセールス的に大成功をおさめたにもかかわらず、80年代には事実上活動を停止してしまった。それというのも、ヴェルキスはミュージシャンとしてよりもビジネスマンとしてそれ以上の成功をおさめたせいである。

 みずから設立したプロダクション、エディション・ヴェヴェの傘下に収めた若手グループ、70年代ではレ・グラン・マキザール、オルケストル・キアム、ベラ・ベラ、リプア・リプア、アンピール・バクバら、80年代ではランガ・ランガ・スタール、ヴィクトリア・エレイソン、アンチ・ショックらはいずれもヒットを連発した。いうなればワゴン・マスターズの堀威夫がホリ・プロを、スパイダースの田辺昭知が田辺エージェンシーを起こして成功したようなものである。

 ほかにも、レコーディング・スタジオ、レコード・プレス工場、ライヴ・ホールを備えたビル、ヴェヴェ・センターなどを経営するなど実業家として大忙しで、とてもミュージシャンをやっているヒマなどなかった。生粋のミュージシャンだったフランコとちがい、ヴェルキスにとって音楽はおのれの野心をとげるための手段でしかなかったようにさえ思えてくる。



 だからといって、ヴェルキスがミュージシャンとして超一流であったことは動かしがたい事実。このことをまざまざと証明してくれたのが、70年代後半の名演を選りすぐった日本独自の編集による本盤。
 解説で故・山崎暁さんが書いておられるとおり、ルンバ・コンゴレーズの優美な歌と緻密なアンサンブルに、ザイコ・ランガ・ランガらが編み出したみずみずしいビート感覚がブレンドされた極上のリンガラ音楽に仕上がっている。まさにコンゴ〜ザイール音楽史に名をとどめる粒ぞろいの名演集といっても過言ではあるまい。

 楽曲は、ザイコら新世代からはじまった歌のパートとダンス・パートからなる2部構成をとっており、したがって演奏時間はいずれの曲も10分前後と倍近く長くなっている。
 メロウなギター・リフにのせて、優雅で甘美なコーラスがしばらくつづく。73年にオルケストル・コンティネンタルからジョスキーが加入して以降のO.K.ジャズを思わせる、以前にわたしが「声の壁」とよんだ緻密に編み込まれた珠玉のハーモニーだ。

 曲目のクレジットをみて驚いた。77年と78年の録音とされる'KALALA''NAKOMA JUSTE' の作者は、ジョスキーやウタ・マイとともにコンティネンタルでヴォーカルを担当していたティノ・ムウィンクァ Tino Mwinkwa そのひとではないか。道理でO.K.ジャズっぽいわけだ。正確には、O.K.ジャズとヴェヴェというコンゴ〜ザイールを代表するオルケストルのヴォーカル・スタイルがコンティネンタルっぽいというべきかもしれない。

 これら絶妙のコーラス・ラインにうっとりしているところに、分厚いホーン・セクションのブレイクがはいり、演奏はとたんに熱気を帯びはじめる。そして、ダンス・パートでリズムが強化され、曲調はテンポ・アップ。そして寄せては返す波のように執拗にくり返されるホーン・アンサンブルのど真ん中から、ヴェルキスのエモーショナルなサックスが姿をあらわし縦横無尽に暴れまわる。

 しかし、フェラ・クティのように怒りの感情を音にしたような感じはまったくない。以前、中村とうようさんはジョニー・ホッジスのようだ、と形容したそうだが、わたしにはむしろガトー・バルビエリに感覚が近いように思える。映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」で、マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーの濃厚なラヴシーンを音楽で演出したアルゼンチン出身のサックス・プレイヤーのことである。

 そう。ヴェルキスのサックスの本領は「たれ流し」にある。日本でいえば、ヴィブラートをたっぷり使った「津軽海峡冬景色」の濃厚なサックスがそれ。つまり理性を捨てた情緒の「たれ流し」。そこにはつねにエロスが漂い、背後にはベタさ、お下劣さが控えている。'NAKOMA JUSTE' にいたっては、「たれ流し」が高じて、ついにマウスピースのみで吹きまくる。まるでアカデミズムを挑発するかのように。

 若い世代がサックスを廃してギターバンド・スタイルをとったことの背景には、楽器そのものが高価で手に入りにくかった事情に加え、この演歌的な情緒過剰への拒否反応があったように思う。
 本盤がレコーディングされた76〜78年はギターバンド全盛であったことから、これほど高いクオリティを備えながら、ヴェヴェのスタイルは消えゆく運命にあった。そのことがいちばんわかっていたのは、数多くの若手バンドのプロデュースを手がけていたヴェルキス本人だったろう。

 この名盤は日本編集ながらフランスのソノディスクのプレスで、入手不能になってすでにひさしい。これに代わるのが、いまのところレトロアフリーク盤"VINTAGE VERCKYS" ということになるが、トータル・アルバムとしての統一性が感じられず魅力が半減してしまっているのがつくづく残念。


(5.12.04)



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by Tatsushi Tsukahara