ここはアレルの空間。先程からガジスは道具と部品を取り出してアレルの空間を改造し始めた。
「アレルく~ん! ボクからのプレゼント! 冷蔵庫と洗濯機だよ~!」
「冷蔵庫? 確か食べ物を保存する機械だったな。それに洗濯機。服を洗う機械だな」
「他にもキッチンをナルディアの文明レベルにしておいたからね~!」
「ナルディアの文明レベルのキッチン? ……ああ、ジェーンさんの家にあったようなやつになってるな」
「使い方はこれからボクが教えてあげるから、これでいっぱいお料理してね!」
 ガジスは鼻歌を歌いながら今度は別の場所を改造し始めた。風呂と洗面台とトイレがナルディアの文明レベルのものになった。
「ああ、そうだ。思い出した。確かジェーンさんの家にあった洗面台やトイレってこんな感じだったな」とアレル。
「清潔で快適だろう? それに机と椅子も作ったよ。ボクからのプレゼントその3だ!」
 見るとアレルが知っているものとは違うデザインの机と椅子がある。
「どうして同じ机と椅子なのにナルディアのものはこんなに違うんだ?」
「そりゃあ中世レベルのものとは違うさ。時代と共にいろんな技術やデザインが変わっていくものだよ」
「ふーん」
 ガジスは何か他にないかとアレルの空間を見まわした。すると奥にグランドピアノが見えた。
「おりょっ! これはすごい! グランドピアノじゃないか! いいなあ。普通の家庭だったら場所を取るからなかなか買ってもらえないものだけど君の場合は空間を自由に使えるからねえ」
「俺、実は音楽得意なんだ。音感も普通の人より優れてるって言われたことあるし」
「へえ~一体どこで習ったんだい?」
「さあ」
「君は記憶喪失だったね。音楽を誰に教えてもらったのか覚えてないのかい?」
「覚えてない」
「でも、誰か君にピアノを教えた人がいるんだろう。これは人から教えてもらわなきゃできないものだぞ。誰に教えてもらったのか覚えてるかい?」
「思い出せない……俺、何で今でもピアノ弾けるんだろう? 最後に弾いてからざっと十年は経ってるのに」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってくれよ。君は今八歳じゃないのかい? 最後に弾いてから十年は経ってるってどういうことだい?」

