サイロニア領に着いてしばらく、アレルは黙って馬のボルテを進めていた。
「なあ、ボルテ。もうここまで来たら安全だと思う。手ごろな場所でお別れしてもいいぜ」
「えっ? 何を言うの! アレル!」
 スコットは驚きながら、かつてアレルと話したことを思い出した。アレルは動物と話をすることができる。ヴィランツ帝国亡命に当たって、捕らわれていた名馬のボルテと話をつけたのである。ボルテを逃がす代わりにアレルとスコットを帝国から逃げ出すのに乗せていくこと。それが約束だった。
「スコットは黙ってろよ。これ以上進むと人里に近くなる。それにこの辺りは馬が自由に駆け回れる草原だ」
「アレルは偉いねえ。ちゃんと僕との約束守ってくれるつもりだったんだ」
 ボルテは感心しながら歩を進めて行く。
「約束は絶対に守るって言っただろ?」
「そう言ってだます人間がよくいることは知ってるよ。でもありがとう。僕も本当のこと言えばそろそろ自由になりたくて…」
「遠慮しなくてもいいさ」
「そんなあ〜!」スコットが抗議の声を上げる。
「あーもうスコットうるさいぞ! じゃあここでお別れか。もう人間に捕まったりするなよ」
「うん、アレル、今まで本当にありがとう」
 アレルはボルテから降りた。そしてスコットも無理やり降ろす。
「アレル、元気でね。スコットも一緒にいられて楽しかったよ」
 そう言うと、ボルテはスコットの頬を優しく舐めた。スコットは寂しそうである。
「ううっ…ボルテ、本当に行っちゃうの…?」
「スコット、ボルテは馬だ。人間とは違うんだよ。それに名馬ほど飼いならされるのが嫌いなもんだ」
「そういうこと。ごめんね、スコット――って言ってもスコットに僕の言葉はわからないか」
「ボルテ…さようなら…」
 スコットはボルテの目と雰囲気でなんとなく察したのか、素直にお別れを言った。ボルテもそれに応える。
「うん、さよなら」
「じゃあな、ボルテ」
 別れが済むと、ボルテは広々とした草原に向かって走り出した。自由を勝ち取った名馬は草原を我が物顔で駆け抜けていく。
「ああ…せっかくの名馬だったのに…」
「未練がましいぞ、スコット」
「これから歩き?」
「そういうことになるな」
 スコットはがっくりとうなだれた。
「安心しろよ。さっき動物達に道を訊いたところによると、日が暮れる前にはどこか近くの村に着くはずだぜ」
 その通りだった。ボルテと別れて数時間歩き続けると小さな村が見えてきた。そこはライマの村といい、村人達は至って平凡で善良な雰囲気の者達ばかりだった。ヴィランツ帝国の人間とあまりに違い過ぎるその善良さにアレル達はたじろいだ。もう忘れかけていた、人間の温かみ。
「なっ…なんて平和なんだ。平和すぎる。ヴィランツの悪夢が嘘のようだ。みんな見るからにいい人達ばかりだよ。ここの人達は間違っても子供を奴隷商人に売り飛ばしたりはしなさそうだな。ヴィランツでは日常茶飯事だったけど」
「そうだね」スコットも相槌を打つ。
「しっかし…こうして人里まで辿り着いたはいいが、俺達肝心なことを忘れていたな。俺達は二人共子供だ。子供だけじゃ普通宿屋に泊めてくれないよな」
「! そっ、そういえば! それにお金だって…」
「し、しまった…! 今の俺の所持金は………『金貨』しかない」
 アレルはヴィランツ帝国から亡命する前に闘技場で優勝している。賞金の金貨千枚を眺めながら、どうするかを考えた。金貨では金の単位が大きすぎる。かといって、他にアレルが持っている銅貨はほんのわずかだ。辺境の村では金貨を見ることは滅多にないらしい。金自体はあるのだが、金貨を出したら村人達はさぞかし驚くだろう。
「しょうがないなあ。ここの人達は本当にいい人達ばかりみたいだし、ここは大人しく子供として振る舞うとするか。金貨しか持ってない理由は…没落貴族の息子とでも名乗っておくかな」
 そう言うと、アレルは近くの村人に話しかけた。
「すみませーん、村長さんの家はどこですかー?」
「何だい、坊や達。見たところ旅してきたみたいだが。小さな子供が二人で旅なんて危険だなあ。村長さんなら村の奥の一際大きな屋敷にいるよ」
「ありがとうございまーす」
「ねえ、アレル、村長さんの家に泊めてもらうの?」
「いい人なら泊めてくれるだろう。多分。それに金もあるし」
 その村の村長はアレル達の予想に違わず善人であった。あちこち傷だらけで旅にくたびれた様子の二人を見て、できる限りのもてなしをしてくれた。
「これはこれは可愛いお客さんだ。ライマの村へようこそ。さあ、お腹が空いているだろう? たんと召し上がれ。おかわりもあるからたくさん食べなさい」
 久しぶりの野宿以外の食事にアレルとスコットは大喜びだった。二人共次から次へと食べ物に手を伸ばした。村長は当然のことながらアレルとスコットの出自について聞いてくる。アレルは先程決めたように没落貴族の息子だと名乗っておくことにした。
「ふ〜む。スコットくんとアレルくんは元貴族の息子だったのか。それで君達はどこから来たのかね?」
「北のヴィランツ帝国から逃れてきました。あそこは今、とってもひどいことがたくさん行われています。僕達、あまりの仕打ちに耐えられなくて逃げ出してきたんです」
(…僕?)
