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PER QUALCHE DOLLARO IN PIU' |
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『荒野の用心棒』の世界的なヒットによってレオーネとモリコーネのコンビで翌65年(日本は67年)に公開された続編。いわずとしれたマカロニ・ウェスタンの最高峰である。 サウンドトラックは65年に『荒野の用心棒』とのカップリングで発売されたLPに8曲を収録。本盤はこれらに14曲を追加したはじめての単独リリース盤である。基本的には『荒野の用心棒』の音楽スタイルを踏襲しさらにスケールアップさせたものだが、ところどころに新機軸が打ち出されている。 では、これよりLP収録曲を中心にくわしくみていくことにしよう。 まず、メイン・タイトル「夕陽のガンマン」PER QUALCHE DOLLARO IN PIU から。アレッサンドローニの口笛がフィーチャーされるのは「さすらいの口笛」同様だが、新しいのは随奏にジューズ・ハープが使われたこと。 ジューズ・ハープとは、口琴とよばれ、フレームとそのあいだにはさまれた振動弁からなる小さく単純な構造の民俗楽器。弁を振動させると口の中が共鳴器となってさまざまな音高の倍音や音色が生まれる。その玄妙な音のゆらぎは耳にとても心地よくトランス感覚にあふれている。 アメリカ先住民、オーストラリアのアボリジニ、アフリカを除けば世界中に分布し、日本では竹製で弁の根元に付けた紐を引いて奏でるアイヌのムックリが知られている。なんでも江戸時代末期に長崎経由で伝わると「びやぼん」の呼び名で幕府が禁止するぐらい大流行したという。 モリコーネが使ったジューズ・ハープは、イタリア領のサルデーニャ島かシチリア島に伝わる民俗楽器だったと記憶している。たまたま"SARDAIGNE-SARDINIE POLYPHONIES"というレコードを持っていたので聞いてみたらジューズ・ハープのはいった演奏が収録されていた。なるほどそっくり。現地ではトゥルンファtrumfa と呼ばれているのだそうだ。(ちなみにシチリアではマランザヌmarranzanu、イタリア本島ではマランツァーノmaranzano と呼ばれる。) 口笛もジューズ・ハープも人間の「口」を使ったもっともプリミティブな「楽器」であり、これらのアンサンブルがテクノを先取りしたような不思議なサウンドを生んだ。これらにイ・カントーリ・モデルニによる"よいとまけ"系の男声コーラス、インディアン・フルート、エレキ・ギター、スネア・ドラム、アコースティック・ギター、チューブラーベル、ストリングスなどが徐々に加わり、最後は雄壮なパソドブレ(正確にはパソドブレくずし)のリズムで幕を閉じる。 この傑作にひとつだけ文句をつけるとすれば、それは「さすらいの口笛」のようにゆったりと湯船に浸かりながら口笛を吹くにはメロディが複雑すぎることだ。 『夕陽のガンマン』でメイン・タイトル以上の名曲といわれているのが「ガンマンの祈り」である。原題はLA RESA DEI CONTI 、「報酬」と訳せばよいか。奇しくも68年にリー・ヴァン・クリーフが主演したセルジオ・ソリーマ監督の『復讐のガンマン』の原題とおなじであった。 物語で鍵となる懐中時計のオルゴール(じっさいはチェレスタ)から流れるかぼそく物悲しいメロディと音色で曲ははじまる。やがてスペイン風の力強いギターとカスタネット(パリージョ)によって静寂は破られ一気に緊張感が走る。すると一転、荘厳なパイプ・オルガンのソロがはいり運命を予感させる。そして、勇ましいボレロ風のリズムにのせたトランペットのソロが雄々しく高らかに響き渡るクライマックスへ。 19世紀なかばのメキシコ・アメリカ戦争で合衆国がメキシコから収奪した領土が舞台であるのをいいことに、モリコーネはスペイン風やカトリック風など、ラテン色濃厚な音楽を積極的に活用。プロテスタントの多い合衆国では想像もつかなかったマカロニならではの大胆な曲想といえよう。 レオーネ監督は、モリコーネがあらかじめ書き上げたこのスコアに合わせてラストの対決場面の撮影をおこなったという。映画(映像)に合わせた音楽(いわゆる劇伴音楽)ではなく、音楽が映像を規定するという発想はオペラの伝統をもつイタリアならではといえるだろう。まちがいなく、わたしが「ボレロ・スタイル」と名づけた作風での最高傑作のひとつである。 本盤には、この「ガンマンの祈り」にマウリツィオ・グラフのイタリア語(モノラル)と英語(ステレオ)それぞれの歌を入れた「眼には眼を」というヴァージョンも収録。