 し~ん…

「よくわからない。思い出せない」
「う~ん、君には謎が多いねえ。探査の術によると君は確かに八歳なんだけど。もしかして別の肉体に入れ替わったとかなんとかあったりして」
「この身体はもともと俺自身のだよ。肉体を入れ替えるなんてそんなややこしいことはしていない」
「何で即答できるの?」
「…………………………」
 アレルは頭を抱えた。今しがた言ったことについて考えると謎が深まる一方だ。
「俺……結局どうなってるんだろう。ピアノっていうのは普通に考えて誰かに教えてもらわなきゃできるようにならないものだ。他にもお姫様とダンスを踊ったことがあるけど、俺は一体いつどこでダンスの仕方なんて習ったんだ? 剣だって、俺の剣術は我流じゃない。誰かに正式な剣術を習ったんだ。それを考えると俺が今八歳だっていうのはおかしい。だけどじゃあ一体どういうことなのか、さっぱりわからない。あまり考えると頭が痛くなるんだ」
「うーむ…」
 ガジスも同じく頭を抱え込んでしまった。
「アレルくん、今日はもう遅いからお風呂に入ろうよ。そして頭の中を一旦すっきりさせるんだ」
 アレルは自分自身のことを考えつつ、風呂に入った。そして魔族と一緒に風呂に入るなどというとんでもないことをしていることに気づいたのであった。ガジスは呑気に入浴を楽しんで歌を歌っている。
「あ~あ、い~い湯~だ~な~♪」
「なあ、ガジス、あんた本当に魔族なのか? 魔物に姿を変えられた人間とかじゃなくて?」
「どうしたんだい、急に? ボクは生まれた時から上級魔族さ!」
「なあ、頼むから嘘だと言ってくれよ。魔族と一緒に風呂に入ったなんて信じられるか! 中身が人間だと思えばなんとか納得が……」
「あまり細かいことは気にしないのが長生きする秘訣だよ」
「これが気にしないでいられるか!」
 ガジスは極めて友好的であった。アレルの背中を流したり、風呂の中で遊んだりした。これが人間であればどうということもないのだが、相手が魔族だと思うとなんとも奇妙な気分である。一方ガジスの方はひそかに考え事をしていた。
(アレルくんと一緒にお風呂に入ったけど、見たところ身体の虐待を受けた形跡はないなあ。この子は何か深刻な心の傷があるようだけど、一体何があったんだろう。そもそもこの子は本当に八歳なのか? 違うとしたら一体何がどうなってるんだろう)
 ガジスの考えていることなど何も知らないアレルは魔族と懇意にしているなどというとんでもない事実を受け入れるのに苦労していた。見た目は恐ろしい形相の上級魔族。中身はフレンドリーなおじさん。この激しいギャップに悩まされるアレルであった。風呂から上がり一息つくと、ガジスはパソコンを取り出して何やら作業を始めた。
「ガジス、何やってるんだ?」
「今まで調査したことをパソコンでまとめてるんだよ」
「?? そもそもパソコンっていうのはどういう機械なんだ?」
「え? そりゃあ困る質問だねえ。文明レベルが中世の大陸で育った子供にどうやって説明したらいいのやら」
 結局パソコンについては要領を得た答えは得られなかった。そのうちアレルは先に寝た。夜中に起きてガジスの様子を見るとまだ起きている。キッチンで何かやっているようだ。
「ガジス、まだ起きてたのか。一体何をやってるんだ?」
「おや、アレルくん、起こしちゃったかい? ボクは小腹が空いたから夜食を食べようと思ってお湯を沸かしていたんだよ」
「何を作るの?」
「カップラーメンでも食べようと思ってね」
「カップラーメン? 何これ?」
「これはナルディアにしかないものだよ。お湯を入れれば食べられるようになる食べ物があるんだよ」
「これも超古代文明の産物なの?」
「いや、そんな大層なもんじゃないんだけどね……まあ見てなさい。まずはこのカップラーメンの蓋をめくって内側の線までお湯を注ぎ、蓋をして三分! これだけでラーメンが食べられるようになるんだよ!」
「ラーメンって何?」
「あっ! そうか、君は東洋の文明は知らなかったね。ラーメンっていうのはチョンファーの料理だよ。口で説明するより実際に食べた方が、話が早い。君の分も作ってあげよう」
 ガジスはカップラーメンをもう一つ取り出し、お湯を入れた。
「三分待てば食べられるようになるよ」
「たった三分でできる料理なんて聞いたことないよ。それにこれは何?」
 アレルは箸を不思議そうに眺めている。
「えっ!? 箸を知らない? あ、そうか。東洋の文化を知らないということはお箸も知らないってことか。えーと、これは食器の一つ。君達西洋の人間はナイフとスプーン、フォークで食事をするけど、東洋の人達はこのお箸を使って食べるんだよ」
「どうやって使うの?」
「しまったなあ。お箸が使えないとラーメンは食べられないよ。それにお箸は使えるようになるまで練習が必要だ。いきなりは無理だよ」
「もう三分たったぞ。蓋を開けていい?」
「うん、いいよ。だけどどうやって食べさせようか」
 アレルが蓋を開けると香ばしい匂いがした。今まで嗅いだことのない美味しそうな匂い。アレルは生まれて初めてラーメンというものを見て不思議そうに覗き込んでいた。
「スープパスタみたいなものなのか? それにしてはちょっと違うような……」
「それよりアレルくん、これからボクがお箸の使い方を教えてあげるから少しずつ練習して。今のうちに使えるようになっておかないと東洋に行った時に食事するのが大変になってしまうよ」
 ガジスはアレルに箸の使い方を教えた。アレルはうまく使えなかったので仕方なく、時々フォークを使って麺を食べた。
「今まで食べたことのない味だ。でも美味しいな」
「そうだろう? これがあればお料理ができない人でも簡単にできちゃう。すごいだろ~!」
「これがナルディアの料理なのか」
「へっ?」
「ナルディアの料理っていうのはお湯を使ってたったの三分でできるものなんだな」
「ちょ、ちょっと待ったあ! アレルくん、何か勘違いしてないか? 元々ラーメンは東洋のチョンファー国の食べ物なの! それを改良してお湯を使って三分で食べられるように加工したのがこのカップラーメン!」
「東洋の食べ物を元にしてできたナルディア料理なんだろ?」
「違~う! ナルディア料理っていうのは多国籍料理! ナルディアは過去に世界中を支配していた。あるとあらゆる国や地域の食文化を取り入れて、ありとあらゆる要素をうまく組み合わせたものなんだ! 今でも数多くのシェフが更なる高みを目指して美味しい料理を考えているんだからなー!」
「ふーん。そういえばジェーンさんの料理はそんなに奇抜なものじゃなかったな。俺が知ってるものもあったし、知らないものもあったかな」
「と、とにかくナルディアは他の大陸より何もかも進んでいるんだからねっ!」
 かつてナルディア王国にいた時、アレルを助けてくれたジェーンという女性の家は珍しいものばかりだった。今はナルディア出身の魔族ガジスと行動を共にしているだけで珍しいものをたくさん目にする。ナルディア人と一緒にいると不思議なものばかりだ。
 ガジスは一体何の目的で調査に来ているのか、詳細はわからない。調査に赴いているということはいつかナルディアに帰っていくのだろう。いつまで行動を共にするかはわからないが、神託を受けた勇者であるアレルと人間と暮らしていた魔族であるガジスとの奇妙な旅はまだ始まったばかりであった。



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