アレルは厩舎に入ると真っ先に馬のボルテの元を目指した。
「ボルテ!」
「大丈夫? 外はなんだかものすごい騒ぎになってるよ」
「こいつは連れのスコットだ。よし! 今のうちに脱出するぞ!」
 もたもたしている暇はない。アレルは戸惑っているスコットをボルテに乗せると自分も乗り、荷物を載せた。その中には皇帝から獲得した闘技場の賞金、金貨千枚もある。金貨袋を乗せると、どさっと重いものを乗せた音がする。ボルテは一瞬ひるんだ。
「うっ! 何いまのすごく重たいの」
「悪い。人間にとっては生活必需品なんだ」
 アレルは軽く謝ると手綱を引いた。そして一気に厩舎から飛び出す。
「脱走だ!」
 案の定、兵士にすぐ見つかったがアレルは動じない。カマイタチで兵士達を切り裂いた。
「うわっ! な、なに今の?」
 スコットとボルテが驚くのも構わず、アレルはボルテを疾走させた。さすがは稀有の駿馬である。あっという間に宮殿を駆け抜けていく。天候はどんどん穏やかならぬ方向へ進んでいた。あちこちで雷鳴が轟き、稲光が走り、宮殿の建物や兵士達の詰め所を襲った。アレルはそうやって帝国の兵士達のいるところを雷で破壊し、自分達に追手がかからないようにした。
 風は強風で、中にはハリケーンさえ起きていた。それによりまた建物が破壊されてゆく。兵士達は現状把握に必死でアレル達に気を配る余裕などなかった。そんな中、アレルはあらかじめ頭に叩き込んでいた地図を頼りにある地点を目指す。スコットはアレルの後ろに乗っていたが、今、周りに起きている出来事を見ておののいていた。
「い、一体どうなってるの…? 雷もハリケーンもまるで狙ったように兵士達がいる建物ばかり当たってるけど…」
「余計な口きくと舌噛むぞ」
「で、でもアレルくん…」
 帝国の首都ヴィランツインペルから出てもアレルは変わらずボルテを疾走させた。スコットが周りを見ると、どうやら不穏な天候は帝国領内全体に行き渡っているようだ。しかし不思議に思うことがある。どうも自分達の後を誰も追って来れないよう、スコット達の後には凄まじいハリケーンが起きているのである。一体これはどういうことなのか?

 そうして、どれだけ走り続けたであろうか。アレル達は帝国領内の端にいた。そこから先は険しい山になっているので領土には加えられなかったのである。アレルはボルテを止めると馬から降りた。
「悪いけど二人共どこかに捕まっててくれないか?」
「捕まるっていってもどうやって?」
「ボルテはここの木に縄を結んでおくから。スコットは木に捕まってろよ」
「あの…ボルテってこの馬の名前?」
「あれ、言ってなかったっけ? こいつの名前はボルテ。いいからしばらく木に捕まってろよ」
 アレルはスコット達にしっかりと言い聞かせると、また天候を操り始めた。スコットもボルテも怪訝な表情でアレルを見る。一体何をしようとしているのか? ここからだとヴィランツインペルが小さく見える。そして帝国の上空に暗雲が立ち込めているのがわかった。アレルはしばらく時間をかけて天候を操り、台風を作り出した。そして大雨と強風がヴィランツインペルに直撃する。
凄まじい大雨はやがて洪水になり、首都内に浸水し始めた。もはや首都は滅茶苦茶である。しかしアレルの凶手はなおも続く。今度はアレルは地面に手を当て、大地震を起こした。あまりの揺れにスコットとボルテが悲鳴を上げる。ちょうどアレル達といたところから地面が割れ、帝国と何百キロメートルも引き離された。首都内の建物の多くは地震によって崩壊し、まさに壊滅状態になった。

「――おい、おい! 二人共大丈夫か?」
 スコットとボルテが我に返るのにかなりの時間を要した。あまりに信じられない強烈な出来事が目の前で起こったせいである。
「ア、アレルくん、なんだかものすごいことが…」
「ああ、俺、実は自然を操ることができるんだ」
「…え?」
「だからさっき見た雷も台風も大雨も地震も、ぜーんぶ俺がやったってこと。あの帝国から逃げ出せた奴は未だかつて一人もいない。だから普通の手段じゃ駄目なんだよ。今の地震で地形が変わったから追ってはかからないはずだぜ」