そのうち、"THE ENNIO MORRICONE CRONICLES" には英語ヴァージョン収録。個人的にはイタリア語ヴァージョンのほうが情熱のほとばしりが感じられていいと思う。 聖母の声といわれモリコーネの音楽を語るうえで欠かせない存在となるエッダ・デ・ロルソは、アレッサンドロ・アレッサンドローニ率いるコーラス・グループ、イ・カントーリ・モデルニ出身。モリコーネの映画音楽で彼女のスキャットが最初にフィーチャーされたのはおそらくこの「殺し屋の嘆き」IL VIZIO DI UCCIDERE(殺しの悪徳)ではないだろうか? まろやかなオーボエと荘重なストリングスに寄り添うようにはいるエッダの透明で美しい声。打楽器が加わってパソドブレ風の颯爽としたリズムにテンポ・アップしたあともエッダは天使のようにやさしく慈愛にあふれている。 わたしが「パソドブレ・スタイル」と名づけた作風は、モリコーネがヒーロー像をマタドールからイメージしたところから着想されたとわたしは推測した。だから、このスタイルはつねに男っぽくアグレッシブな表情をもつものなのだが、エッダの声によって力強さに包容力が備わり、よりスケール感あふれる音楽に仕上がった。 ラグタイムは、19世紀に南部の黒人たちから広まったケイクウォークというダンスから派生した。黒人的なシンコペーションを強調しつつも、マーチやポルカなどヨーロッパ的な要素がつよく感じられる混血音楽である。ピアニストでもあったスコット・ジョプリン作曲の'MAPLE LEAF RAG' の大ヒットによって19世紀末から20世紀前半にかけてラグタイムは全米で流行した。 「ろばに乗って」POKER D'ASSI は、ラグタイムのなかでもホンキー・トンク・スタイルといわれる微妙にチューニングを狂わせ、音型をシンプルにくり返すだけのダンス音楽を元にしている。じっさいは40、50年代の西部劇で安酒場の喧騒感をイメージさせるのにさかんに使われたパターンの焼き直しと思われる。 「安酒場」Barrelhouse に由来するバレルハウス・ピアノといいたいところだが、わたしがイメージする野趣あふれるグルーヴィなブルース・ピアノではなく、端正で自動ピアノのように機械的な感じでハープシコードのようにも聞こえる。このあたりにアカデミックな音楽教育を受けたヨーロッパ人であるモリコーネの限界を感じてしまう。 「殺しの傍観者」OSSERVATORI OSSERVATI は、現代音楽の作曲家としてのモリコーネの本領が発揮されたスコアだと思う。というのも、50年代のヨーロッパの主流だったセリー音楽から抜け出すために60年ごろからリゲティやペンデレツキらが実践したトーン・クラスターの手法が取り入れられているように思うからだ。 トーン・クラスターは多くの音の集まりをひとつのかたまり(音群)としてとらえる方法論で、代表的作品にリゲティが61年に作曲した「打楽器を含まぬ大オーケストラのためのアトモスフェール」ATMOSPHRES がある。68年公開の『2001年宇宙の旅』でキューブリック監督はリゲティの音楽を使っていたが、65年の時点で早くもトーン・クラスターを映画音楽に応用していたとはモリコーネおそるべし。 いまひとつの現代音楽は「現場」IL COLPO 。スネア・ドラム、ティンパニー、ピアノ、チューブラーベル、トランペット、ストリングスなどが筆先から半紙に墨を垂らす点描のような持続なき音世界を作り出す。それは"WESTERN TRIO" のページでわたしが「ミリタリー・スタイル」と呼んだ不穏な緊張感を孕んでいる。 ここまではオリジナルLP収録曲とマウリツィオ・グラフの歌でシングル発売された「ガンマンの祈り」のイタリア語と英語ヴァージョンについてふれてきた。そのほかの12曲がはじめて陽の目を見たモノラル音源ということになる。しかし、音質が悪く、銃声、馬の蹄音、靴音などのSEも聞こえることから、マスターテープからではなく映画から音楽の箇所だけ抜き出しただけではないか。 現代音楽の作曲家であったモリコーネは「音」そのものを音楽ととらえる考え方をもっていたから、その立場からすれば映画のなかの銃声も馬のいななきも音楽の構成要素といえなくもない。しかし、それとこれとは話が別。新しく加わった12曲トータル約22分はやはり水増しでしかないと思う。「コレクターむけ限定発売」とあるのはそのことへの負い目からか? |
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(2.19.07) |
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