アレルとランドはいつものように剣の訓練をしていた。剣戟の音が鳴り響く。

 カキーン カーン

「ま、参った!」降参の声を上げたのはランドの方であった。
「また俺の勝ちだな。ランド、あれから結局一回も俺に勝てないじゃないか」
「う…」
「つまり、あの時は俺が寸止めで戦うことを忘れてたから負けたわけで、最初から俺の方が剣の腕は上だってことか」
 ランドは黙ったままうなだれてしまった。
「そんなに落ち込むなよ、勇者様。あんたは俺が今まで戦ってきたどの敵より強い。こうして毎日手合せしてるだけで自分の剣の腕が確実に上がってるのを感じるんだ」
「そ、それは僕も同じだよ。君のおかげで僕の剣の腕も確実に上達している」
 ただ、ランドにとってアレルは決して越えられない壁のようなものを感じた。ランドは既に大人だ。アレルが成人する頃には歳をとって剣の腕も衰えているだろう。一方アレルはまだ子供なのだ。これからまだまだ成長する。彼はこの先一体どれくらい強くなっていくのだろうとランドは思った。

 剣の稽古が終わり、アレルとランドが城内を歩いていると、侍女を連れた一人の女性に出会った。優雅なドレスと頭に飾ったティアラが高貴な身分の者と証明している。ランドは急にかしこまって挨拶をする。
「こ、これはセーラ姫」
 セーラ姫。サイロニア王国の王女である。
「勇者ランド様、お久しゅうございます。また剣のお稽古ですの?」
「は、はっ!」
「聞けば北に魔族と契約をし、人々を苦しめる悪の帝国があるとか。現在お父様が賓客としてもてなしているスコット王子はこの国に、そして勇者であるあなたに助けを求めにきたそうですね」
「その通りでございます!」
「スコット王子にはわたくしもお会いしましたわ。可哀想に、まだ子供だというのに身体中傷だらけで。余程ひどい目に遭わされたのでしょう。子供にあのような仕打ちをする国なんてわたくしは許せませんわ。ランド様、どうか北の国々にも平和をもたらして下さいませ」
 セーラ姫はアレルの方を向いた。
「こんにちは。小さなお客様。このサイロニアはいかがかしら?」
「いいところだよ、とっても」
「気に入ってもらえて嬉しいわ」
セーラ姫はアレルに微笑みかけた。
「それでは失礼致しますわ」
 セーラ姫は優雅に一礼すると去って行った。その後、ぼうっとしたままのランドをアレルは横からこづいた。
「ランド!」
「あ、ああ。姫は相変わらずお美しいな」
「何言ってんだよ。その様子だとおまえ、もしかしてセーラ姫に惚れてるとか?」
 すると、ランドは目にも明らかなほど顔を紅潮させた。
「セ、セーラ姫はとても素晴らしい女性だ! だ、だけど僕は一介の騎士団長。だから僕は姫に微笑んで頂けるだけで幸せなんだ」
「身分違いの恋ってやつ?」
「うっ…」
「バッカじゃねえの〜?」
「アレルくん! 姫を侮辱すると、たとえ君でも許さないぞ!」
「いや、俺がからかってるのはあんただって」
 どうやらランドは姫のことばかり考えていて気が動転しているようだった。
「姫ほど素敵な女性は他にはいない! いつもお綺麗で優しくて…本当にとてもお優しく、淑やかで美しい御方だ」
「お〜い、人の話聞いてんのか」
 その後、ランドはアレルが何を言ってもセーラ姫のことばかり話し始めた。
「だ〜めだ、こりゃ」アレルは呆れた。
(お姫様に身分違いの恋をする伝説の勇者ねえ…)

