アレルは豪華な一室に案内された。そこには部屋中に煌びやかな装飾がなされており、奥には天蓋付きの大きなベッドがあった。その豪華さはどう考えても王族が使用するものである。自分のような得体の知れない子供にこんな豪華な客室を与えるとは。アレルは呆れた。
「ごゆっくりお休みなさいませ」
 侍女が下がると、アレルは荷物を置いた。そして部屋から抜け出した。窓から壁伝いに、皇帝宮殿のありとあらゆるところを探検し始める。アレルはどのようなところでも隙間からうまく忍び込んだ。アレルの小さく細身の身体をもってすれば入れないところなど無きに等しかった。部屋で寝るのかと思いきや、抜け出してあちこち探検し始めるとは、端から彼を見る者がいれば、この子供は一体何を考えているのか、何をしようとしているのかと思っただろう。
 しばらく宮殿内をさまよった後、アレルは奴隷部屋を発見した。そこには先程鞭打たれ、すっかり弱っている奴隷達がいた。その中にフィレン王国の王子スコットもいた。
「うっ…うっ…」
 身体中の痛みと悔しさで王子は泣いていた。そこへあらぬ方向から声がかかる。
「おい、おまえ」
「…えっ?」
「スコット王子とか言ったな。おまえが奴隷にされている子供達の中で一番元気そうだな」
 スコット王子が見上げると、先程の宴で皇帝と向かい合っていた美しい子供の姿があった。
「俺はアレル。なあ一緒にこの国から逃げ出さないか?」
 スコットはぽかんとした。
「本当は全員助けたいんだけどさ、いくらなんでもそれは無理だ。だから一番元気そうなおまえだけでもと思ったんだけど」
「な、何を言ってるんだ、君は? 一体どこから入って――だいたい、未だかつてこの国から抜け出せた人間はいないんだよ」
「それは知ってる。俺は俺なりに方法を考えたんだ。どうだ、一緒にいかないか?」
「大の大人だって誰も逃げ出せた人なんていないのに無理だよ」
「そんなことはどうでもいい。一緒に来るのか来ないのか?」
「き、君、無茶だよ。悪いことは言わないから皇帝の言うことを――」
 スコットは長い奴隷生活ですっかり気が弱っていた。つい先程も打擲を受けたばかりである。躊躇うスコットにアレルは苛立ちを感じた。
「何だよ! せっかく誘ってやったのに! それなら一生奴隷のまんまでいるんだな!」
「ま、待って! 僕も行く!」
「そうくると思ったぜ」
アレルはにやりと笑った。そしてひらりと身を翻す。
「それじゃあ俺は準備してくるからしばらく待ってろよ。じっとして体力温存しときな!」
「あ、あの、でも、どうやって…」
「足の鉄球は、悪いけどぎりぎりまで待ってくれ。今、外すと牢番に怪しまれる。じゃあな!」
 アレルはあっという間に闇の中へ消えていった。スコット王子はしばらく呆然としていた。あの子供は一体何者だろう? 非常に美しい容姿をしているので皇帝が気に入っているのはわかる。しかし鍵のかかったこの牢屋の中へどうやって入ったのか? それに大人でも未だかつて成功したことのないこの国から亡命するとは本気だろうか? 捕まれば確実に死が待っている。
 しかしスコットはアレルの誘いに応じた。ほんの少しでも可能性があるのなら賭けてみたい。自分はなんとしても皇帝の魔の手から逃れ、反乱軍と合流しなければならない。今となっては滅ぼされた三国の王族の生き残りはただ一人、スコットだけなのだから。

 一方、アレルは宮殿中を探索して回った。そして厩舎に辿り着く。たくさんの馬がいたが、その中でも一匹、とびきりの駿馬がいた。厩舎の中では兵士達の話声が聞こえる。
「こいつはいい馬だ。皇帝陛下に献上すればかなりの額をもらえるぞ」
「すばしっこい奴でなかなか捕まえられなかったんだ。これだけの名馬そうそういないぜ。絶対に逃がすなよ」
 兵士達が会話をしながら出ていくと、厩舎の中は静かになった。そこへアレルは入り込み、駿馬に話しかける。
「なんだ、おまえ。捕まったのか」
「僕の名前はボルテ。野原を自由に駆け回るのが好きだったんだ。だけどこうして人間に捕まってしまった。ああ、これからは鞍をつけられて、蹄鉄を打ち付けられて、人間の思い通りに操られるだけなんだ…しくしく…」
「元気出せよ。他にも人間に捕まった名馬はたくさんいる。そうしょげるなって」
 ボルテと名乗った馬は不思議そうにアレルを見つめた。つぶらな瞳で瞬きをする。
「あれ? もしかして君、僕の言葉がわかるの?」
