アデリアスが目を覚ました時、そこはお世辞にも清潔とは言えない部屋だった。そこかしこに物が散らかっており、足の踏み場がない。そんな部屋の狭いベッドに横たえられていた。傍にはこの部屋の主と思われる女性がいるのだが、何やら非常に慌てた様子で部屋の片づけをしていた。魔族に何らかの術を使われ意識を失ったのが一体どういう経緯でここにいるのか。アデリアスは女性に尋ねてみることにした。
「あの……」
「あっ! お嬢ちゃん、気づいたのかい。悪いねえ。あんたみたいないいとこのお嬢様をこんな汚い部屋に連れてきちゃってさ。待っとくれ。今片付けるから」
 女性は簡単に部屋の片づけを終えるとアデリアスに向き直った。
「さあ、まずはお嬢ちゃんのことを教えとくれ。あんた、名前は?」
「わたくしの名はアデリアスと申します。ルヴァネスティ王国の第一王女ですわ」
 女性は目を見開き、信じられないといった表情でしばらくぽかんとしていた。
「この国の王女様だって?」
「はい。ちゃんと王家の証も持っておりますわ。それにお母様と一緒に民の前に姿を見せたこともあるのですけれど、ご存知ないかしら?」
「あ、いや、えっと、あたしは……」
「あなたのお名前は何と仰いますの?」
「あたしはジャネット。ルヴァネスティの裏通りに住んでるんだよ。つまりここは裏通りの一角なんだけどね」
「裏通り……犯罪者の巣窟と言われる治安の悪い場所と聞いておりますけれど」
「そうさ! だからびっくりしたんだよ。何だってこの国の王女様がこんな場所に倒れてたのかってね!」
「魔族がわたくしに向かって何か術を使ったのです。それでわたくしは意識を失って、気がついたらここにいたのですわ」
 アデリアスはジャネットという女性に自分のことを話した。幼いながらに神託を受けた勇者であること。旅立ちの準備をしていたら魔族がやってきたこと。それをジャネットは納得いかないという表情で聞いていた。
「お嬢ちゃん、あんた今いくつだい?」
「七歳ですわ」
「なんてこったい。たった七歳の女の子が勇者だなんて。それも王女様だろう? 普通、お姫様って言ったら一生城の中で大切に守られて暮らすもんじゃないか」
「わたくしは第一王位継承者。いずれは女王となってこの国を治める立場にあります。この国の民を守るのがわたくしの役目」
「そういうことじゃなくて……あんたはまだまだ子供だ。そんな小さな身体で無理をするんじゃないよ」
「このユーレシア大陸も魔族による被害は甚大です。そのようなことは言っていられませんわ」
 アデリアスは先程の魔族と対峙した時のことを思い出し、悔しさでいっぱいになった。
「ああ! なんということでしょう! いくら実戦経験がないとはいえ、初めて魔族を相手にした時、わたくしは何もできなかった。怯んでしまった自分が悔しい」
「七歳の女の子としては普通の反応だと思うね」
「魔族は先手を取ってわたくしを亡き者にしようとしてきたのです」
「ちょっと待った。仮に殺されそうになったとして、一体どうしてこんな場所にワープしてきたんだい?」
「あの魔族は、自らの手は汚さずに、わたくしが人間に殺されるように仕向けるつもりだったようです」
「つまり――こんな治安の悪い場所に何も知らない女の子を一人放り込めば簡単に死なせることができると? なかなか悪辣なやり方じゃないかい」
「ジャネットさん、助けて頂いてどうもありがとうございます。改めてお礼を申し上げますわ。わたくしはこれから城に戻らないと。お父様もお母様もきっと心配していらっしゃるわ」
「礼には及ばないよ。それに城まではあたしが送っていってやるよ。帰ろうにも道がわからないだろう?」
「そうですわね。それではジャネットさん、道案内を頼みますわ」
「道案内と、あんたの護衛だね」
 ジャネットは隠し場所から二本の剣を取りだした。
「まあ! ジャネットさん、あなた剣士ですの?」
「まあね。剣で稼ぐこともあるよ。あたしにとってはこの身体が商売道具なのさ。いろんな意味でね」
「商売道具だなんて、そんな言い方をするものではないですわ」
「あたしはスラム育ちのあばずれだよ。お嬢ちゃんには想像もつかないようなことをいっぱいやってきたんだ。それはさておき、早くあんたを城へ帰してあげなきゃね」
 アデリアスとジャネットは外へ出て裏通りから表通りへ行こうとした。その時、異変が起きた。辺り一面に黒い霧がかかり、ただでさえ薄暗い裏通りが暗闇に包まれていったのだ。
「な、何が起きたんだい!?」
「大変ですわ! この場所が外界から遮断されています!」
「何だって!」

 裏通りの異変はアデリアスの父ラドヴァンの元にも届いた。
「一体何が起きたのだ!?」
「殿下、大変です! 裏通り一帯が暗闇のドームに包まれております。外部からの侵入は不可能になっております」
 その時、アデリアスを襲った魔族が現れてラドヴァンを挑発しにきた。現れたといっても幻影を飛ばしているだけである。
「おやおや、ラドヴァン大公、ご息女が心配ですかな?」
「貴様、魔族だな! アデリアスをどうした!」
「フフフ。神託を受けた子供を放っておくとでも思いましたか? 悪い芽は早いうちに摘むべきですよ」
「アデリアスはどこだ!」
「もちろん、あの裏通りの中ですよ。あの犯罪者の巣窟で果たして生き延びられますかねえ。ま、無残な死を遂げるのがオチでしょうね」
「貴様!」
「おっと、今の私はただの幻影。いくら攻撃しても無駄ですよ。さて、それではあの裏通りにいる愚かな人々を凶暴化させる術でも使いましょうかね」
「やめろ!」
「あなたはここで指をくわえて見ているといいですよ。可愛い娘がどんな目に遭おうとなすすべもない。己の無力を嘆くがいい!」
 魔族はラドヴァンを嘲笑すると消え去った。
「アデリアス!」
 ラドヴァンの顔は蒼白になった。



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