グラシアーナ大陸南東部、ルドネラ帝国領土にあったナタールの大森林。そこはアレルが生まれ育った森だった。ようやく記憶を取り戻したアレルはナタールの大森林跡地を見て悲しんだ。五年前、大火事で焼け野原になった森はもう何も残っていない。しかしこの大森林には大樹の精霊がいたことを思い出し、会いに行った。ナタール大森林の大樹の精霊ユマテラは、儚くおぼろげな姿で現れ、アレルのことを話す。

「今から八年前、あなたはこのナタールの大森林に突然現れました。赤ん坊の姿で。私が結界を張っているにもかかわらず、ある日突然現れたのです。この森の奥深くに人間は入ってこれないはずなのに」

これを聞いてアレルはがっかりした。

「そうか。じゃああなたも俺が何者か知ってるわけじゃないんだ」
「はい。あなたが何故突然赤ん坊の姿でこの森に現れたのか、それは私にもわかりません。あなたはこの森の妖精族の一人、フェリアが見つけました。妖精といってもこのナタールの妖精族は小柄な人間くらいの大きさです。人間の赤ん坊を育てることは十分可能でした。そしてフェリアはあなたを拾い、あなたは妖精族に育てられることになったのです」
「母さん…思い出したよ…」
「なんてこった!アレル君のお母さんは人間じゃなかったのか!」

アレルの後を追ってきたセドリック達は驚きを隠せなかった。今まで思いもしなかった事実が明らかになる。大樹の精霊ユマテラは続きを話した。

「アレル、あなたはこの森で育っていくうちに動物と話をすることができるようになりました。そしてそのうち、自然を操ることができるようになったのです。雨を降らせることもでき、嵐を静めることもでき、地震を静めることもできるようになりました。もしあなたの力が暴走したら自然を破壊し、世界を滅ぼしてしまうかもしれません。私はあなたを絶対に邪心の多い人間と関わらせてはならないと思いました。あなたの力を知ったら魔族も狙ってくるでしょう。私はそれまで以上に大森林を護ることに専念していました。アレル、あなたは自然界の仕組みに好奇心旺盛で、動植物や自然現象に関する知識をあっという間に覚えてきました。その気になれば自然界を支配することもできるのではないかと思うほどに」
「俺が動物の言葉がわかったり、自然を操ることができるのは、赤ん坊の頃から森で育ったからなのか…」
「普通、森で育っただけでそんなことができるようにはならないぜ。やっぱりアレル君は何か特別な存在なんだ」とセドリック。

アレルは乳幼児期の僅かな記憶を思い出した。ナタール大森林。人跡未踏の動植物たちの楽園。美しい緑の生い茂った木々。そこには人の悪意など存在せず、動物達と森の妖精達が平和に、静かに暮らしている。

「ずっと平和に暮らしていたのに、魔族が邪魔したんだ…」
「そうです。アレル、あなたが三歳の頃、ある日モンスターの大軍がこのナタール大森林に押し寄せてきました。私の結界もものともせず。おそらくはあなたを狙ってきたのだと思われます。魔族にあなたを渡すわけにはいきませんでした。絶対に。そしてフェリア達妖精族は、古来からこの森に伝わっているテレポートストーンをあなたに使い、どこかへワープさせたのです。時間がありませんでした。どこへワープするか場所の指定ができませんでしたが、あなたが安全な場所へ行くことを願っていました。あれから五年。どうやら無事だったようですね。魔族の魔の手にもかかっていない。私は安心しましたよ」
「それで、母さん達は?森の動物達は?」
「…残念ながら、もう生きてはいません。でもフェリアの魂だけは私の一部として残っています。あなたのことが最後まで気がかりだったようです」

幸せに暮らしていた環境が全て破壊されてしまったことに、アレルは言いようのない虚無を感じた。アレルの様子がどこかおかしいのに気づきながら、大樹の精霊ユマテラはフェリアの魂を呼び出した。アレルを拾って育てた、アレルの母親。まだ若い、妖精としては明るく活発な雰囲気の女性の姿が浮かび上がる。フェリアは姿を現わすなりアレルを抱きしめた。

「アレル!あれから無事だったのね!よかった!」
「母さん…」

アレルの育ての母親、妖精のフェリアは思いの外、明るい女性だった。アレルを拾った時のこと、育てている間の苦労をペラペラとしゃべり出す。

「本当にもう、人間の赤ちゃん育てるなんて初めてで、大変だったのよ。ちょっと目を離すと何をするかわからないんだから。あ、そういえば『アレル』って名前は私が考えたのよ。人間の名前ってどんなのがあるのか知らないから悩んだけど、一生懸命考えたの」
「母さん、ありがとう。いい名前だと思ってるよ」
「そう!よかった!」

元気にペラペラとしゃべっていたフェリアはやがて、姿がおぼろげになってきた。

「…ごめんなさい、アレル。私も大樹の精霊ユマテラ様ももうそろそろ限界。本当はもっと早くに死んでしまったから、これ以上姿を保ってあなたと話をすることができないの。お願い、アレル、あなたがこれからも無事に生きていくことを私は望むわ。私にできることは天国であなたを見守ることだけ。あなたが元気なら私も嬉しい。あなたが苦しんでいたら私も苦しいわ。ねえ、後ろにいる人間の大人達!お願い、この子をよろしくね!アレル、私はあなたの真の幸せを心から願ってるわ」