「ああ。俺は動物の言葉がわかるんだ。ボルテ、俺の名前はアレル。この国を抜け出そうと思っている。連れはずっと奴隷にされて身体が弱ってるんだ。なあ、ボルテ、取引しないか? 俺達を乗せて一緒にこの国を脱出してくれ。その代り俺達が無事なところまで逃げきれたらおまえを自由にしてやる」
「僕の名前までわかるなんて…本当に君は動物の言葉がわかるんだね。ふーん…でも自由にしてくれるなんて本当かなあ? 僕のことだますんじゃない?」
「約束は絶対に守る。おまえの方から俺達についていきたいと言わない限りは」
「わかったよ。じゃあ僕をここから出して」
「よし。これから準備してくるからしばらく待ってろ。縄はほどいておくから。ほら、これならパッと見ただけじゃわからないだろう? じゃあ待ってろよ」
 アレルは亡命するには人間より速く走る馬が必要だと判断した。だから厩舎を覗いたのである。そして一番の駿馬を奪って逃げようというのである。アレルは他にも宮殿中を探索して亡命の準備を整えた。まずはスコット王子の着替え、それからスコットの傷の手当て用に傷薬、軟膏をはじめとした薬草、最後に厨房に忍び込んで食料を手に入れた。
 それから高い屋根の上に上った。アレルは普通の人間にはできない、幾つかの能力を持っていた。小さい子供の姿で驚異的な強さを持つこともさることながら、動物と話をすることもできる。先程の馬のボルテとの会話がそうである。さらに、アレルは自然を操る能力を持っていた。屋根の上でアレルはゆっくり風を起こし、雲を呼び寄せ、徐々に天候を変えていった。やがて雲行きが怪しくなる。暗雲が立ち込め、雷鳴が轟き、大雨が降りだし、強風が吹き始めた。
「ま、とりあえずはこんなもんでいいかな」
 アレルは屋根から降りると部屋に戻り、荷物をまとめた。そしてスコットの元へ行く。
「待たせたな。今、足の鉄球を外してやる。牢屋の鍵も開けてやるから」
 またしてもいきなり現れてテキパキと作業を行うアレルにスコットは驚いた。
「あ、あのー、アレル…くん? 君、一体どうやってここに入ってこれたの?」
「どうやってって。隙間から忍び込んだんだよ。それだけさ」
「へ、へえ。そ、そう。で、どうして鍵を開けたりできるの?」
「そう言われてみれば、なんでだろうな。俺にとってはどこかに忍び込んだり、錠前外しはお手のものなんだ。よし! 厩舎へ行くぞ!」
「馬を盗むの?」
「もう話はつけてある。行くぞ!」
 アレルはスコットの腕を引っ張って走り出した。時には自分より背の高いスコットを抱え上げることもあった。あまりにも素早い身のこなしにスコットはあっけにとられていた。一刻も早く逃げ出そうとするアレルだったが、スコットは亡国の王子である。いなくなったとなればたちまち騒ぎになる。奴隷達がいる棟は兵士でごったがえしていた。
「ご、ごめん。僕が元フィレンの王子だから、いなくなったらすぐわかっちゃったんだ」
「俺がなんとかするから」
 アレルは天候を操り、強力な雷を落とした。皇帝宮殿の一部が崩壊する。
「うわっ! すごい雷だ! こんな天気じゃ無事に脱出できないよ!」
 怯えるスコットに対してアレルは平然としていた。雷も天気も自分がやったことなのだから当然である。
「何言ってるんだよ。こんな天気だから抜け出すのに絶好のチャンスなんじゃないか」
 アレルはさっきとは正反対の方向にまた強力な雷を落とした。崩壊した建物から火の手が上がり、兵士達はてんやわんやの騒ぎになった。
「今のうちに行くぞ!」
 アレル達が飛び出した瞬間、兵士の一団と遭遇した。
「…ちっ!」
 アレルはスコットが見えないように奥へ追いやると、レイピアを抜き、兵士達と剣を交えた。そしてあっという間に死体を積み上げていく。スコットはぞっとした。その幼い身体からは想像できない驚異的な戦闘能力。まばたきひとつせずに平気で人を殺せるその冷酷な目。
「スコット、何やってる! 早く逃げるぞ!」
「君…人殺しができるの?」
「そんなことはどうでもいい! 今は逃げることだけを考えるんだ!」
「そんなこと…?」
 スコットは内心怯えながらアレルに引っ張られて走った。アレルはスコットの傷に触れないように気を付けながら手を引っ張り、走った。落雷により発生した火災は強風で煽られ、あちこちに火がまわる。あいにく大雨はおさまっている。もちろんアレルが調節したのだが。そして宮殿内は大騒ぎになった。そんな中、アレルは厩舎を目指した。ボルテと合流する為に。



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