アレル、スコット、ボルテの三人はヴィランツ帝国領を抜け、南へ向かった。時々出没するモンスター達はアレルがあっという間に片づけた。険しい山道は道がごつごつしていて通りにくかった。アレルとスコットは時々ボルテから降りながら狭い道を通っていった。人気のない山。そこには動物の気配もあまりなく、生命の気配そのものがほとんど感じられなかった。日の光が射したのも束の間、空を仰げばどんよりとした雲が立ち込め、冷たい風が吹きすさぶ。そこは寂しい場所であった。
 アレルとスコットはこの寂しい場所に思いを馳せる。
「…前々から思ってたんだけど、この辺りって荒んでるよな。なんだか自然そのものが死んでしまっているような…ヴィランツ帝国領内ほどじゃないけど」
「そうだね…帝国がフィレン、トディス、カレンツィアの三国を滅ぼしてから、この地方の土地はみんな死んでしまったような状態だよ。以前ほど作物もとれなくなってしまったっていう話だし。それでも帝国は民に重税を課しているんだ」
「あの皇帝が悪政に悪政を重ねていることくらい知ってたさ。だけど帝国領を抜ければそれも終わりだと思ってたんだけどなあ」
「ここは帝国領のすぐ近くだから影響力が強いのかもね」
「少し生命力を与えてやった方がいいかもしれない」
「え? 何をするの?」
 すると、不思議なことが起こった。アレルが手を翳すと神秘的な光が集まり、辺りに広がっていった。そしてみるみる間に木々に生気が溢れ、緑豊かな景色に一変した。空気も水も澄んだ状態になり、隠れていた小動物達も穴から出てきてあちこち飛び回り出した。スコットは驚きに目を瞠った
「すごい! 今のは一体何をしたの?」
「…うまく言えないけど、自分でこうしたいと思うことをやっただけなんだ。この辺りは自然の生命力が足りない。だけど帝国領土よりはある。だから少し力を与えてみたんだ」
「どうやったらこんなことができるの?」
「口ではうまく言えないな。理屈はわからないけど、できるんだよ」
「これも自然を操る能力の一つなの?」
「まあ、そんなところかな」
 その時、邪悪な気配が近づいてきた。勘のいいボルテはうまく距離を取る。
「素晴らしいな。自然界に生命を与え、それでいて昨日のような大災害も起こせる。まさに全ての生命に対し生殺与奪の権利を持っているに等しい。アレルとやら、おまえのやったことは全てわかっている。隠しても無駄だ。あれだけの大災害を起こしてまで亡命しようとしたことは褒めてやる。だがそれもここまでだ。どれだけ帝国の目をかいくぐっても我ら魔界の住人がいる限り亡命者は一人も出さん!」
「…そういえば皇帝は魔族と契約してるって噂があったな。それもあれだけ首都を滅茶苦茶に荒せばそれどころじゃないと思ったんだが…」とアレル。
「それほどの強大な力を我ら魔族がみすみす見逃すとでも思うか!」
 魔族の追手の言葉を聞いてスコットは絶望にかられた。
「そんな…あそこまでしてもやっぱり追いかけてくるの…?」
「我ら魔族を甘く見るでない。さあ、アレルよ、その強大な力を我ら魔族に! さすれば汝をこの世界の支配者にし、崇め奉ろう!」
「さ、ボルテ行こうぜ」
「うん、そうだね」
 魔族の言葉をあっさりと無視するアレルとそれに同調するボルテ。魔族の追手は慌てた。
「ま、待て! 無視する気か? アレルよ! 我ら魔族の一員となれば何もかも思うがままだぞ! そなたなら自然界、魔界の両方を支配できる。我ら魔族は全てそなたに忠誠を誓い、しもべとなろう」
「おまえら、要は力が欲しいだけだろ。それで俺を魔族と契約させて味方に引き込もうってんだな?」
「我々は長い間強大な力を持つ支配者を求めてきた。圧倒的な力とカリスマで我らを統べる魔界の帝王たる器を持つ者を!」
「悪いけど俺にカリスマなんてないから。それに本当に力のある者ほど権力には興味がないんだよ」
「我らは決して諦めぬ! 我ら魔族の繁栄の為ならどのような手段でも使ってみせよう!」
「じゃあ俺も遠慮なく力を使わせてもらうぜ」
 アレルは言い終えるや否や自然を操り、無数のカマイタチを作り出した。カマイタチは魔界の住人を切り刻み、魔族は凄まじい悲鳴を上げて絶命した。
「先手必勝だな。さ、行くぞ」
 何事もなかったかのように先に進もうとするアレルに対し、スコットはすっかり怯えきっていた。
「こ、怖かった…」
「王子のくせに何怯えてるんだよ。情けないなあ。あんなの無視すりゃいいって。あんまりしつこかったら切り刻んじまえばいいんだよ」
