帝国一の剣士ラウールと知り合ってから、アレルはラウールによく会いに行くようになった。理由は第一にこの帝国で一番強い剣士だからである。剣の稽古をするなら最も適した相手である。第二に、先日のラウールとの会話でアレルはいろいろ思うところがあったのだ。彼の処世術は他人から評価されないことと、他人からいい人と思われないこと。世間から高い評価を受けていい人だと思われた場合、どんな厄介なことが起こるのか、アレルは今後の自分の生き方を考えずにはいられなかった。過去の失敗――苦い記憶――未だはっきりとは思い出せないが、心の傷だけはしっかりと刻まれている。ラウールと接することで何か生き方のヒントを得られるかもしれない。そう思ったアレルはラウールという影の世界で生きる青年に興味を持ったのだった。

ラウールの剣の訓練場は他の騎士達とは違った場所だった。諜報機関に所属する彼は帝国宮殿内でも公にはなっていない場所で剣の稽古をしている。アレルはラウールを相手に剣の稽古を始めた。剣の練習試合において、アレルはラウールに対しかなり容赦なかった。どんどん強力な攻撃を素早く仕掛けていく。少しでも強い相手と戦って剣の腕を上げたいし、ラウールの剣の腕も上げてやりたかった。稽古が終わった時にはラウールはくたくただった。

「おいおい、アレル君よお、もうちょい手加減してくれよな」
「ラウールは勇者エルネスティーネの仲間。お互いの向上の為に手加減なんかしないぜ。それにしても……リュシアン殿下よりはタフだな」
「リュシアン殿下?……勇者の神託を受けたというミドケニア皇太子のことか?」
「ああ。リュシアン殿下とラウールの剣の腕はだいたい同じくらいなんだ。でも手段を選ばない戦いならラウールの方が得意そうだな。リュシアン殿下は卑怯な手を使われるのには慣れてない」
「まさか他国の皇太子様と比べられるとはね」
「ラウールだってこの帝国一の剣士じゃないか」

その時、アレル達の元に一人の男性がやってきた。非常に気難しい顔をした青年である。身なりと雰囲気から、皇族だと思われた。

「殿下!」
「ラウール、今日は私に剣の手ほどきをしてくれる約束だろう」
「は…。アレル君、この方はルドネラ帝国皇太子アレクシス殿下だ」
「あなたがこの帝国の皇太子……俺はアレルと申します」
「うむ。君のことは母上から聞いている。固くなることはない。それよりラウール、剣の稽古だ。私は皇太子。いずれは母上の跡を継いでこの帝国の皇帝になる。少しでも剣の腕を上げておきたい。いざという時の為に自分の身は自分で守れなければな」
「殿下……」

その後、ラウールは遠慮がちにアレクシス皇太子の剣の手ほどきを始めた。アレルが見たところ、アレクシスの剣の腕は平均並みだった。一般の兵士と同じくらいか。決して弱い部類に入るわけではないのだが、本人は自分の剣の腕に不服そうだった。

「くそっ!この程度では駄目なのだ!ラウールとまではいかなくても、せめてセーディーくらいの腕まで上達したい」
「殿下、ご無理なさらないで下さい。以前より確実に剣の腕は上がっています」

ラウールがとりなすが、アレクシス皇太子は不満そうだった。なかなか剣の腕が上がらないことに苛立ちを感じている。

「……いつもすまんな、ラウール」
「いえ、皇太子殿下の頼みとあらば、このラウール、いくらでもお相手致しましょう」

その後、ラウールは諜報機関の任務があると言い、アレルと別れた。アレルの方は新たな興味の対象が現れたので、今度はアレクシス皇太子と話をしてみることにする。

「アレル君はラウールより強いのか。羨ましいな。私はどうもあまり剣の才能には恵まれていないようでな」
「殿下は強くなりたいとひたむきなんだね。護衛に守られるだけじゃなくて、ちゃんと皇太子として自分の身は自分で守れるようになりたいんだ。他の王侯貴族より偉いよ」
「うむ、それもあるのだが……強い男でなければ、好きな女性にも堂々と求婚できない」
「え?」
「彼女には戦う力があるというのに私は戦士として平凡な能力しか持っていない。皇太子としては衛兵に守られる日々。……こんな情けないことはないっ!」

