「ふう…ヴィランツ帝国から亡命してだいぶ経ってる気がするけど、サイロニアにはまだ着かないのかな? ちょっと道を聞いてみるか」
 アレルは近くの鳥達を呼び寄せた。
「なあ、ちょっといいか? ここから南にサイロニアっていう、人間のつくった大きな国があるはずなんだけど」
「ああ、あそこならもう少しだよ。僕らでもひとっ飛びさ。何せおっきな国だからねえ。あそこには伝説の勇者っていうのがいて、魔物退治を行っているよ」
「は?」
「勇者様はとっても強いんだって。おかげで僕らも魔物に襲われずに済んでる。だからここよりも安全なあの国で暮らすことに決めた鳥たちもいるよ。勇者様は神様から神託を受けて、この世界に平和を取り戻す為に戦ってるんだって。それに聖なる剣を扱う聖騎士だっていう話だよ」
 アレルは面食らった。今まで治安の悪い、犯罪の横行するヴィランツ帝国に長く滞在していたこともあり、勇者という正義の味方の話など聞いても胡散臭そうな顔になってしまう。単純な勧善懲悪が通用しない世界を見てきただけに、どうしてもひねくれた解釈をしてしまうのだ。
「伝説の勇者で聖騎士だって? いわゆる王道の正義の味方ってやつか。けっ!」
「あれ? 嬉しくないの?」鳥達は不思議そうに尋ねる。
「俺、正義感強い熱血馬鹿は嫌いなんだよ」
「へえ〜正義の味方でも嫌われることがあるんだね」
「とにかく情報をありがとう」
 スコットには動物の言葉はわからない。アレルと鳥達の会話は半分しかわからなかったが、伝説の勇者という言葉を聞いて詳しく聞きたくなった。
「アレル、さっき鳥達と話してた時に言ってた伝説の勇者って?」
「サイロニアには伝説の勇者と呼ばれる、神託を受けた聖騎士がいるんだとさ」
「ほ、本当? それじゃあきっと僕達を助けてくれるよ! よかった…」
「どうだか。神託を受けた…ねえ…神様とやらが本当にいるとすれば、人選はまともにやってるんだろうな? 世の中のこと全くわかってない馬鹿が正義感振り回すのは下手な犯罪者より手に負えない」
「どうしたのアレル? そんなひねくれたとらえ方しなくてもいいじゃないか。だって神託を受けてるんだよ? きっとその人の力によって世界に平和がもたらされるんじゃないかな?」
「その通り。我ら魔族にとっては邪魔な存在だ」
 その時、突如として出現した魔族。それまで全く気配を感じさせなかった。どうやらこれまでの魔族よりずっと手強そうである。アレル達はとっさに身構えた。
「この峠を越えればそこはサイロニア領。おまえ達をあの忌々しい勇者ランドの元へは行かせん!」
「ランド…それが伝説の勇者様とやらの名前か」とアレル。
「そうだ! あやつのおかげで我ら魔族の同胞が何人も葬られている。これ以上放置してはおけん。ましてやおまえのような強大な力を持つ者を渡すわけにもいかん。アレル、力ずくでも我ら魔族と契約してもらうぞ!」
「元からその気だろ?」
 そう言うと、アレルは馬のボルテを操り、その場から飛び退いた。すると、ついさっきまでボルテがいたところには蔓草が現れており、ボルテの脚に巻きつこうとしていた。
「うわっ!」驚くボルテ。
「ほう。私が馬の脚を狙うとよくわかったな」
「ていうか、やっとその方法に気づいたのかよ」とアレル。
「黙れ! 馬鹿にしていられるのも今のうちだ!」
 その魔族は魔法を使い、アレル達の周囲に蔓草を出し、ボルテやスコットを捕らえようとした。アレルは直ちにカマイタチをつくって切り裂いていく。
「走れボルテ! 俺が合図したらその場所は飛び越えるんだ! 脚をやられないように気をつけろ!」
「うん、わかった」
