ここは木々が鬱蒼と生い茂っているサイロニアの森奥深く。
「…チッ! しつこい奴らだ!」
 アレルは魔族に追われていた。魔族としては何としてもアレルを味方に引き入れたいらしい。何度も何度もしつこくやってきた。アレルは人々を巻き込まないよう、街道を外れて森に入り、姿をくらまそうとした。だが魔族はあきらめない。自然を操る能力。時に天変地異さえ起こせるアレルの力は魔族にとって魅力的であった。
 アレルはより森の奥深くへ駆け出した。遠くにはまだ魔族の気配を感じる。奴らの相手をするのもいい加減うんざりしてきたところである。何とかして引き離して、追手をまいてしまえないものだろうかと思案していると――
「ねえ君どうしたの? 追われているの?」
 振り向くと一匹の烏が話しかけてきた。好奇心の強そうな、くりくりした目をしており、烏にしては可愛らしい印象である。
「ああ、魔族の奴らがしつこくてね。困ってるんだ。おまえ達森の動物を巻き込むわけにもいかないし――」
「それならいいことを教えてあげる。この先に変な魔法使いが住んでいるよ。僕らはモンスターに襲われると、いつもその魔法使いの住処まで逃げるんだ。見た目は普通の場所と変わらないけれど、そこへ行くと必ず助かるんだ」
「結界でも張っているんだろうな。よし、そこへ行ってみよう。ありがとう!」
 アレルは烏に礼を言うと、さらに奥に進み始めた。

「この辺りかなあ? 人の住処らしいものは見当たらないけど…」
 アレルは辺りを見回した。風がざわざわと木々を揺らしている。魔族の気配はもうしない。静かだった。
「腹も減ったし、一旦休憩するか」
 アレルは薪を集めると魔法で火をつけた。やはり魔法が使えると便利である。アレルの魔力ならほぼ無尽蔵に、気軽に使うことができた。他に木の実などを集めて食べながらアレルは何故食べられる木の実や毒がある実についての知識を持っているのだろうと不思議に思った。自分は森で育ったのだろうか? 森の中にいると親近感が湧いてくる。だが、その一方で目を閉じると砂漠の海が思い浮かばれる。アレルのかすかな記憶の手がかりは森と砂漠のイメージだった。森と砂漠。ひょっとしたら砂漠になってしまった森があるのだろうか? この世界のどこに? そんなことを考えていると近くに人の気配がした。蛍光色の橙色の服がちらりと見えた。身を隠すのに適しているとは思えない。派手すぎる。その者はアレルの視界から逃げようとあちらこちらへ移動した。はっきり言って挙動不審である。アレルの方から何か言おうとした時、その者は意を決したのか、アレルの前に飛び出してきた。

「ヘイ! そこの君! ボクとお茶しない?」

……………し〜ん……………

「ああっ! しまったあ! これじゃナンパのセリフじゃないか! どうしよう、男の子ナンパしちゃったよ。いくら隠遁生活が長いとはいえ、ボクはもう駄目だああーー!」

 見ると蛍光色の橙色の服はなんと魔導士のローブだった。しかも明るい赤や黄色の模様が入っている。ローブには相応しくない色柄である。その他魔導士の装飾品も全て煌びやかで派手であった。煌びやかで派手といっても上流社会の人間が身に着けるものとは違い、センスが疑われた。その者はフードを深くかぶり、橙色の鳥の羽根飾りを頭につけていた。奇妙な人物であった。先程の烏が言っていた変な魔法使いとは間違いなくこの人物であろう。その人物はもじもじしながらアレルに話しかけてきた。
「えーっと、その…ボクは決して怪しい者じゃないよ。この森に住んでるお茶目な魔法使いさ! 君はボクが隠遁生活を始めて数十年、久々のお客様だからおもてなしをしようと思ってね。よかったらボクのお家へ来ないかい? お菓子とジュースもいっぱいあげるよ!」
「俺は今、魔族に追われてるんだ」
「それなら大丈夫。奴らがどれだけの魔力を持っていてもボクには敵わないからね! 何を隠そう、ボクはこのグラシアーナ大陸一の魔法使い、賢人なんだぞー!」
 その変な魔法使いは妙なポーズをとった。決めポーズをとって格好をつけたつもりのようだ。
「とにかく追われてるならこっちへおいでよ。ボクのお家なら安全だから。君の名前は?」
「俺はアレル。あんたは?」
「ボクの名前はギル。ギルちゃんって呼んでね! それではようこそボクの空間へ!」
 ギルと名乗った男がパチンと指を鳴らすと周囲が森から一瞬にして別の場所に変わった。

