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Artist

D'GARY

Title

MALAGASY GUITAR


d'gary malagasy
Japanese Title

Date 1991
Label SHANACHIE 65009(US)/Pヴァイン UPCD-8(JP)
CD Release 1992/1992
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆◆


Review

 「いやし系」といわれる音楽が流行っている。なにが「いやし系」でなにがそうでないかについて、はっきりした定義があるわけではないが、自分のなかで「これはいやし系の音だな」と感じることがある。
 「いやし系」の音楽はいわゆるヒーリング・ミュージックとイコールではない。元ちとせは「いやし系」だが、ヒーリング・ミュージックではない。ことばであらわすのはたいへんむずかしいのだけれども、わたしのなかでは、繊細でアコースティックな音色、ミディアム以下のゆったりしたテンポ、おぼえやすく反復的なメロディ、といったイメージだ。
 だが、わたしはこのことばをかならずしも肯定的な意味合いで使っているわけではない。ここにいいサンプルがある。
 
 ディ・ガリというマダガスカル南西部出身のギタリストは、91年にアメリカ人ギタリスト、ヘンリー・カイザーとデイヴィッド・リンドレーが音楽採集のためマダガスカル島を訪れ、かれを発掘するまで、現地マダガスカルでもまったく知られていない存在であった。バスの屋根の上で三晩揺られて首都アンタナナリボへやって来たこの無名のギタリストは、11種類ものチューニングを用いて、親指と人差し指のみで驚異的な演奏を披露した。マダガスカルの伝統的な筒型弦楽器ヴァリハやロカンガのスタイルをアコースティック・ギターに移し換えたかれの演奏は、リンドレーをして「地獄から来た怪物ギタリスト!」といわしめた。
 
 驚くべきことに、ディ・ガリは当時、まだ自分のギターを持っていなかった。そのため、カイザーらがアメリカから持参したギターを使って現地レコーディングされたのが本盤である。もちろん、このときがかれにとって初レコーディングとなったのだが、パーカッションが控えめに加わっただけのシンプルな編成にもかかわらず、その複雑にして変幻自在のプレイは「素朴」からはほど遠い洗練かつ完成されたものである。しかし、かれのヴォーカルは泥臭くアフリカ的で、西アフリカにあるシエラ・レオーネのS.E.ロジーが演奏するパームワイン・ミュージックを思い出してしまった。また、ロバート・ジョンソンなどのブルースとも交錯するフィーリングがある。これらは一見途方もなく隔たってはいるが、深い根っこの部分ではつながっているのではなどと想像をたくましうしてしまった。
 
 ディ・ガリが“発見”されて、ちょうど10年後の2001年に、フランスのインディゴからリリースされたアルバムが"AKATA MESO"(INDIGO LBLC2575(FR))である。なによりも驚いたのは、ディ・ガリのヴォーカルに土臭さのカケラも感じられず、一部の曲で元ちとせに顔が似たねーちゃんとデュエットまでしている。そして、パーカッションにはインドのタブラが入っているうえ、ときにエレキ・ギターまで弾いているのだ。つい10年前には、観衆のいない前では演奏できないとはにかんだディ・ガリが、である。
 わたしは、この2001年のアルバムにたいしては迷わず「いやし系」の称号を与えよう。冒頭に挙げた「いやし系」音楽にかんするわたしのイメージは、91年のアルバムにも2001年のアルバムにも共通して感じられる。しかし、前者に「いやし系」のイメージはそぐわない。いったい、なにがちがうのか?
 
 このちがいは、91年の演奏がどこかディ・ガリ自身に向けられていたのにたいし、2001年の演奏は世界、つまりは欧米先進国のひとびとに向けられていることにあるのではないか。10年前には感じられたのどかさやなまなましさは消失し、感情は極力抑制され、ECMからリリースされてもおかしくないお行儀のよさばかりが目立ってしまうのだ。「民俗」からなまなましい肉体を覆い隠し、表層のみをとりあげたものこそ「いやし系」の正体ではないだろうか。
 ここまで書いてきて、わたしは「いやし系」音楽に、バブル期以降に復興した日本の「祭り」の現実をかいま見たような気がしてきた。


(9.6.02)



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by Tatsushi Tsukahara