アレル、スコット、馬のボルテが南の大国サイロニアを目指して何日か経った。魔族はあの手この手でアレルを味方に引き入れようとしていた。そして今も――
「アレルよ、おまえは風を操るのが得意なようだが、風の属性を持つこの私を倒すことができるかな?」
 今回やってきた魔族は風の属性をまとっていた。風を使った攻撃は全て吸収し、生命力に変えてしまうのである。
すると、その魔族の遥か上から、ざくっと何か斬れるような音がし、巨大な岩が凄まじい轟音を立てて魔族を下敷きにした。アレルはカマイタチで上部にある崖の突端を切り取り、魔物の上に落としたのである。
「さ、行こうぜ」何事もなかったかのようにアレルは言った。
「魔族って何であんなに単純なんだろうな。俺がたまたまカマイタチをよく使っているからって風の属性の魔物で対抗してくるなんて。落盤にはあっさり弱いじゃないか。そもそも俺は自然現象全て起こすことができるってのに馬鹿なことを」
「どうして君はカマイタチをよく使うの?」とスコット。
「火も水も大地を使った攻撃も、その場の条件に合ってないと使えない。その点、風ならどこでも起こすことができる。この世界に空気のないところなんて無いんだからな」
「そうだね。そんなところがあるとすれば水の中くらいかな?」
「水中戦はまだやったことないな。そんな時があったら敵さんまとめて渦潮で沈めてやるぜ」

 その日の夜、アレル達はいつものように寝ていた。アレルとボルテはぐっすりと眠っていたが、スコットは悪夢にうなされていた。それまでは疲労の為、夢を見ることもなかったが、奴隷生活から解放され、アレルとボルテといることで安心感が出てきたのである。祖国を滅ぼされた時の記憶、大勢の家臣や兵士達が殺され、女達はもっとひどいことをされていた。殺戮に気分が高揚した帝国の兵士達。それはスコットが生まれて初めて見たおぞましい光景だった。今でも嘔吐したくなるほど気分が悪くなる。しかしショックを受けている暇もなく、スコット自身も帝国の奴隷にされた。牢屋に入れられ、手枷、足枷をつけられ、毎日のように打擲される。牢番の気分次第でいくらでも傷だらけになり、精神がおかしくなりそうな日々。そんなある日、反乱軍への見せしめとして母親である女王が――
「やめろ! やめろ! 母上ーー!」
 スコットは絶叫を上げて飛び起きた。呼吸は乱れ、汗をびっしょりとかいている。その叫び声にアレルとボルテが起きないはずもなく、二人共心配そうにスコットを覗き込んだ。スコットは泣いていた。ボルテが近寄り、優しく寄り添う。アレルは黙って焚火に火をつけ、スコットに水を差しだした。
「大丈夫か? 飲めよ」
「あ、ありがとう…」
 しばらくスコットはすすり泣きをしていた。その間アレルとボルテは黙っていた。やがて、スコットがぽつりぽつりと話し出す。
「僕の母上は処刑された。僕の目の前で! 皇帝はわざと僕にその光景を見せつけて楽しんでいた! 母上は普通のやり方で処刑されたんじゃない! あんな――あんな――」
 スコットは涙にむせ返り喉がつまるような感じだったが、なんとか言葉を絞り出した。
「あれは…あれは…女性に対して最も残酷な仕打ちだ…その仕打ちをされた挙句、母上は殺されたんだ…皇帝は、母上の女王としての誇りを全て奪い去ってから、女性として最大の屈辱を与えてから処刑してやると言っていた。僕はその時まで何のことか全く意味がわからなかった…母上…あんな…あんな死に方をするなんて…うっ…うっ…」
 それまで黙っていたアレルは急に顔色を変え、その表情は険悪なものになった。ヴィランツ帝国では女性に対する暴力が当然のように行われていた。それは胸の悪くなるような光景である。アレルは初めて女性が乱暴されるのを見た時、相当なショックを受けた。その後、そういったことが平気でできる男達に対し、激しい嫌悪を抱くようになった。アレルは嫌悪感でいっぱいの表情になった。
「…俺が甘かった…あの国では女性にひどいことをする奴があれだけいたのに、そいつらの親玉である皇帝までしないわけがない。でも、仮にも女王である人にまでそんなことをするなんて――! やっぱり殺しとけばよかった」
 アレルは痛ましい心境になった。子供の姿をしているが、何故か彼は男女の交わりについて知識があり、意味を理解していた。だからこそ性犯罪というものを知った時のショックは大きかった。アレルの頭の中にある知識では愛し合う男女が行うものであったからである。それを犯罪行為として行うなど信じられなかった。アレルは改めてヴィランツ皇帝の残虐さを知った。女王という、高貴な身分である女性にまで、しかも息子であるスコットの目の前で乱暴した挙句、殺したとは。アレルは再び嫌悪感でいっぱいになり、身を震わせた。
