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Artist

KING WASIU AYINDE MARSHAL 1

Title

FUJI FUSION


kwam guji fusion
Japanese Title 国内未発売
Date 1999
Label OMEGA MUSIC OMCD 003(UK)
CD Release 1999
Rating ★★★★
Availability


Review

 いきなりフュージョンみたいなソプラノ・サックスとピアノにのせてバラード風の歌がはじまったのにはビックリ。ゆったりとリラックスしたマーシャル(KWAM1と表記される)のヴォーカルにトーキング・ドラムとドラム・キットがつきしたがい、ハギレのよいアクセントを与えている。曲の後半からKWAM1の声は次第に熱を帯びていき、それに呼応してトーキング・ドラムも激しいビートを叩き出していく。いつしかサカラ、バタなどの打楽器群も加わり、気づいてみれば、いつもの熱く野性的なフジ・サウンドが展開されている。

 10分程度のフジとしてはけっして長くない曲だが、フジのすばらしさを欧米の「ヤッピー」(KWAM1の弁。都会に住む若い知的職業従事者をさす)たちにも知ってもらうために、1990年以来、たゆまぬ「布教活動」にいそしんできたKWAM1がたどり着いたひとつの成果がここにある。アルバム中盤の'SOLO'にいたっては、キーボードとトーキング・ドラムのスリリングな絡みかたは、どこかユッスーのサウンドを彷彿させる。

 フジといえば、元来イスラム的なコブシまわしが特徴だが、KWAM1はおそらく意図的にそういう部分を薄めて歌っている。また、欧米ではあまり評判のよくないシンセ・ドラムの使用も控えている。このようにフジならではの泥臭さは極力押さえられ、シャープでスマートなサウンドに仕上げられているものの、サックスとキーボードが参加しているのは、全8曲中の約半分で、残りは歌と打楽器群のみからなる極力ぜい肉をそぎ落としたフジの基本型に忠実なタイトな演奏である。目先だけを変えるのではなく、フジの核心をしっかり内に秘めながら、新しいフジの可能性を探求しつづけるKWAM1のスタンスにわたしは支持する。

 キング・ワシウ・アインデ・マーシャル1は、94年までは、ワシウ・アインデ・バリスターを名のり、シキル・アインデ・バリスターやコリントン・アインラに続くフジの第2世代として、デビューした80年から年に数枚というハイ・ペースでLPを発表してつづけてきた。コアなアフリカ音楽ファンのあいだでは、一時はバリスター以上に高い評価を得ていたが、CDが出ていなかったために(この傾向はフジ全体にいえること)、海外での知名度はいまひとつだった。KWAM1と改名した95年ごろになって、ようやくイギリスのレーベルからCDが発売され、これまでに数枚リリースされているものの、いずれもマイナー・レーベルばかりで1枚あたりの値段が高いうえに入手も容易ではない。

 日本では、98年にオルター・ポップの配給で、ウォーマッド・レーベルの『タラゾ・フジ』(AFPCD-6244)が発売されたが、KWAM1の持ち味が十分に発揮されたアルバムとはいいがたかったうえに、第3世代に属するアデワレ・アユバのアメリカ録音盤『フジ・タイム』が日本配給され、高い評価を受けたあとのリリースだっただけに、いささか遅きに失した感がある。ステージ上でのパフォーマンスはいざしらず、こと音楽にかんするかぎり、KWAM1のほうがアユバよりずっと大胆で先進的だと感じるのだが‥‥。

 しかしながら、フジと他の音楽を融合(フュージョン)させて、たんなるダンス音楽から脱皮した“新しいフジ・ミュージック”を創造しよういうKWAM1のもくろみは、本盤で十分に達成されているとはいいがたい。ジャズとのあいだではある程度の成果をあげているものの、ロック/ポップスへのアプローチがまだ足りない気がする。わずかに'VIVID IMAGINATION'という4分前後のシンプルでポップな小品に、その片鱗が感じられる程度だ。つぎは、ディストーションのかかった派手なエレキ・ギターや、ファンキーなエレキ・ベースなど、ロックへの大胆なアプローチを試みてもらいたいものだ。


(2.3.02)



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by Tatsushi Tsukahara