 その後、アレルはティカの元へ行った。ティカは自室でくつろいでいるところだった。アレルが来るとティカは喜んで歓迎し、早速お茶菓子を出した。アレルは単刀直入に先程あった出来事を話した。
「ランドってセーラ姫のこと好きみたいだけど?」
「ああ、あれね。ランドって単純だから、一目惚れしちゃったのよ」
「一目惚れ…ねえ。あの様子だと完全に恋は盲目状態だな。あんな世間知らずのお姫様のどこがいいんだか」
「あら、そんなこと言ったらセーラ姫に失礼よ」
「う〜ん、なんていうかさあ、俺は基本的にフェミニストだけど、それとは別に見るからに人生で苦労してないような人ってどうも好きになれなくて…それなりに挫折とかいろいろ辛い思いしてきた人じゃないと、なんか嫌なんだ。苦労してない人って見てるとなんだかムカついてくる。俺って変かな?」
 またしても子供らしからぬ発言である。記憶喪失だというが、それ以前は一体どうしていたのか。ひねくれた発言をしがちなのも失われた記憶と関連しているのか。ティカはアレルに対してかなり好意的であったし、相手はまだ幼い子供なので黙って話を聞いていた。
「あなたは今まで相当辛い思いをしてきたのね。じゃあランドのことが気に食わないっていうのは?」
「あいつのことはよくわからないよ。もっと違った意味でなんとな〜く気に食わないっていうか、でも本当はそこまで嫌いじゃないのかもしれない」
 アレルはうまく答えられなかった。ランドに関しては、伝説の勇者と聞くと、いわゆる『正義の味方』として世間に扱われる。そこが単純に気に入らないのかもしれない。セーラ姫に関しても、アレルの第一印象はまるで絵に描いたように世間知らずのお姫様。そこが単純に気に入らないのである。二人共別段悪人ではないし、嫌う理由は特にないはずなのだが。アレルは自分の中のひねくれた感情をどうしていいのかわからなかった。
「とにかくティカ姉さんやローザ姉さんみたいな美人が傍にいるってのに身分違いの恋するなんて!」
「あら、それはどうもありがとう。でもね、一般庶民の出からすればお姫様って憧れの対象よ」
「俺にはわかんないや」
「庶民の女の子が白馬の王子様に憧れるのと同じよ」
「ふーん」
 アレルはお菓子を食べながら別の質問をした。
「あのさ、ティカ姉さん、こんなことを聞くのを許されるのは子供のうちだけだと思うから聞くけど、結婚したりしないの?」
「相手がいないのよ」
「ランドとウィリアムはそういう対象じゃないんだ」
「あいつらは相棒よ、相棒。特にランドはね、家が隣同士だったの。だからよく知ってるわ。いいところも悪いところもね。ほら、よく伝説に残ってるじゃない? 勇者とその親友の話。勇者には親友であり良きライバルの戦士がいたの。そして共に助け合って、僧侶や魔法使いの力を借りて魔王を倒し、世界に平和を取り戻したってなってるでしょ? 私はその勇者の親友みたいになりたいの」
「でもティカ姉さんは女だよ?」
「いいじゃない? 友情に男も女もないわ。私はランドのよき相棒としてこれからもずっとやっていくつもりよ」
 ランドとセーラ姫の関係を見てから、アレルは大人達の恋愛や結婚に関して気になってきてしまった。余計なことだとはわかっているが、子供の特権として思ったこと素直に言ってみる。
「もったいないなあ。ティカ姉さん、美人なのに。一生独身でいるつもり?」
「私はね、手ごろな相手を見つけて結婚っていうのがね、どうも気が乗らないのよ。今まで告白されたこともあるけど、どうも最終的に結婚ってなるとね」
「男達の嘆く顔が目に浮かぶようだぜ」
「何言ってるのよ。私なんかより素敵な女の人はいくらでもいるわ」
「俺が今まで会った中ではティカ姉さんが一番美人だと思う」
「あら! ありがとう!」
 ティカは微笑むと優しくアレルの頭を撫でた。

 その後、アレルはさりげなく兵士達のところへ行って噂話を聞いてみた。勇者ランド一行の恋愛事情に関する興味はまだ尽きていない。
「勇者ランドはセーラ姫にぞっこんだ。でもいくら勇者として名声を上げてもサイロニア王がなんというか…」
「ティカさんは、あんないい女は滅多にいねえよ。腕っ節は強いが女らしくて、気立てが良くて、料理もうまい。あんな人を嫁さんに貰ったら最高だろうなあ」
「ローザさんも回復魔法は得意だし、薬や医学の知識も豊富だし、まるで白衣の天使みたいだ。ティカさんとは別に俺達兵士の憧れの対象だよ。でもよお、ティカさんもローザさんも、思い切って告白した奴らはみんなふられちまったあ〜!」兵士達は一気に嘆きだした。
「ウィリアムはウィリアムで本の虫だ。勇者ランド一行は残念なことに色恋沙汰とは無縁なのさ。ランド以外はな」

