「セドリックはティカ姉さんのことが好きなのか?」
「もちろん。明るくて勝気で魅力的なレディだと思うよ」
「結婚するのか?」
「へっ!? 何でいきなりそんなところまで行くんだよ」
「だって好きならちゃんと告白して結婚を前提に交際を申し込んで――」
「アレルくん! 君の考え方ってどうしてそうお堅いんだ!」
 そこへガジスが口をはさんだ。
「ちょっとストップ! アレルくん、君についてちょっと心当たりがあるんだけど」
「えっ?」
「あの浄化の魔法といいそのお堅い考え方といい、君はもしかしてザファード大陸の人間じゃないか?」
 アレルは、はっとした表情になった。この世界にある全ての大陸の名前でザファードの名前だけが聞き覚えがあった。セドリックは怪訝な顔をする。
「ザファード大陸? このグラシアーナ大陸の東にある閉鎖状態の大陸か? あそこは他の大陸と交流を絶っている。ガジスとか言ったな、何であんたはあの大陸のことを知っているんだ」
「それは秘密。それよりアレル君、その顔からするとザファードに心当たりがあるんじゃないのかい」
「ああ。大陸の名前の中でザファードだけが記憶にあったんだ」
「やっぱり」
「ガジス、どういうことなんだ?」
「アレル君が使った死者を悼む為の浄化の魔法、あれはザファード大陸の聖職者が使うものだよ」
「えっ? じゃあ俺は聖職者なのか? 確かに聖剣は使えるけれど」
「じゃあアレル君はザファード大陸の出身なのか」とセドリック。
「その可能性が高いね。おまけにさっきの結婚に対するお堅い考え方。あれはザファードの民のものだと思うんだけど」
「ガジス、ザファード大陸についてあんたが知っていることを教えてくれ」
「ザファードは貞淑を重んじる女神シャリスティーナが生み出した民だ」
「え? 女神?」
「うん、この世界には多くの神々が存在する。その中の一人が貞淑の女神シャリスティーナ。彼女は何より貞淑、貞節を重んじる女神様。だから男女の浮気とか多くの色恋沙汰がどうしても許せないんだ。そんな彼女はある時、自らの手で民を生み出した。きちんとした手順を踏んで結婚する男女。その後浮気することもなく一生誠実な夫と貞淑な妻であるような、そんな夫婦になるように。人間の性欲や邪な心をある程度取ってしまったという話だ」
「な、何だって?」
 アレルはぽかんとしているし、セドリックも今聞いた話に驚いている。
「さっきアレル君が言ったように、好きな異性ができたら結婚を前提に交際を申し込んで、挙式までは契りを交わさない。ザファードの民にとってそれは当たり前のことだ。女神シャリスティーナが理想とした通りにね」
「そ、そりゃあ一応建前はどこもそうなってるけどよ、実際は一夜の過ちとかいろいろあるだろ」とセドリック。
「ザファードの民にはないことなんだよ。女神様がそう創ったんだから。だから女遊びするような男もいないよ。ザファードへ行っても娼館なんて一つもないからね。本当に」
「そんな馬鹿な! それじゃあモテない奴は男の欲望をどうやって発散すれば」
「寂しい思いしてそれで終わりじゃないのか」
「そ、それは酷い!」とセドリック。
「何が酷いんだよ! そもそも情事っていうのは結婚という神の祝福を受けて結ばれた男女だけが許される神聖な行為なんだぞ!」とアレル。
「うわあ、それを真顔で言う辺りが正にザファード人だね」とガジス。
「何か変なのか? 浮気する方がおかしいじゃないか。本来のあり方じゃない」とアレル。
「いや、まあ、それはそうなんだけど……」
 記憶を失って目覚めて以来、アレルの中にあった結婚に対する当然の考え方。それはアレルにとっては当たり前でも他の大陸の人間にとってはそうではないようだ。それがどうしても理解できない。理解できないのはザファードの民だからではないかとガジスは言う。