 アレルは魔族に対して容赦しなかった。カマイタチを出し、小さな竜巻を出して攻撃する。他にも雷を落とし、頭上からは落盤で攻撃した。だが魔族の方も黙ってはいない。己の周囲に結界を張り、アレルの攻撃を防御したりかわしたりしながらもスコットとボルテを少しでも捕らえようとじわじわと攻めていった。ボルテは必死になって駆け抜けていき、なんとかして魔族の手から逃れようとした。そしてアレルの合図がきた時には必ず大きく跳躍した。そうでなければ脚を捕まってしまう。魔族の作り出した蔓草はやがて茨となり、アレル達に襲い掛かってきた。その茨の棘は通常のものより遥かに鋭く、掠っただけでも血が飛び散った。
「ちっ…なかなかやるじゃねえか」アレルは舌打ちした。
「おまえ達をサイロニアへは行かさん!」
「こうなったら仕方がない。ボルテ! あの大木の向こうへ行ったらしばらく隠れていろ!」
「捕まったりしない?」
「なんとか食い止めてみせるさ!」
 アレルは凄まじいカマイタチと竜巻を作り出し、スコットの乗ったボルテの周囲に張り巡らせた。それで結界代わりにしようというのである。そして魔族が茨を操ろうとする暇を与えずにレイピアを抜き、襲い掛かっていった。自分の周囲ならともかく、離れたところでカマイタチを起こしながら戦うのは集中力がいる。決着は早めに着けなければならなかった。アレルはレイピアを使って猛攻を仕掛けた。レイピアの切っ先がまるで巨大な無数の鋭い針のように魔族を襲う。あまりの凄まじさに魔族は怯んだ。その隙を狙い、アレルは一気に止めを刺す。しかし、その魔族は急所を貫かれても尚、息絶えず、身体がバラバラになりながらもアレル達に襲い掛かってきた。
「しつこい奴だ!」
 アレルはレイピアに力を込めると神聖な光を放出し、魔族の残骸を一掃した。魔族のおぞましい肉体は神聖な白光により浄化され、かき消えた。アレルは手で血を拭った。
「ふう…なんとか倒せたな」
「すごい! 今の光は何だったの?」とスコット。
「こいつはちょっと特別な剣なんだよ。それより手当が先だ。あの魔族のせいで俺達全員傷だらけになっちまったからな。毒が入ってなきゃいいんだが」
 アレル達は直ちに傷の手当てに取り掛かった。三人とも血で汚れていた。
「これで最後だといいんだけどな。やっぱり魔法が使えないのはきついや」
「えっ? アレル、君、魔法使えるの?」とスコット。
「使えたような気がしたんだけど…おかしいんだよな。何も詠唱ができない。サイロニアへ行ったら何でもいいから魔法を覚えなきゃ」
「自然を操れるだけで十分すごいと思うけど」
「でもこうやって傷を負っても魔法なら簡単に癒せるじゃないか。毒が入っていたって平気だ。魔法は極めればいろいろと便利なことができるはずなんだ」
 アレルが記憶喪失で旅に出て、初めてモンスターの群れに襲われた時、魔法が使えないことにひどく困惑した。当然のように詠唱しようとしても何も出てこない。自身の記憶と同様に魔法に関しても何故か頭の中は空っぽだった。自分が魔法を使えないことが信じられなかった。かつては使えたのだろうと思われる。だからこそ、アレルはなんとしても魔法を再習得したかった。
「初級魔法だけでも取得して損はないさ。どんなに素質がなくても保険になるだろ? ある程度熟練すればそれだけ魔法力は高まるし、例えば薬草が切れてた時、ほんの少しでも魔力が残っていれば傷を回復できる。そのほんの僅かな差で生還できる時だってあるんじゃないかな」
「ふうん…でも君は剣士なんだよね? 魔法も極めようとしたら器用貧乏になってしまうかもしれないよ。あんまり欲張らないようにね」
 傷の手当てが終わると、アレル達はその場を立ち去った。今でも蔓草、茨の執拗な攻撃が鮮明に思い出される。そして魔族のおぞましい最期。身体中バラバラになりながらも襲い掛かってきた時の姿はあまりにもぞっとするものだった。あのようなものと何度も遭遇したくはない。アレル達は南へ急いだ。

 日が暮れ、辺りは徐々に暗くなってきた。茜色の夕焼けが消えると夜の帳がおりる。
