World > Latin America > Caribe > Cuba | ||||||||||||||||
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Artist | ||||||||||||||||
ORQUESTA CASINO DE LA PLAYA |
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Title | ||||||||||||||||
・SE VA EL CARAMELERO | ||||||||||||||||
from | ||||||||||||||||
ORQUESTA CASINO DE LA PLAYA |
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Review |
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オルケスタ・カシーノ・デ・ラ・プラーヤのヴォーカリストであったミゲリート・バルデースの依頼で、アルセニオはこの楽団のために'FUFUNANDO'、'YO SOY MACUA'、'ADIOS AFRICA'、'COMO LE GUSTA EL CHISMECITO A CARIDAD'など、多くの楽曲を提供している。こうしてアルセニオはミュージシャンとしてよりも早く、1937年にコンポーザーとしてレコード・デビューをはたした。 なかでも、「ブルーカ・マニーグァ」'BRUCA MANIGUA'はヒットし、アルセニオ初期の代表作として、多くのミュージシャンがとり上げているラテン音楽のスタンダード・ナンバーである。ところが、アルセニオ自身による演奏は、わたしが知るかぎりでは"QUINDEMBO/AFRO MAGIC" (SONY TROPICAL CDL81534/2-469742) でのインストゥルメンタルのみである。 1937年から41年の音源をあつめた本盤には、アルセニオ作品が3曲('VEN ACA TOMA'、'YO SON GANGA'、'SE VA EL CARAMELERO')収録されている。 白人であったミゲリートは代表曲「ババルー」'BABALU' に象徴されるように、アフリカっぽいエキゾティシズムを売り物にしていたから、黒っぽいコクのある作品を書くアルセニオの作品はもってこいの題材だった。後年、ディジー・ガレスピーのもとでアフロ・キューバン・ジャズの形成に大きな貢献をはたす若き日のチャノ・ポソの作品もとりあげているのは、同じような理由からだろう。 ミゲリートがカシーノ・デ・ラ・プラーヤに籍を置いていたのは37年から40年までの4年間だから、アルセニオが自作曲にトレス(複弦3対の小型ギター)奏者としてゲスト参加したのは、おそらく37年から39年のあいだの可能性が高い。(ミゲリートが、キューバを離れニューヨークのザビア・クガート楽団に加入したのは40年4月だから、40年に録音された可能性は少ないと思っている。)そうだとすると、これがアルセニオのプレイが聞けるもっとも旧い音源だろう。 クレジットにアルセニオの名まえはないが、この曲はトゥンバオ盤の"ADIOS AFRICA"(TUMBAO TCD-037)にも収められていて、そこには演奏者にアルセニオの名まえがクレジットされているのでまずまちがいないだろう。ただし、同一テイクだがトゥンバオ盤のほうはノイズが多く聞きづらい。("ADIOS AFRICA"には、同曲のほか、'ADIOS AFRICA'と'COMO LE GUSTA EL CHISMECITO A CARIDADO'の計3曲のアルセニオ作品を収録)。 ちなみに、ハーレクィン盤で、第2アルト・サックスにA.RODRIGUEZとあるが、ポートレートのキャプションからさっするに白人のB.RODRIGUEZのことだろう。まあ、クレジットがなくとも、メリハリの効いたズシリと重いトレスの音色はアルセニオ以外にはだれにもマネのできないもの。間奏部でのソロは本当にすばらしい。 |
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(9.2.01) |
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※追記 "OYE COMO DICE..."のスペイン語のライナーノーツを見ていたら(読んでいたのではない!)、1938年録音であることがわかった。 |
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(9.4.01)
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