 アレルは今しがた聞いた兵士達の噂について考えながら城を歩き回っていた。
(本来勇者の役割って何かな? たとえ自分が幸せになれなくても身を犠牲にして人々の幸せを願って戦い続けた。そんな伝説はたくさん残ってるけど…まあ、ランドはともかく、ティカ姉さんやローザ姉さんみたいな人が女としての幸せをつかめないままって、なんか寂しいな。そりゃあもちろん結婚が全てじゃないのはわかってるけど…)
 やはり一般的には結婚して家庭を持って幸せに暮らすのが理想であると思われる。特に女性は。それが全てではないと思いつつ、アレルはなんだか寂しい気分になってしまった。
 そんなことを考えていると、またセーラ姫を見つけた。城内の庭園で花を愛でている。そして離れたところからセーラ姫に執着する様子のランドも見つける。
「ランド、おまえこんなところで何やってるんだよ」
「わっ! アレルくん! 驚かさないでくれよ」
 ランドは慌ててセーラ姫に見つからないところまでアレルを引っ張って行った。
「そんなにセーラ姫が好きか?」
「ああ、好きさ! 僕は心の底からお慕いしている! あんなに素晴らしい女性は見たことが無い! 本当にお美しく、優しい方だ」
「確かに美人は美人だけど…俺はどうも好きになれないな。まあ、悪い人じゃないのはわかってるんだけどさ。見るからに恵まれた環境で育って、人生苦労してませんって感じが見え見えじゃん」
「それはお姫様なのだから当然だろう」
「そうとは限らないぜ。いろんな事情があって苦労してるお姫様だっているさ。まあ、セーラ姫もわからないなりに苦しんでいる人達を理解しようとしているんだろうけどな」
 ランドは怪訝な表情になった。愛しのセーラ姫が悪く言われているとなれば黙っているわけにはいかない。しかし相手は子供なので、ここは大人として注意すべきか。判断をしかねているとアレルは話を続けた。
「セーラ姫の優しさは本物じゃないってつくづく思うんだ。恵まれた環境で育って、誰にでもできるような優しいと言われるようなことをやったって、そんなもの本物じゃない。本物の優しさは辛い思いや苦しみに耐え抜いた先に初めて得られるものなんだ。セーラ姫が『優しい』って言われてるのは彼女が恵まれた環境にあるからで、これが一転して逆境に陥ったらどんな風に変貌するかわかったもんじゃないぜ。人は逆境に立たされた時、初めてその人の真価が問われる。本人ですら知らなかった醜い本性が現れて人間として堕ちていく時もあるし、見事に耐え抜いて人間として成長する人もいる。セーラ姫がどんなタイプかはわからないが、まだ逆境を経験してない人が『お優しい』なんて言われても俺には全く同意できないね」
 ランドは唖然としてしばらく口がきけなかった。アレルは見たところ六、七歳くらいである。それなのにとても子供とは思えない発言をする。
「ああ、悪い。ただ恋してるってだけの奴に変な話をしちまった。俺は誰にでもわかるような絵に描いたような善行を積んで、それだけでいい人、優しい人みたいに言われてる人って好きになれないんだよ。真の優しさっていうのはいつだって打ちひしがれるほどの深い悲しみ、苦しみと引きかえなんだぜ」

 その後、ランドはティカの元へ行った。今しがたのアレルのことを話さずにはいられなかったのだ。
「ティカ〜。やっぱりあの子は普通じゃないよ」
「そう、そんなことを言っていたの。アレルくんって何か悲しい過去があるのかしら?」
「あの幼さで? 仮にアレルくんが見た目通りの年齢だとして、あの歳で何を経験したらあんな言葉が出てくるんだ!」
「考えててもしょうがないわよ。アレルくんの記憶が元通りになれば全てはっきりするわ」
「そんな楽観的な…ウィリアムの仮設だと、あまりにも強大な魔力を持つ子供は魔王になってしまうかもしれないんだぞ!」
 ランドはアレルに関する不安でいっぱいだった。あれだけの戦闘能力を持っていて魔王になってしまったら到底かなわない。何か悲しい過去があるのだとしたら魔族はそこを狙ってくるだろう。人間の弱い心を突いて悪の道へ誘い込むのだ。
「大丈夫よ。アレルくんはそんな子じゃないわ。とにかく今の私達にできることはあの子を大切に保護して育てて魔族の手から守ることよ。私、この間アレルくんから聞いたのよ。ヴィランツ帝国から逃げる途中、魔族にしつこく仲間になれって誘われたことを」
「なんだって! やっぱりアレルくんは危険なんだ! 魔族に狙われている…ウィリアムに教えた方がいいな。もっと魔族や魔王のことを調べてもらおう」
「ウィリアムにはもう調べてもらったわ。人間から魔王になった者は人間に対する憎しみでいっぱいになってしまったんですって」
「ティカ…相変わらず行動が早いな…」
「ええ、可愛い弟分のことだもの。当然よ。だから私達はアレルくんを愛情いっぱいに育てて、人間に対して憎しみを抱いたりなんかしないようにすればいいのよ。簡単でしょ?」
「簡単でしょって…」
 ティカの理論は至って単純明快である。二人共正義感が強いが、不安にかられるランドと違ってティカは単純な思考回路で物事を解決する傾向にある。
「アレルくんは私達で守るのよ! あんな可愛くていい子を魔族なんかに渡すもんですか! そして魔族もヴィランツ帝国もまとめて滅ぼしてしまいましょう! 世界が平和になればアレルくんだって悪い奴らに狙われなくて済むわ!」
「そうだな。アレルくんは僕達で守ろう。そしてこの世界に平和をもたらさなければ」
 勇者とその親友、良き相棒の二人はアレルを守ることと、勇者としての使命を新たに決意した。



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