「スコットと出会うまでにも何度かそういう光景を見てきたけど…あの国は完全に間違ってるよ」
「奴隷生活の中で聞いたけれど、あの国では珍しいことではないって言われたよ…ヴィランツ帝国はあの手の犯罪に溺れていると悪名高いんだ。あそこでは男の僕ですらひどい目に遭わされたもの…」
 そう言うとスコットは再びすすり泣き始め、そのうち大声で泣き出した。その泣き叫ぶ声と彼の身体の随所に見られる生々しい傷がどれだけの虐待を受けてきたかを物語っている。馬のボルテはただおろおろするばかりで、アレルはスコットが泣き止むまで黙っていた。
「…悪いな。俺、こういう時どうしたらいいかわからないんだ。どんな言葉をかけてもおまえの心の傷を癒すことなんてできないし」
「いいんだ。君はあの悪魔のような国から僕を連れ出してくれたし、今でも僕を守ってくれている。それだけでも十分感謝しているよ」
「俺にできることはただありのままに接することだけだ」
「それでいいよ。僕はもっと強くならなきゃいけないんだ。フィレン王国ただ一人の生き残りとして、いつかは国を復興させなきゃいけない。これくらいで、くじけじゃいけないんだよ。皇帝は僕の心を二度と立ち直れないようにする為にいろんなことをしてきた。でもそんなことに負けちゃ駄目なんだ。強くならなきゃ!」
 震えながらそう言うスコットをアレルは痛々しいものを見るように見つめた。
「今はまだ無理すんなよ。ここにいるのは俺と馬のボルテだけだ。好きなだけ泣けばいいし、弱音も吐けばいい。無理して強がる必要なんて全くないんだぜ。サイロニアに着いたらちゃんとした良識ある大人を探そう。サイロニア王がいい人だとは限らないけど、大きな国なら探せば一人くらいまともで頼れる大人がいるはずだ。スコット、おまえの身体の傷はまだまだひどいし、心の状態もそんなんだ。当分サイロニアで保護を受けて、心身共に休む時間が必要だと思うぜ。普通、一回滅ぼされた国が復興するまでには長い年月がかかるんだ。焦るなよ。無理せず、大人になってしっかり準備を整えてからフィレンを中心とした革命軍の元へ戻りなよ。そして国を復興させて平和を取り戻すんだ」
「ア、アレル…! ありがとう!」
 アレルとしては不器用ながらぎこちなくスコットを慰めたつもりだったが、思った以上にスコットは感激していた。相手を傷つけずに喜んでもらえたのならそれに越したことはない。その後、散々泣き腫らしたスコットが眠りにつくと、ようやくアレルもボルテもほっとした。ボルテはアレルをじっと見つめた。
「アレル、君はやっぱりいい子なんじゃない? 見ていてそんな感じがするよ。スコットもあんなに辛そうに泣いていたのに今度は嬉し泣きに変わったじゃない」
「たまたまこいつを傷つけるようなことは言わなかったってだけだよ。同じことを言っても人によっては傷つけてしまうことだってよくあるんだ。その人にとっての『禁句』ってやつがあってね」
「まだ小さいのにそんなことまで考えられるなんてすごいなあ」
「スコットによると、俺は薬か魔法で小さくなった大人かもしれないってよ」
「う〜ん、どうかなあ。僕はやっぱりまだ子供だと思うけど」
「俺もそう思うんだけど、どっか違和感があるっていうか。なんだか変な感じだ。俺って大人の知識も持ってるしなあ」
 子供なのか大人なのかわからないアンバランス。自分のことについて考えるとアレルは頭が痛くなってくる。明らかに子供とは思えないことも言っているのだが、馬のボルテは動物なのでその点についてはあまり深く考えてなかった。
「君は確か記憶喪失なんだってね。他にもいろいろ不思議なことができるし…誰か他の人の記憶でも混じってるんじゃないの?」
「いや、そんな感じはしないけどなあ。どんなに変な違和感があってもこれは確かに俺自身の記憶だと思う。いつか謎が解ける日がくるといいんだけどな」
 二人はなんとはなしにスコットの方を見た。
「スコット、もう大丈夫かな?」とボルテ。
「いや、心の傷ってのは一生消えない傷だと思った方がいい。特に幼い頃に受けた傷ほど深刻なんだ。俺より年上とはいえ、こいつもまだ子供だからな。俺達にできることはただ見守ってやるだけさ。さ、そろそろ寝よう」
 アレル達は確実に南へ向かっている。サイロニアがどういう国か知っている魔族達がそれをおめおめと逃がすはずはなかった。アレルを甘く見ていた魔族達はとうとう本気になる――



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