「ううむ……ガジスの今の話が本当だとすればこのアレル君のとんでもなくお堅い考え方も理解できるな……俺みたいなのはザファード大陸には行かない方がよさそうだ」
「言い伝えによると、快楽を楽しむ神がシャリスティーナの行為を非難したそうだ。彼女は色恋沙汰が嫌いだからという理由でザファードの民には人間が持っている性欲と邪な心をある程度取り去ってしまった。何故そんなことをしたのかと聞かれたシャリスティーナは一言こう答えたそうだ。『だって汚らわしいんですもの』」
「うわあ、恐ろしい話だ」とセドリック。
「俺はその女神シャリスティーナの考えは尤もだと思うけど」とアレル。
「ううっ……やっぱアレル君はザファードの民なんだと思うな」とガジス。
「じゃあアレル君が記憶を取り戻す為にはザファード大陸に行かなければならないんじゃないのか?」とセドリック。
 アレルは黙っている。
「ガジス、ザファードについて他に知っていることはあるか?」とセドリック。
「詳しいことは知らないけれど、確かあそこには代々聖騎士や僧侶などの聖職者を生み出している聖王家があったはずだが」
「せ、聖王家!?」
 聖王家という言葉を聞いた途端、アレルは目の前が真っ暗になった。頭の中が暗く淀んだものでいっぱいになっていく。それに気づかないセドリックとガジスは話を続けていく。
「うん、ボクはアレル君がその聖王家の人間なんじゃないかと思ってる。それもかなり位の高い王族だ」
「聖王家……何だか知らないがものすごく由緒ある家柄の王子様なのか?」
「アレル君?」
 先程からアレルは黙りこくったままである。セドリックとガジスは怪訝な顔をする。なんとアレルの顔色は蒼白だった。
「ア、アレル君? 顔色が真っ青だぞ! 一体どうしたんだ?」
 アレルの思考の中に何かどす黒いものが入ってきた。嫌な記憶、辛い記憶、悲しい記憶。やるせない思い。アレルはうわ言のように呟き始めた。
「…ザファード大陸の人達はみんないい人達ばかりだよ…みんな完璧な善人さ…あの人達を否定しようとしたら俺が悪人になってしまう…そう、俺だけが間違っているんだ…俺という存在は…間違って生まれてきたんだ…俺が生きているのは悪いことで、俺が死ぬのはいいことなんだ…俺なんか…生まれてこなければよかったんだ……………うわああああっ!!!!!」
 アレルは急に取り乱し、大声を上げて壁を殴りつけた。格闘技の心得のある彼が力いっぱい殴ると壁は崩れ、手からは血が流れる。
「アレル君、しっかり!」
 アレルは高熱を出して倒れた。

「何が起きたんだ? アレル君は一体どうしたんだ?」とセドリック。
「さっぱりわからない。なんだかものすごく辛い記憶があるのかなあ。思い出そうとしただけでこんな風になってしまうなんて」とガジス。
 セドリックとガジスは慌ててアレルを介抱した。アレルは苦しそうに高熱にうなされている。
「これは下手に記憶を掘り起こそうとしない方がいいかもしれないぞ。しかし、それにしても一体何があったんだろう。ザファードの民が子供に酷い仕打ちをするとは思えないが」
「結婚に関してお堅いのはわかったが、そんなに善良な人達なのか?」とセドリック。
「ザファードの民は子供をとても大切にする民族だ。決して虐待したりしないはずなんだが」とガジス。
「なんだかよくわからないが、さっきアレル君が呟いたことによると、うわべはいい人でも実際は嫌な奴らなのかな」
「ふーむ、ザファード大陸の聖王家に何か異変が起きたんだろうか? それともアレル君が強大な暗黒の力を秘めているから、それで迫害するような真似でもしたんだろうか?」
「強大な暗黒の力?」
「うん、アレル君はこの世界のどの魔王より魔力が高いよ。その気になれば全ての魔族、魔王、大魔王を従えることができる。聖剣の使い手なのにこれだけ大きな暗黒の力を秘めていたら聖王家はどう考えるかな……」