 なんだか途方もないことを聞いたような気がする。自然を操ることができる人間など聞いたこともない。スコットは今しがた起きたことを頭の中で整理し始めた。天候が危険な状態で帝国はどんどん被害を受けていた。それにもかかわらず自分達は無事だったのは、これらが全てアレルの仕業だったからだというのである。
「なっ…なんてことを…」
「どうせ俺は一歩間違ったら悪魔だよ。その気になればどれだけ大勢の人間でも命を奪うことができる。それぐらいわかってるさ。だけどおかげでおまえ達はあの国から脱出できたんだぜ」
 スコットはしばらく口がきけなくなったかのようにあっけにとられていた。自然を操ることができる人間など初めて見た。そしてアレルの起こした凄まじい自然現象の数々。あまりのことに呆然として頭が働かない。やがてあることに気づいた。
「あっ! そういえばここは地図でいうとどの辺りなの?」
「ヴィランツ帝国から南東だな」
「そっ、そんな! 僕の国は北西にあるのに!」
「そんなこと知るかよ。大体この国はこのグラシアーナ大陸の北西部にあるんだぜ。北西にある国からさらに北西に逃げてどうするんだよ」
「で、でも僕は母国に戻らなくちゃ…たとえ滅びてしまっていても」
「どうやって? 俺は今さら戻るなんて嫌だぜ。せっかくあそこまで大事起こしてまで抜け出してきたってのに」
 先程アレルが起こした地震でこの辺りの地形は変わってしまった。帝国の追手がかからないようにする為、アレル達が現在立っている場所と帝国の間には地割れが起き、何百キロメートルも離れてしまっている。自力で戻るのは不可能である。
「地形も変わっちまったし、一旦他の国に逃げようぜ。他の国で味方を作って、この辺の新しい地図ができてから、また戻ればいい」
 アレルはこのまま他の国へ行くことを勧める。スコットはがっくりとうなだれた。まだ頭の中が混乱している。はっきりしているのは、当分の間はアレルと行動を共にした方がいいということだ。奴隷生活で心も身体もすっかり弱っている。一人では何もできない。
「アレルくん、君はこれからどこへ行くの?」
「南東に進もうかと思ってる」
「そう…そうだね…ここから南にはサイロニアという大国があるよ。あそこへ行けば帝国の野望を阻止するのに協力してくれるかもしれない」
「大国か。ヴィランツ帝国にはおあつらえ向きかもな。よし、行こう。ボルテもそれでいいか?」
「うん、いいよ」
 かくしてアレルとスコット、ボルテはヴィランツ帝国からの亡命に成功した。次に向かう先は南の大国サイロニアである。

「アレルくん、アレルくんってば、待ってよ!」
 亡命に成功し、まずは手ごろな場所で休息を取ろうとするアレル。まだ真夜中である。たいまつに明かりも灯さずに暗闇の中をすたすたと進むアレルをスコットは必死に追いかけた。
「スコット、俺のことはアレルでいいぜ」
「わ、わかったよ。それよりどうして君はこんな真夜中なのにそんなに速く歩けるんだい?」
「暗闇の中でも目が見えるから」
「え?」
「俺の眼は普通の人とは違うんだ。今が夜で暗闇だってことはわかる。だけど…他の人と比べると俺の眼は明るいところにいるのとほとんど変わらないくらいよく見える」
「君…人間なの?」
 ひどく失礼なことを言ってしまっただろうか。しかし子供の姿で闘技場に出場し優勝したり、自然を操る能力を持っていたり、さらに暗闇の中でも目が見えるとは。普通の子供では到底あり得ない。
「さあ、自信がないな」
人間なのかどうか疑われてもアレルは別段怒ったようでもなかった。手ごろな場所を見つけると野営の準備をする。
「ここなら安心して休めそうだ。近くに川もあるしな。そうだスコット、眠いかもしれないけど傷を洗っておいた方がいいぜ」
「あ、ありがとう」
「帝国の宮殿から薬もくすねてきたからさ。おまえ傷だらけだからな」
「そんなことまでしてくれるなんて、君、優しいんだね」