ルドネラ帝国の皇太子アレクシスはどうやら現在恋の真っ最中のようだ。相手は女戦士のようだ。それで自分の剣の腕が平均並みなので焦りを感じているらしい。

「やはり男は強くなければ駄目だ!愛する女性も守れないようではいかん!敵に襲われたら自らの剣で妻を守る!そこで衛兵を呼んで守ってもらっているようでは駄目なのだ!戦えない男など不甲斐ない。女戦士を妻とするのであれば尚更だ!」

その後、アレクシス皇太子の恋の悩みを延々と聞かされるハメになったアレルだった。恋の相手がどのような女性かは知らないが、女戦士ならば強い男が好きだという可能性は高い。だからアレクシスはもっと強くなろうとしているのだ。そして本当の帝国一の剣士であるラウールに密かに剣術を習っているのだという。いざという時に愛する女性を自分で守れないようでは夫失格だという。アレクシスは非常に気難しい性格のようで、恋についてもひどく思いつめているようだ。

「殿下、落ち着いて。戦えるだけが全てじゃないよ。誠実な夫として大切なことは他にいくらでもあると思う。奥さんの精神的な支えになるとか、生活に不自由させないとか、一緒に暮らしていくのにいろんな心配りが必要だと思う。平和で安全な場所であればあるほど、戦えるかどうかなんてほとんど問題じゃないよ」
「いやしかし、彼女が女戦士である以上、戦えない男など相手にされないのではないか」
「皇太子殿下にプロポーズされて断る人なんているかなあ?」
「私が皇太子だからやむなく結婚するのではなく、本当に男として結婚したい相手と見做されたいのだっ!」

その後、アレクシス皇太子はアレルを自室へ招いた。机の上には本が山積みになっている。

「私は今まで好きな女性などいなかった。これは私にとって初恋なのだ。そして私ももう結婚を考えなければならない歳。なんとしても彼女を妃として迎えたい。失敗は許されんのだ!」
「で、殿下そんな思いつめないで」
「アレル君、見たまえ。これはこの国の文学作品の数々だ。君も本が好きなら読んでみるといい。私は恋など初めてだし、女心もさっぱりわからない。だから恋愛ものを読んで恋とはどのようなものか学んでみたのだ。いくつかの恋愛ものを読んだ結果、どうやら男には二通りのタイプがいることがわかった。愛する女性の真の幸せを願って、敢えて他の男に譲る。そんなタイプの男もいるようなのだ。しかし私はそうではない。自分が本当に恋焦がれている女性が他の男と結ばれるなど、考えただけで気が狂いそうだ。うあー!」
「殿下、落ち着いて!」
「真の愛とは何だ!どっちが本当に誠実な男なのだ!」

アレルにとって皇太子といえばリュシアンのイメージが強いのだが、こちらのアレクシス皇太子はリュシアンとはまた違ったタイプの男性のようだ。将来皇帝になると思うと、ヴィランツ皇帝やミドケニア皇帝を思い出す。皇族もまたいろいろなタイプがいるのだなと思った。アレクシス皇太子はどうもかなり思いつめてしまう性格のようだ。

「いいかい、アレル君、男にとってプロポーズとは一世一代の大告白なのだ。自分が思いつく限りの愛の言葉で女性に求婚する。愛する女性の美しさと女性的魅力を賛美し、思いつく限りの贈り物をするのだ。そして自分がどれだけ愛しているのか、ありとあらゆる言葉を尽くして伝えるのだ。妻は神聖な婚姻によって結ばれる一生の伴侶。唯一無二の女性。この世で最も大切な、そう、自分の命より大切にすべき相手。自らを犠牲にしてでも愛する妻だけは守らなければならない。本当に愛する女性と結ばれる為にはそれくらいの覚悟が必要なのだ。失敗すればもう後はない。崖から身を投げる覚悟で――」
「ちょ、ちょっと待った!それは思いつめ過ぎ」
「いや、やはりそれくらいの気持ちでなければ振り向いてもらえないだろう」
「殿下は一途なんだなあ。でもそれならさぞかし誠実な夫になるよ」