「…ある意味、君の方が怖いね」
「俺達を殺すより俺を味方に引き入れたいみたいだったな。やっぱあの力を使ったのはまずかったかなあ。帝国から抜け出せたと思ったら今度は魔族に目をつけられちまった。きっとこれからも追手は来るぜ。早くサイロニアへ行こう」
 そう言うと、アレルはたまたま近くにいた鳥を呼び寄せた。
「なあ、ここから南にサイロニアっていう大きな国があるらしいんだけど、知らないか?」
「ここから南? うん、人間達の作ったとても大きな国があるよ」
「距離はどれぐらいある? 地図がないから正確な距離がわからなくてさ」
「そうだね。ここからずっとずっとずっとずーーーーーっと南だよ。飛んでいくのも一苦労。だけどあっちには餌もいっぱいあって巣も作りやすくて暮らしやすいんだ」
「まだまだ先か。ありがとう」

 しばらく馬のボルテを進ませたところでスコットが話しかけてきた。
「ねえ、アレル。さっきの鳥との会話聞いてたよ。地図持ってないんだって?」
「俺が持ってるのはヴィランツ帝国領の地図だけさ。もう一つは大雑把すぎてわかんないや」
「もう一つ持ってるの? 僕、もしかしたらサイロニアのだいたいの場所はわかるかもしれない」
「いや、ちょっとこれじゃわからないと思う」
 スコットが覗くとアレルはポケットから小さな球を取り出していた。アレルが球を軽く擦るとそれは人間の顔くらいの大きさになった。
「わっ! な、何これ?」驚くスコット。
「古代人の遺産かな」
「古代人の遺産? そんなものどこで手に入れたの?」
「う〜ん、実は、俺が最初目覚めた時にいたのは、ナルディアっていう鎖国状態の島国だったんだよ。そこでは日常生活のいろんなことに機械を使うのが当たり前だった。不思議なものもたくさん見たよ。国の人達は隠してたけど、俺はあそこは古代人の国だったんじゃないかって思ってる」
「その島国からどうやってヴィランツ帝国へ?」
「あそこは鎖国状態にあったから、よそ者の俺は受け入れられないってことになったんだ。まあ、よくある話だな。そうしたらこの『地球儀』ってやつをくれて、どこでも行きたいところへ魔法で飛ばしてやるって言われたんだ。俺は記憶喪失だからどの国がどんなところか全く知らない。それでなんとなく選んだのが運悪くヴィランツ帝国だったんだよ。この『地球儀』は魔法の産物みたいだな。指で擦るだけで大きくなったり小さくなったりする。おまけに俺が今、世界のどこにいるのか教えてくれるんだ。ほら、点滅して光ってるところがあるだろ? ここが今俺達がいる場所さ」
 スコットは地球儀と呼ばれる球を見た。自分の知っている地図とは全く異なる。スコットの知っているグラシアーナ大陸の形をしている部分はその地球儀のほんの一部であった。世界征服を企むヴィランツ帝国も随分小さな国に思えてくる。
「信じられないや。だいたい丸い地図なんて聞いたこともないよ。しかも円形どころか球形だなんて。こんなのが地図だなんて…」
「とにかくこの地球儀じゃ範囲が広すぎてサイロニアの位置なんてわからないんじゃないか?」
「えっと、サイロニアはグラシアーナ大陸の真ん中辺りにあるって聞いたことがあるよ」
「なんだわかりやすいな。じゃあ…この地図だとすぐ近くに見えるけど実際はまだまだ先なんだな。全く、ジェーンおばさんってば、俺がどの国の人間かわからないからこれをくれたのはありがたいけど、ちっとも実用的じゃないよ」
「ジェーンおばさん?」
「記憶喪失だった俺の面倒をみてくれたおばさん。とても優しくていい人だった。俺がナルディア王国にいる間、できる限りのことはしてくれたんだぜ」
 アレルは地球儀を元の大きさに戻すとポケットにしまった。
「俺だって最初はただのガキだった。まだまだ世間知らずなところも多くて…そんな俺を支えてくれたのは数少ない良識ある大人達だった。ジェーンおばさんもそうだし、ヴィランツ帝国に着いてからもいい人に恵まれたよ。…もう二人共死んじまったけど…」
アレルは頭を垂れた。スコットは黙って話を聞いていた。