「優しい? 俺が? 冗談だろ? あ、そうだ、傷洗ったら着替えろよ。適当に服盗んできたから。そんなぼろぼろの服のままでいるのはよくないだろ。ああ後、食べ物もくすねてきたから」
 スコットは唖然とした。まさかこんなに自分によくしてくれるとは思っていなかったのである。アレルとしては自分が気づいた範囲で世話を焼いただけである。
「そんなに至れり尽くせりにしてくれなくてもいいよ」
「何言ってんだよ。王子様の癖に」
「そういう君も綺麗な顔してるよね。どこかの王族や貴族の血を引いているんじゃないかい?」
「俺の顔と愛剣のレイピアを見るとみんなそう言うんだよな。でも本物の王子に言われたくないぜ――ん? どうした?」
「う、うん、あの国ではひどい目に遭わされたから…」
 そう言ったスコットの顔は深刻だった。何があったのか詳しいことは知らないが、余程ひどい目に遭わされたのだろうとアレルは思った。スコットの傷の手当てが終わると、二人と一匹は寝る準備を始めた。
「俺は殺気を感じると起きるように訓練してるから安心して寝ろよ!」
「本当に大丈夫?」
「ああ。モンスターが襲いかかってきても俺が倒す。おまえ、奴隷生活で相当体力消耗してるだろ? もう大丈夫だ。これからはゆっくり休めよ」
「あ、ありがとう…」
 スコットは改めてアレルを見た。自分より年下とは思えないほど冷静で行動力もある子供。初めは戸惑ったが、アレルが本当は優しい子なのではと思った。先程起きた大惨事については、あまりのことに頭の整理がつかない。傍では馬のボルテが優しく頬をなめてくる。もう皇帝の魔の手から逃れたのだと思ったら一気に疲れが出てきた。スコットは間もなく眠りについた。それを見ながらアレルは馬のボルテに話しかけた。
「ボルテ、おまえはどこで自由になりたい?」
「約束通り僕を逃がしてくれるつもりなんだね」
「当たり前だ。もうおまえの好きなところへ行っていいんだぜ」
「そういうわけにはいかないよ。ここはとっても険しい山だから、もっと自由に駆け回れるところに着くまで君達を乗せてってあげる」
「そうか。スコットもまだ衰弱してるからな。できればそうしてくれればありがたい」
 ボルテはアレルを見つめた。アレルの態度はつっけんどんな感じもするが、ちゃんとスコットのことを気遣っている。馬である自分とも対等に接してくる。人間は動物を下等なものと見做すものだが、アレルは違うようだ。
「君は優しいねえ。ちゃんとこの子に思いやりを持って接している」
「何言ってるんだよ。俺はとんでもなく残酷な人間なんだぜ。目的の為なら手段を選ばない。あのヴィランツ帝国にいるうちに、いつの間にかそんな人間になっちまった。俺はそんなの嫌だから、他の国へ行きたいんだ。あんなことやらずに済むような、もっとましな場所へ」
「さっきはすごかったね。あれだけものすごいことがいっぺんに起きれば悪い人間達も僕達を追いかけるどころじゃないと思うよ」
「だろ? 俺なりに考えたんだぜ。あの悪の帝国をひどい目に遭わせつつ確実に逃亡する方法をさ。あれで当分侵略だの奴隷をいたぶるだのくだらないことはやめて首都の復興に専念するだろう。それともいっそのこと滅ぼしときゃよかったかな?」
「君がそこまでやったとしても僕は驚かないけどね。本当は滅ぼすこともできたんでしょ?」
「そうだな。だけど俺だってあそこまで自然を操る力を一度に使ったことはなかったからな。まあ壊滅状態に追いやっただけでも十分だろう」
 そう言うと、アレルは欠伸をした。
「ふぁ…今夜は徹夜だったからなあ。俺達もそろそろ寝るとするか」
「そうだね。今日はもう寝よう。お休み、アレル」
「お休み、ボルテ」
 もうすっかり夜も更けて、辺りは深遠な闇に包まれる。先程の天変地異が嘘のようにここは静かだった。
アレル、スコット、ボルテは穏やかな眠りについた。



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