アレルはこのところ勇者ランド一行に様々なことを教わっていた。ランドからは武器の型を、ティカからは格闘技、ローザからは主に僧侶の回復魔法、ウィリアムからは主に魔導士の攻撃魔法。アレルの覚えは極めて早かった。そしてランド達はアレルがただ戦士としてだけ一流ではないことを知ったのである。
 アレルは記憶を失って以来、魔法を使えないことに非常に不便を感じていた。なので、ローザとウィリアムから貪欲に学ぶことに決めたのだが、信じがたいことに、なんと初級魔法から高等呪文まであっという間に習得してしまったのだ。
 アレルという子供に関してはあまりにも謎が多過ぎる。そしてあらゆる才能に恵まれている。基本的に何でもできる。苦手なことなどないのではないかと思えるほどだ。戦士として、魔導士として、戦いに身を置く者としては全ての面において断トツに優れた能力を持っている。ランド達四人はまた集まってアレルについて話し合った。
「なんかアレルくんって私達四人分の強さを備えているみたいね」とティカ。
「そ、そんな…剣を使ってもあんなに強いのに魔法まであっという間に取得してしまうなんて…ぼ、僕の立つ瀬がない…」とランド。
「回復魔法も攻撃魔法も高等呪文まで使えるなんて、まるで賢者だわ」とローザ。
 この世界では攻撃魔法と回復魔法の他、全ての魔法を取得した人間は賢者と呼ばれる。それだけの魔法の才能を持ち、修練を重ねた者に対しての敬意を表して皆、そう呼ぶのである。
「でも未だかつてあんな幼さでほぼ全ての呪文を取得してしまった魔導士なんていないよ。通常は上級の呪文が使えるようになるまでもっと何年も時間がかかる。そして賢者とまで呼ばれるまでになった人達は皆、老人になっている。普通ならこんなことは――」とウィリアム。
 アレルの正体は一体何者なのか。ウィリアムは一呼吸置いて話し続けた。
「過去の文献を見る限り、幼い子供の頃からあっという間に高等呪文まで取得してしまった者は――」
「その者は――?」残りの三人が続きを促す。
「魔王になったという例がある」
「そんな! アレルくんはとってもいい子よ! 魔王になんてなるわけがないわ!」
 ティカは特にアレルのことを気に入っており、まるで弟のように可愛がっている。アレルのことになると特に感情的になった。そんなティカに対しウィリアムは冷静に意見を述べる。
「そうだね。前例がないとすれば、もしかしてあの子はこの世界の人間ではないのかもしれない…」

 その後ウィリアムはアレルと話をしに行った。
「あ、ウィリアムどうしたんだ?」
アレルはウィリアムに対してもタメ口なのだが、ランドと違って普通に素直に接していた。妙に気に食わないと感じるのはランドだけである。
「いや、君には驚いたよ。あんなにあっという間に魔法を覚えてしまう人間はこのサイロニアには前例がなくてね」
「ああ。でも何か俺の知ってた魔法とは違うような…なんかこの国の魔法って…」
「何か違和感があるのかい? 遠慮しないで思ったことを好きなだけ言って御覧」
「うん、なんかすごく簡単すぎる気がする」
「簡単か…それなら君の知っていた魔法は僕の知っているものより更に高度で複雑なものだったのかな?」
「う〜ん、どうだろ? そもそも俺、本当に魔法使えたのかなあ?」
 アレルは記憶喪失で目覚めてから初めての実戦で、呪文を詠唱できないことでパニックになった。そのことからすると以前は魔法を使えたと思われるのだが、失った記憶を思い出そうとしても、どうも不明瞭なのだ。ウィリアムは目を細めてアレルを眺めた。もしかしたら別の世界の人間なのだろうか。
「あ、そうだ。ウィリアムは学者なら世界のことよく知ってるかい?」
「このグラシアーナ大陸のことかい?」
「う〜ん、それもあるけど、他の大陸では魔法は使われているのかな?」
「ここは世界の西端に位置する大陸だからね。他の大陸との交流は無いんだ。知りたければルドネラ帝国へ行くといい」
「帝国? ヴィランツの他にまだ帝国があるの? そこも世界征服とか企んでたりするのか?」
「ハハハ、まさか。ルドネラ帝国は千年以上の歴史がある由緒ある帝国なのだよ。他国へ侵略などしなくても、このサイロニアより更に広い領土がある。そして支配下にある三つの国にそれぞれ領土の一部を任せて治めているのさ」
 今までランド達を驚かせてばかりいるアレルだったが、今度はアレルの方が口をぽかんと開ける方だった。
「このサイロニアでさえもこんなに大きいのに、もっと大きな国があるって?」
「そうだよ。ルドネラ帝国はこのグラシアーナ大陸最大の軍事国家。我がサイロニアとも交流がある」
「このサイロニアが最強じゃねえのかよ」
「ルドネラ帝国の方がすごいよ。いろいろとね。まあルドネラ帝国にかかればヴィランツ帝国の今の国力だけではあっさりとやられてしまうだろう。だからヴィランツ皇帝としては、まずは近くの国から滅ぼして国力増強を図り、ルドネラは最終目標にしているだろうね」
 アレルは思わずあっけにとられてしまった。ウィリアムは話を続ける。
「このグラシアーナ大陸では何かを極めたかったら必ずルドネラ帝国まで行くんだ。学問も、魔法もね。あそこは最高水準の教育が受けられるし、魔法も、全ての魔法を極めた賢者と呼ばれる人間はルドネラ帝国に留まって弟子達に教えを授けている。賢者しか使えない呪文というのも存在するらしいよ」
「何だって?」アレルは興味をそそられた。
「君は既にその資格があるようだね。僧侶の回復魔法も魔導士の攻撃魔法も一通り全て取得してしまったのだから。機会があったらルドネラ帝国に連れて行ってあげるよ。それよりこの世界のことが知りたいのなら図書館に行くといい。案内してあげようか?」
「図書館か! 行く行く!」