「一人はフィレン人。おまえの国に仕えてた人だぜ。もう一人は帝国の傭兵。だけどいい奴だった…二人共一緒に亡命しようとして失敗したり、俺をかばってくれたりしたんだ。他にもいろんなことがあって…俺はあの帝国の人間全てを憎むようになっていた。別にあのサディスト皇帝の面が見たかったわけじゃないさ。ヴィランツに来てから二人目の連れ、ユリアスは亡命するなら首都のヴィランツインペルから近いこの険しい山道を越えるのがいいんじゃないかって助言してくれたんだ。もちろんいろいろ検討した上での結論さ。だけどヴィランツインペルに着く前にユリアスは死んでしまった…だから後は俺一人でなんとかしなきゃならなかった。そのうち金が無くなって…金を稼ぐ最も手っ取り早い方法ってことで闘技場に出場した。他の子供には無理でも俺には可能だったからな。金だけ大量に稼いでとっととずらかるつもりだったんだよ。だけど思いの外、皇帝に興味持たれちまった。やっぱ子供が大の大人を負かすのは普通じゃあり得ないんだろうな。そして宴に呼ばれて、おまえ達奴隷にされてる子供達を見て、誰か一緒に連れ出してやろうと思ってさ、一番元気そうなおまえを選んだんだよ」
「そうだったんだ…おかげで僕は君に帝国から連れ出してもらえたんだね。君との出会いには本当に感謝しなきゃ」
「でも俺みたいな死神と一緒じゃ嫌だろう?」
「ううん、そんなことないよ。君には優しい一面もあるもの」
「それはおまえの気のせいだと思う」
 スコットはアレルが本当は優しい子なのだと信じたい。しかし、アレルの方は今まで自分がやってきたことを自覚しているので己が優しいなどとは到底思えなかった。
 南のサイロニアに向けて進むうちに険しい山道も徐々になだらかな丘陵になってきた。スコットはしばらく黙っていたが、アレルという存在に興味津々だった。一体この子は何者なのか? 平気で人を殺せるようだが根本的に悪い人間とは思えない。それに時折見せる深い苦悩を抱えているような表情が気になった。
「ねえ、アレル、君はどうしてそんなに強いの?」
「わからないな。目覚めた頃から普通に剣は使えた。俺の剣の腕前にはみんな驚いてたな」
「それはそうだよ。普通だったら君くらいの歳の子供は大人に守られるのが当然だもの」
「そういうおまえは王族のくせに剣術習ってないのかよ」
「僕の国で剣を習うのはもう少し大きくなってからだから」
「遅い! 物心ついた時くらいから自分で自分の身を守ることくらいできなきゃ駄目だ!」
 アレルの言うことは厳しすぎるとスコットは思った。しかしこの幼さであの強さである。アレルの場合は本当に小さい頃から武術を教え込まれていたのかもしれない。アレルは厳しい表情で話を続けた。
「特に王族はいつどんな状況で命を狙われるかわからない。自分の身は自分で守れるようになっておくのが一番だ。子供だからって大人に守られていれば大丈夫だなんて考え方は甘いな」
「じゃ、じゃあ、僕の怪我が治ったら剣を教えてよ」
「おまえの怪我が治ったらな」
 年下に剣術を教わるというのはなんだか変な感じがした。年下…子供…本当に子供? スコットの中にある疑問が湧いてきた。
「…ねえ、僕思ったんだけど、もしかして君は人間じゃないか、本当は大人なんじゃないかな。だってあまりにも強すぎるもの。大人を簡単に負かす子供なんて信じられない」
「俺が本当は大人だって?」アレルは興味を惹かれたような表情になった。
「うん。きっと薬か魔法で小さくなっちゃったんだよ」
「なるほど。その可能性はあるな。俺って大人じゃないと知らないことまで知ってるし」
「例えばどんなこと?」
「だ、駄目だぞ! おまえはまだ未成年じゃないか! 俺は何故か知ってるけど、おまえはまだ知らなくていいんだ!」
 未成年はまだ知らなくていいこと。スコットは何のことかわかったような気がしたが、それ以上何も言わなかった。そしてアレルはやはり本当は大人なのだろうかと思った。何らかの原因で子供の姿になり、記憶喪失になったのだとしたらあの驚異的な強さにも説明がつく。それに他の子供と比べると子供らしさ、あどけなさが感じられない。
 風は徐々に冷たく吹き付ける風から優しいそよ風に変わっていった。空もどんよりとした雲から晴れ渡った青空になり、徐々に強い日光が照りつくようになった。土地も帝国と比べてあらゆる条件が生命にとって生きやすくなっている。帝国という悪徳が栄えた暗い場所から徐々に、徐々に明るく健全な場所へ行くのと全く同じで土地まで暗く淀んだ場所から徐々に明るい土地へ出ていくようだった。人の絶望に満ちた帝国から希望に満ちた南の国サイロニアへ、アレル達は進んでゆく。




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