その時、侍女がお茶と菓子を持って入ってきた。

「殿下の想い人が誰なのか、宮廷中の女達が知りたがっておりますよ。今のままでは殿下に言い寄ってもつれない返事しかもらえないので、貴族の女達はつまらなさそうですわ」
「ふん、私は皇太子だぞ。いずれはこの帝国の皇帝になるのだ。王や皇帝はポーカーフェイスでなければならん。意中の女性が誰かわかってしまうようなへまはしない」
「好きな人がいるってことだけはバレバレだけどね」とアレル。

その後、アレクシス皇太子と親しく会話をしていると、女帝アレクサンドラがやってきた。アレクサンドラは相変わらずおっとりして優しそうな笑みを湛えている。女帝としての威厳を具えつつ、息子の皇太子に母親としての愛情も感じさせた。

「は、母上!私は日々皇太子としての務めに励んでおります!母上の跡を継いでルドネラ帝国の名に恥じない皇帝になってみせます!」
「まあまあ、アレクシス、おまえは本当に真面目な子なんだから。それはいいのだけど、アレクシス、皇太子としての務めを果たすのも大事だけれど、人生を楽しむことも覚えなければなりませんよ。君主たるもの、心も身体も健康でなければね。心身共に健康で始めて、国を良い方向へ導いていくことができるというものです」

気難しく思いつめがちな皇太子に、女帝アレクサンドラは優しく諭す。アレクシス皇太子は真面目で融通が利かず、仕事とプライベートの両立が下手なタイプである。アレクサンドラは息子のそんなところを心配していた。母親である女帝アレクサンドラは公私の区別をつけ、休憩する時は自分の時間を作って上手く人生を楽しんでいた。アレクサンドラは紅茶が好きで、ティータイムには親しい女性の貴族を招いたりしていた。そういう親しい間柄の人間を上手く作ってやっていく、アレクサンドラは世渡り上手であった。

「陛下はアレクシス皇太子殿下の恋の相手を知ってるの?」

アレルが遠慮なしに尋ねると女帝アレクサンドラはくすりと笑った。どうやら息子の初恋の相手に気づいているようである。やはり母親なだけあるのか。

「母としては息子の初恋を応援したいけれども、さて、どうなるかしらねえ」
「皇太子と結婚したら皇太子妃、いずれはこの国の皇后になる人なんだよね」
「そうねえ。彼女だったら私の娘としても、皇后としても申し分ないけれど」

アレルは一体誰だろうかと思った。どうやら女戦士のようだが。セーディーもかなりの美人だと思うが、違うのだろうか。

「ところでアレル君、もし何か辛い気分になった時はいつでも私のところへ来るのよ」
「えっ?」

そういうとアレクサンドラはアレルを抱きしめた。女帝アレクサンドラと勇者エルネスティーネ一行はアレルのことを常に気にかけ、心配していた。エルナの過去を知った時のアレルの発言も、セーディーにより、密かにアレクサンドラに報告されていた。そしてエルナも既に知っていた。
あれ以来、アレクサンドラもエルナもセーディーも、アレルのことをひどく心配していた。
アレクサンドラはアレルを優しく抱きしめる。まるで母親のように。

「いい?アレル君、親というものはね、どんな理由があっても子供を苦しめたり傷つけたりしてはいけないのよ」
「……陛下……」

時折、頭の中でちらつく暗い記憶。自分の記憶が全て明らかになる時は来るのだろうか。その時に自分は正気でいられるのだろうか。アレルは自分のことについて物思いに耽るのだった。





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