 ティカはアレルを探していた。聞き込みをして回ったところ、ウィリアムと一緒にいたらしい。ウィリアムを見つけると早速声をかけた。
「ちょっとウィリアム! アレルくんを連れてどこへ行っていたのよ?」
「う〜ん、いい子だ…アレルくんはどうやら知的好奇心が旺盛な子供らしい。図書館にある本を片っ端から読み始めた。なんていい子なんだ…!」
 学者肌のウィリアムにとって本好きの子供とは好ましいことこの上ない。アレルが望むなら勉強を教えてやりたい。
「え〜っ! せっかく新しい必殺技教えてあげようと思ってたのにー!」
「ティカ、子供には勉学も必要だよ。それより、どうやらあの子自身は他の大陸の人間じゃないかと思っているらしい。僕の推測とは少し違うね」
「他の大陸の人間がここまで? 珍しいけれど十分あり得るわね。それに私達にとって他の大陸の人間も異世界の人間もそう変わらないわよ。だって他の大陸のことを全く知らないんだもの」
「その通りだ。ルドネラ帝国なら他の大陸とも交流がある。アレルくんについても何か情報を得られるかもしれない。あそこには師匠もいるし…」
「駄目よ! 今は私達四人で一心同体じゃない! スコット王子の話を聞いたでしょ? ヴィランツ帝国のやってることなんて許せないわ! 今すぐにでも皇帝をやっつけたい気分!」
「わかってるよ。今度ルドネラ帝国の人間が来たらヴィランツ帝国の件も含めて話をしなければ」

 それからアレルは毎日剣の稽古やティカの格闘技の訓練の他に図書館で本も読み出した。そしてウィリアムに学問を教えてもらった。極めて充実した毎日。そんな中、アレルは時々スコットの様子を見に行っていた。
「スコット、傷の具合はどうだ?」
「もうだいぶ良くなったよ。ありがとう」
「この国は随分と健全だな。それともヴィランツ帝国が退廃的で不健全過ぎたのかな?」
「きっとそうだよ…」スコットの表情が曇る。
「どうした、スコット? また辛いことを思い出したのか?」
「うん…僕、おおまかなことはサイロニア王に話したけど、本当はまだ言ってないこと、言えないことがたくさんあるんだ。母上がどうやって殺されたかなんてこの国の人達には言えない」
 サイロニア王国の人々は単純に善人か悪人かを考えた場合、ごく普通の善人ばかりに思えた。勇者ランド一行も、他の城にいる者達も、ヴィランツ帝国とは随分違う。ヴィランツ帝国の残虐な国柄とは大違いである。
「ヴィランツではあの手の暴力だの犯罪だのは当たり前みたいだったけど、ここでは違うようだからな。確かにあの人のよさそうな勇者一行には言いづらいな…」とアレル。
「母上が受けた暴力…僕が受けた暴力…他の女王、王妃様達…そして滅ぼされた国の民全て…どんな仕打ちを受けているか、本当はもっと詳しく話さなければいけないんだけど…」
「無理すんなよ。声が震えてるぜ。もっと心の傷が癒えて落ち着いて話せるようになってからでいいんじゃないか? この間のサイロニア王との謁見で十分に打倒ヴィランツ帝国の大義名分は立てられたんだ。今すぐに無理して言わなくてもいい」
「そうだね…ありがとう…」
スコットは涙を流して身を震わせた。それからアレルを見つめ始めた。それは羨望の眼差しと、何か嫉妬のようなものが入り混じっていた。
「アレル…僕がどんな目に遭っていたか、君にも話していないことがあるよ…本当は…僕は…僕は…」
「別に俺に全て話さなくちゃいけないなんてことはないんだぜ」
「うん、でも僕は君が羨ましいよ。あの国で何もされなくて生き延びられたなんて…」
「奴隷商人や強盗達なら片っ端からやっつけていったからな」
 アレルにはスコットが具体的に何の話をしているのか今ひとつわからない。スコットは相変わらず暗鬱とした表情で話し続ける。
「うん…そうだね…そんな綺麗な顔をしていながら何もされずに、何も知らずに済んでいるのは運がいいとしかいいようがないよ…」
 アレルは困惑して眉を顰めた。
「何の…ことだよ…確かに奴隷商人は見目のいい子供を狙う。そいつらによく狙われるってことは、俺は見てくれがいいってことなんだろうさ」
「うん…そうだよ…何も知らないなら、知らないままでいいから…君はまだ小さな子供なんだ…あんなことは知らなくていいんだよ…」
「スコット…?」
「ごめん。つい、辛くなっちゃって。でも覚えておいて。世の中にはいろんな嗜好の大人がいるんだ。だから君みたいな綺麗な子は特に気を付けてね…」