その夜、アレルは焚火のはぜる火を眺めながら呟いた。
「そういえばさっきの魔族が言ってたよな。この峠を越えればサイロニア領だって」
「そんなことも言ってたっけ? それじゃあ、あともう少しなんだね」
スコットは昼に出会った魔族との戦いばかり印象に残っていて、あの魔族が最初に言った言葉などすっかり忘れていた。あと少しで安全な場所へ辿り着くと思うと安堵を隠せない。アレルの方はサイロニアがどんな国か考えていた。
「あの魔族の口調だと、サイロニア領はあまり魔族が幅を利かせられる場所じゃないみたいだな」
「きっと勇者様がいるからだよ。あっ! そうだ! アレル! 君のそのレイピアは一体どんなものなんだい?」
 先程の魔族との戦いで見たアレルのレイピアは、神聖な光を放って魔族の残骸を葬った。普通の剣とは違う。スコットは興味津々になった。
「これは俺が目覚めた時から持っていた剣さ。俺の身元の唯一の手がかりだ」
 アレルの持っているレイピアは見たところ王侯貴族が使う、由緒ある名剣のように見える。
「こいつを見るとみんな俺はどこかの王侯貴族じゃないかって言うんだよな。この剣はちゃんと名前もあるんだぜ。ほら、よく見てみろ。刃の部分に文字が彫ってあるだろ? 『エクティオス』って書いてある。これがこの剣の名前なんだ。こいつはちょっと特殊な剣なんだ。とても硬くてどれだけ使っても折れたり刃こぼれすらしない。逆に重量のある大剣や斧ですら真っ二つにしちまう」
 アレルの説明を、スコットは感心して聞いていた。
「こんなに細いレイピアなのに不思議だね。それでさっきの不思議な光は?」
「神聖な光を放出して不死の魔物アンデットや魔に属する者を消滅させる。魔法みたいに広範囲に渡って攻撃できるから結構便利なんだぜ。他にも変わった特徴がまだある。こいつは俺を持ち主だと認めてるんだ。俺がこいつに語りかけると、こいつは決まって光を放って応えてくれるんだ。今だって、ほら、光ってるだろ?」
 エクティオスと名付けられた謎の名剣は、アレルに反応して神秘的な光を放つ。
「君の言葉に反応しているの?」
「そうみたいだ。どうも俺が、自分自身に迷いや不安がある時にこいつを眺めると、いつもこいつは安心させるように光を放つ。俺みたいな出自のわからないやつが持ってていいのかって語りかけても、こいつはまるで忠誠の証みたいに光を放つんだ。ただの光だって思うかもしれないけど、俺にはそう感じる。こいつは今まで幾多の戦いを生き延びてきた、俺の唯一の相棒なんだ」
 そう言ってアレルは愛剣エクティオスを握りしめ、見つめていた。エクティオスは静かに光を湛えている。そこにはなんとも不思議な信頼関係があった。
「アレルの持ってるその剣って、伝説の剣とかじゃないかな? 自ら持ち主を選ぶ剣があると聞いたことがあるよ。おとぎ話だけど。でも君とその剣を見ていると本当に存在するんじゃないかと思うよ」とスコット。
「こいつは元々俺のものだったような気もしてくるんだ。俺が話しかけると必ず反応するし。こいつ自身も俺が持ち主で満足してるのかな」
「それはきっとそうだよ! 君みたいなレイピアの名手が持ち主だったら剣の方だってきっと本望だよ」
 アレルは、ふっ、と笑うとエクティオスをしまった。

 それからしばらくして、アレル達は無事峠を越えた。地図が無いので具体的な地名はわからない。ただ、その土地のまとう空気がそれまでとは明らかに違った。緑豊かな自然。雲ひとつない澄み渡った空。気持ちのよい風。小鳥達のさえずり。小動物達の駆け回る音。美しい自然に見とれながら、アレル達は歩を進めた。彼らはとうとうサイロニア領に辿り着いたのである。



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