そう言うと、フェリアは儚く消えた。後には淡い光が残る。そして大樹の精霊ユマテラの元に戻った。

「母さん……」

アレルの様子はおかしかった。放心状態に見えたがどこか物騒な光を湛えていた。そこへ魔族がこのナタール大森林へ襲撃してきた。

「大変!あれは魔王デルザークの軍だわ!きっとアレル君を狙ってきたのよ!」

アレルの後を追ってきたエルネスティーネは応戦しようとする。魔王デルザークは術を使いアレルに直接語りかけた。

「自然を操る力を持つ謎の子供アレル、五年前は逃したが、今度こそ捕らえてみせる!我の糧となるがよい!」
「……魔王デルザーク?おまえか、この森を焼き払ったのは」
「そうだ。我はおまえを手に入れたかったのだ。邪魔するものは全て消した」

アレルから不気味な殺気が漂い始めた。大樹の精霊ユマテラはセドリックやエルネスティーネ達を魔法で戦艦まで戻した。

「あなた方は逃げて下さい。アレルは私がみています」



「……生まれて初めて得た俺の居場所……魔王デルザーク、おまえが邪魔しなければ俺は今でも幸せに暮らしていたのに……!!よくも、よくも母さん達を!森の動物達を!」

その後、アレルの自然を操る力が暴走を始めた。未だかつてないほどのエネルギーだった。魔王デルザークの軍は一気に壊滅する。雷と洪水、竜巻と地震。あらゆる自然現象がデルザークに襲いかかった。デルザークのテリトリーはグラシアーナ大陸南東部にあったが、その場所は天変地異が起きていた。急速な地殻変動が起き、地形が変わる。最後に凄まじい光が放たれ爆発が起き、轟音が鳴り響いた。デルザークのテリトリーであった場所、大陸の一部は完全に消滅した。跡形も無く。



「た、大変です!魔王デルザークが消滅しました!先程の勇者アレルの力によりデルザーク自身は消え、魔王軍は全て壊滅。デルザークの城があった場所も土地ごと跡形も無く消滅しました!」
「なっ…なんてこと!」

エルネスティーネ達も驚いたが、魔族達も驚愕していた。アレルの力が暴走すれば大陸の一部を破壊するほどの威力がある。どんな強大な力を持った魔王、大魔王でも成す術もない。今までの大魔王との戦いは敢えて正攻法で戦っていたのだと改めて思い知らされる。

「……そうだわ!こうしちゃいられない!魔族が呆然としている間に早くアレル君を保護しなきゃ!」

エルナは戦艦を指揮し、ナタールの大森林跡地へ戻った。力が暴走したアレルは意識を失って倒れているようだ。大樹の精霊ユマテラが優しく包んでいる。

「……今の私にはこの子を守る力は残っていません。勇者エルネスティーネ、アレルをよろしくお願いします」

エルナはアレルを保護すると、戦艦で帝国宮殿に戻った。



「魔王デルザークがやられただって?俺達の長年の敵だったのに」

先程の凄まじい天変地異とデルザークの消滅を知ってラウールは唖然とした。デルザークは魔王として勇者との戦いに敗れたのではない。アレルの力で消滅したのだ。

「デルザークはやられたけど、他の魔族達はまだいるよ。魔族の世界は今、下剋上。たくさんの力ある魔族が魔王、大魔王を名乗って争っている。他の魔王達もアレル君を狙ってくるはず」

アレルはまだぐったりとしている。それを見るセドリックと勇者エルネスティーネ達。アレルはかなり弱っていた。

「…生まれて初めての、俺の居場所だったのに…あんなに幸せだったのは本当に初めてだったのに…」
「そりゃ、生まれて初めてには間違いないだろうけど…」

三歳までの記憶を取り戻してもまだ謎が残る。アレルは非常に苦しそうだった。セドリックは新たにわかった事実について整理した。

「アレル君は薬か魔法で小さくなったんじゃないかって仮説があったな。今まで俺達は大人だったのが子供の姿にされたんだと思ってた。子供の姿じゃなくて赤ん坊の姿にされたんじゃないのか?で、赤ん坊の姿にされてから八年経ってるなら、アレル君が今、八歳だっていうのも一応正しいことになる」
「じゃあ元は大人だったってこと?」
「はっきり断言はできないが、それなら今までアレル君が子供なのに明らかに子供とは思えないことを言う時があったっていうのもわかる」
「赤ちゃんの姿にされたら、それまでの記憶は消えるのかな?」
「そ、そうか、きっとそうだったんだ!赤ん坊の姿にされたから大人だった時の記憶を失った。そういう記憶喪失なんだよ、きっと」

まだ断定はできないが、アレルの謎について一部が明らかになった。それでもまだ謎が残る。そして衰弱しているアレルの元に他の魔族達が一斉に襲撃を仕掛けようとしているのを、エルネスティーネ達は知ることになったのだった。





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