「アレルくーん、どうしたの?」
 スコットを訪ねた夜、部屋に戻ろうとしていたアレルをティカが呼び止めた。世話好きのティカはアレルを何かと放っておけず、少しでも様子が変だとすぐに声をかけた。
「なんか元気ないわね」
「うん、スコットの奴、俺が思っている以上に心の傷が深いみたいなんだ」
「そう。私達にできる限りのことはするけれど…」
「ねえ、ティカ姉さん。俺ってよく綺麗な顔してるって言われるんだけど」
「そうね。まるで王子様みたい」
「それでみんな俺に気を付けろ、気を付けろって言うんだけど、俺、具体的に何のことかよくわかってなくて…」
 その言葉を聞いて、急にティカの顔が険しくなった。
「いいこと? アレルくん。例のヴィランツっていう悪〜い帝国ではどうだったか知らないけど、このサイロニアであなたに何か変なことしようとする人がいたらこの私が絶っっ対に許しませんからね! あなたは私が守ってあげるから。何も知らなくていいから変なおじさんには気を付けていればいいのよ!」
「変なおじさん? 変質者のこと? それって普通女の子が狙われるんじゃ?」
「小さな男の子でも一緒! あなたはまだ子供なんだから大人の言うことを素直に聞きなさい!」
「でも、スコットはもしかしたら俺が薬か魔法で小さくなったんじゃないかって言うんだ。子供にしては強すぎるって。記憶を失ってるからわからないけど、俺、本当は大人かもしれないんだぜ。ティカ姉さんはどう思う?」
「う〜ん、そうねえ…」
 ティカは腕組をしてアレルをじっと見つめた。
「私が見たところ――ただの子供ね」
「えっ?」
「さあ、子供は早く寝なさい!」
「そ、そんなあ〜」

 ティカはアレルという可愛い弟子ができて嬉しそうだった。アレルが城に滞在して以来、何かと面倒をみている。
「ティカ姉さん! また新しい必殺技教えてくれよ!」
「いいわよ〜。今度は蹴り技ね!」
 ティカは物覚えが早いアレルを気に入っていた。格闘の素質も十分にあり、尚且つ懐いてくる子供となれば可愛くてたまらない。
「えいっ! やあっ! たあっ!」
 ティカは格闘技をどんどんアレルに教えていった。

「はーい! 今日の稽古はこれでおしまい!」
「ありがとう! ティカ姉さん!」
「アレルくんは素質あるわね〜。いっそのこと剣士なんてやめて格闘家になったら?」
「う〜ん、でも俺はレイピアが一番気に入ってるから。万が一武器を取られて戦わなくちゃならなくなった時の為に格闘はしっかりとやっておくよ。丸腰じゃ全く戦えないんじゃ話にならないからさ」
 アレルは戦士として少しでも隙を見せたくなかった。全ての武器を使いこなせるようになりたかったし、もちろん格闘技もできるようになりたかった。
「それにしても…ランドとは毎日剣の稽古してるし、ティカ姉さんには格闘技を教えてもらってるし、ウィリアムには勉強教えてもらってるし…ローザ姉さんには何を教えてもらおう?」
「ローザは回復魔法の使い手。他にも癒しの技術が専門なの。薬の知識や医学の知識があるわ」
「え? それいいなあ! 俺も早速教えてもらおう!」
 アレルはローザのところに走っていった。武術も勉学にも興味津々のアレルは、全てを貪欲に学ぼうとしていた。それを見てティカは一人物思いに耽る。
(いい子ね…あんな子が魔王になるわけがないわ)
 ウィリアムの言った過去の文献の不吉な前例を思い出すとティカは不安になる。強大な魔力を持つ者は魔王になってしまうのか。そもそも魔王とはどのようにして生まれてくるものであるのか。この世に生きていてティカの知らないことはあまりにも多い。しかしそのようなことはどうでもいい。ティカはアレルを信じていた。まるで弟のように可愛いし、いい子だ。魔王になどなるものか。また、魔王にさせるものか。もし魔族がアレルの力を狙ってきても必ず守ってみせる。ティカはそう心に決めた。



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