 スコットはアレルが『僕』というのを不審がった。態度もいつもとは違う。一方、村長は明らかに年長であるスコットではなく、アレルの方が代表して話すのを怪訝に思っていた。
「そうかい。それは大変だったねえ。ここは辺鄙なところだから遠い国の噂なんかほとんど入ってこない。きっとそのヴィランツ帝国というのはさぞかしひどい国だったんだろうねえ。子供二人で随分苦労したことだろう」
「あの、ありがとうございます。こんなにおもてなしをして頂いて、何と言っていいか…」
今までと明らかに態度が違うアレル。
「いいんだよ。君達はまだ子供じゃないか。本当は大人に保護されるべき年齢なのだよ。何も遠慮することはない」
「でも、僕達、大人と違ってたいした代価をお支払いすることもできなくて…」
「子供からお金なんて受け取れないよ」
「そんな! そういうわけにはいきません! あ、あの! 僕達、お父様からもらったお金を今まで大事に使ってきたんです! でも、ほとんど使ってしまって…」
 アレルはそう言うと硬貨を両手で握りしめた。スコットはアレルの変わり様と勝手に作り出した話に呆れている。
「今、僕達が持っているのはこの『金貨一枚だけ』なんです!」
「き、金貨!?」
 アレルが握りしめていた金貨を見せると村長の目は飛び出た。
「そ、そうか、さすがは貴族様のご子息だね…いや、しかし、それが最後の所持金なのだろう? 持っておきたまえ」
「あの、それでは両替してくれませんか?」
「そ、そうだね。子供には大金すぎる。銀貨と銅貨に分けてあげよう」
「ありがとうございます。残り金貨一枚じゃ使うのにどうしようかって正直途方にくれてたんです」
(残り金貨一枚ねえ…)
 スコットはツッコミたくなったが、ぐっとこらえた。本当はアレルは帝国の闘技場で優勝し、賞金の金貨千枚を持っているのである。それにしてもアレルがあそこまで相手によって態度を変えるとは思わなかった。彼の意外な一面を見た気分である。村長の方は、金貨を見ることは滅多にないので非常に珍しそうに見ていた。まさか幼い子供から金貨を渡されるなどとは思ってもみなかったらしい。そして大切そうに金貨をしまった。
「あの、村長さん、もう一つお願いがあるんです。この辺りの地図を頂けないでしょうか? できればサイロニアの首都までの道のりが書いてあるものがいいんですけど」
「それくらいならお安い御用だよ。首都サイロンまで行けば勇者様がいらっしゃる。噂に聞けば勇者様は魔物に滅ぼされた村の親を失った子供達を保護する活動をなさっているとか。君達もご両親を失ったのなら勇者様を頼るといい」

 ――その夜。
「アレル、今日はまた随分変わったことをやってのけたねえ。今までの相手とは随分態度が違うじゃないか」
「善良な相手には善良な子供として振る舞わなきゃな。そういう意味では俺は人畜無害なんだぜ」
「よく言うよ」
 スコットはため息をついた。今日のアレルの立ち振る舞いについて思ったことはあったが、言うのはやめにした。アレルの方は別のことを考えていた。
「親を失った孤児を保護している、ねえ…サイロニアにいる勇者ってのは慈善事業が好きなのかな? 魔物退治やってくうちにやらざるを得なくなったのかも」
「アレル、君って相変わらずひねくれた言い方するねえ。素直にいい人だと思えばいいじゃないか」
「どうも正義の味方ってのがな〜ヴィランツ帝国にいたせいか斜めに構えた見方しかできなくなっちまった」
「そのヴィランツ帝国の悪行を知らせればきっと力になってくれるよ。僕、希望が湧いてきた!」
「まずはどんな奴か面を拝見、だな。ただのお人好し馬鹿、熱血馬鹿じゃないといいけど」
「もう! アレルったら!」
何故こうもひねくれたことを言うのだろうとスコットは思った。
「そう言うけどな、俺はもうヴィランツ帝国には行きたくない。だけどおまえは戻らなきゃいけない。ちゃんとおまえを任せられる奴かどうか見ておきたいんだよ」
「そんな保護者みたいな言い方よしてよ。僕は君のこと、本当は大人かもしれないって言ったけど、見た目は僕の方が年上なんだからね!」
「はいはい」
 見た目はスコットの方が確実に年上なのだが、アレルの言動を見ていると、とても子供とは思えない。本当は大人かもしれないが見た目は子供だと思うとなんだか変な感じだ。
「アレルって責任感強いよね。僕が怪我してるから守らなきゃって思ってるんでしょ?」
「責任感…ね。ま、性分だからしょうがねえな。責任感強くたって何もいいことないけどな」
「そう? いいことじゃない?」
「他人にとっては、だろ? 当人は損することばかりだ。世の中いい加減な奴ほどいい目をみるようにできてるのさ」
「そんなことないと思うけど…」
「さ、今日はもう寝るぞ。早くサイロニアに行こうぜ」
 二人はお休みを言って寝た。最後に柔らかいベッドで寝たのはいつだろう。特にスコットにとってはもう遠い昔のことのように思えた。人の温かい対応と美味しい食事、そして柔らかい毛布の心地よさ、全てが暖かく、癒される。今まで人の好意というものにあまりにも無縁だったような気がする。アレル達はこれまでの緊張感をすっかり拭い取って安らかに寝入った。



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