「今まで聞いた話じゃザファードの民っていうのは潔癖症のきらいがあるようだしなあ」
「それはあるだろうね。特に聖王家なら」

「…う…」
「アレル君、大丈夫かい?」
「……ガジスか。セドリックはどうしたんだ?」
「今はいないよ。お医者を呼びに行ったんだ」
「医者なんかいらないよ。これは精神的なものが原因だから」
「精神的なものが原因って自分でわかってるのかい?」
「まあな。あんまり深く考えるとまたおかしくなっちまいそうだけど」
「君は何かとても辛い思いをしてきたのかな」
「それなんだけどさ、考えれば考えるほどよくわからないんだ。そもそも俺は本当に八歳なのかな……もう二十年は生きてるような気がするんだけど」
「二十年もの間、君はどこで何をしていた?」
「とても暗いところで果てしない絶望に苦しみながら生きてきたような……それも小さい頃からずっとずっと、長い間」
「それは本当に君の記憶なのかい? 誰か他の人の記憶が混じってるなんてことは」
「それはないな。これは確かに俺自身の記憶だと思う。妙に確信があるんだけど、それじゃいろいろ辻褄が合わないんだよな」
「う~ん、そうかあ」
「とにかく俺の出身地はザファード大陸みたいだな。あそこは他の大陸との交流を絶っているんだったな。普通の手段では入れないんだろうか」
「普通に船で入ろうとしても追い出されちゃうんじゃないのかな。あそこと唯一のつながりがあるのはユーレシア大陸のダイシャール帝国だけだ。ダイシャールの空間の間からザファードへ行けるはずだよ」
「ユーレシア大陸か……」
 アレルは以前ジェーンに貰った地球儀を取り出した。指で擦ると人の頭くらいの大きさになり、常に現在地が表示される。それにはこの世界の全ての大陸が載っていた。それを見てガジスは驚く。
「こ、これはGPS機能付き地球儀じゃないか! ジェーンさんから貰ったのかい?」
「ああ。今俺達がいるのがグラシアーナ大陸。その東にザファード大陸があって、そのさらに東にユーレシア大陸があるんだな。今まで集めた情報によるとグラシアーナ大陸南東部にあるルドネラ帝国から空間の間を使ってユーレシアのダイシャール帝国まで一気にワープできるらしい」
「そうだよ。そこからザファードを目指すといいよ。もっとも君の心の準備ができてからだよ」
「そうだな……まずはルドネラ帝国を目指そうと思う。っていうか元々ルドネラに向かっていたんだけど途中で寄り道してたらいつの間にか一年経っちまったんだよな」
「とにかく今日はもう休みなよ」
「ガジス」
「何だい?」
「自分の苦しみが決して他人には理解してもらえないっていうのは、ものすごく辛いことだよな」
「何か思い出したのかい?」
「はっきりとは思い出せないけど、漠然と苦しいのだけ残ってる」
「そういう記憶は思い出さない方がいいんじゃないかな」
「だけど決して忘れられないものだぜ。嫌な記憶、辛い記憶ほどしっかりと刻み込まれている。逆に、大切にしたい思い出なんてものは俺にはないみたいだ。あの頃は良かったなんていうことは俺にはないな。辛い過去しかないからこれから先のことを考えて、少しでも自分なりの幸せを掴もうとして、そして苦しんで、苦しんで、苦しんで……」
「アレル君、とにかく今日はもう休むんだ」
「ああ。すまない。きっと何のことかさっぱりわからないから困らせてるんだろうな」
「ボクは魔族だからよくわからないけど、その人にしかわからない苦しみっていうのはあるからね。なかなか他人の苦しみは理解できないものだよ」

 その日、アレルは高熱でうなされながら寝込んでしまった。



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