「ここは…どこだ?」
「ボクのお家だよ! ボクの空間でもある」
「空間?」
「そう! ボクは賢人の一人だから空間術を使えるのさ! ここはボクの空間。何でもボクの思い通りになる。例えばこんなことだって!」
 ギルがまた指を鳴らすと、そこには菓子でできた城が現れた。
「すごいでしょー! このお城はみーんなお菓子でできてるんだよー。さあ好きなだけお食べ」
「ふ〜ん、どういう魔術なんだろう?」
 アレルは冷めた反応を示しながら菓子でできた城の端からちぎって食べ始めた。ギルはアレルの冷めた反応に少々がっかりしていた。子供ならもっと純粋に喜ぶと思っていたのだ。なんとかしてアレルから子供らしい反応を引き出そうと別のお菓子を出現させた。
「さあ、アレルくん、見てご覧。これは和菓子だよ」
「和菓子? 見たことないものばかりだ」
「この世界の東端にある倭(ヤマト)という国のお菓子さ!」
「この柔らかいお菓子は何ていうの?」
「それはお饅頭」
「このクッキーとは違う硬いお菓子は?」
「それはお煎餅」
「じゃあこのゼリーとは違うお菓子は?」
「それは羊羹。よかったらたんとお食べ」
 アレルは和菓子を不思議そうに見ながら食べ始めた。それを見てギルは嬉しくなった。嬉しさついでに和風の菓子の城まで作り出してしまった。
「じゃーん! 今度は和菓子でできたお城だよ〜ん! 倭のお城さ!」
「ふうん。変わった建築様式だなあ。あの屋根のてっぺんにある金色の魚は何?」
「あれはしゃちほこというんだ」
「へえ。この世界の東端にある国だっけ? グラシアーナ大陸は世界の西端に位置するのにどうしてそんなに離れたところのことを知っているんだ?」
「それはボクが賢人だから!」ギルはまた妙な決めポーズをとった。
「あんたルドネラ帝国の出身?」
「なぬっ? 何故それを!」
「だってこのグラシアーナ大陸で他の大陸と交流があるのはルドネラ帝国だけだって聞いたんだ」
「ふふ〜ん、確かにその通りさ! でもボクは賢人だから他のルドネラ帝国の人間よりもっと詳しいことを知ってるんだよ〜」
「例えば?」
「漢字とかね。東の中華(チョンファー)という国と倭で使われている文字さ! よし! ここに書いて進ぜよう」
 ギルは紙に『倭』の文字を書いた。アレルは不思議そうに覗き込む。
「へえ〜これが漢字かあ。この紙は? 羊皮紙とは違うね。簡単に破れそうだけど」
「これは和紙だよ」
「倭の人は羽ペンじゃなくて筆で文字を書くのか。変わってるなあ。それも黒の絵の具で」
「いや、これ絵の具じゃなくて墨汁なんだけど…」
 アレルは初めて見る倭の文化を見て興味深そうだった。お菓子も文字も紙もアレルが知っているものとは異なる。
「倭の文化についてはボクが知ってることならいくらでも教えてあげるよん。さて、今度はお茶でもしながらゆっくり話そうじゃないか」

 ギルがまたパチンと指を鳴らすとようやく魔導士の住まいらしき場所へ出た。部屋の空気は随分暖かい。暑いくらいだ。
「ちょっと暑いけど我慢してね。ボクのペットが住んでいた場所に気温を合わせているんだ」
「暖炉が見当たらないのに何でこんなにあったかいんだ?」
「全て魔法魔法魔法! ボクは本当にすごい魔法使いなんだぞー」
 アレルが辺りを見渡すとギルのペットらしき鳥がいた。明るい橙色の羽をしている。ギルの頭に飾ってある羽飾りはこの鳥から抜け落ちた羽のようだ。
「おまえ、この辺じゃ見かけない鳥だな。元はどこに住んでいたんだ?」
 アレルが話しかけるとその橙色の鳥は不思議そうに見つめてきた。
「お客さんなんて珍しいね」
「俺はアレルっていうんだ。おまえの名前は?」
「…? 僕はペグー。足を怪我していたところをギルに助けてもらってから一緒に住んでいるんだ」
「ペグーか。よろしくな」
 その光景を見てギルは近づいてきた。
「およ? アレルくん、もしかしてボクのペットとしゃべっているのかい?」
「ああ、俺は動物と話ができるんだ」
「なっ? ななななーんと! 動物と意思伝達する術はまだないというのに君は術なしで話をする能力を持っているというのかい?」
「ああ」
「と、鳥と会話、ボクの長年の憧れ。ボクの大好きな鳥さん達とも話をすることができると?」
「ああ、そうだよ」
 ギルは興奮し出した。
「どうやったらそんなことができるんだい? ボクに教えてくれよ!」
「別に普通に話すだけだけどなあ」
「よし! ボクもやってみよう! クワァクワァクワァーッ!」

…………………………

「な、何だい? ボクが今なんて言ったかわからないのかい?」
「ただ『クワァ』って言っただけじゃないか」
 ギルは今度はローブを使って羽ばたく真似をしながらまた『クワァクワァ』と叫び始めた。ペグーは首を傾げている。
「アレルといったね、君。動物と話ができるなんて珍しい能力を持ってるじゃないか。僕の飼い主ギルは悪い人じゃないけど、ちょっと変な人なんだ」
「とりあえず悪い人じゃなければいいんだけどね」
「こらあ! ボクを無視してしゃべってるんじゃなーい! ボクも話に入れてー!」
「話ができないんじゃしょうがないじゃないか。それよりペグーはどこの鳥なんだ? この辺りじゃ見かけない種類だよな?」
「ペグーは赤道付近にあるあったかーい島で見つけたんだよ」
「赤道?」
 アレルが世界の地理に疎いと見て、ギルは急に得意げな態度になった。
「フフーン! よかったらボクが世界の地理を詳しく教えてあげてもいいよ!」
「う〜ん、さっきから聞きたいことはいっぱいあるんだけど…そうだな、まず俺は魔族に追われていた。奴らはこの場所にやってくることはできないのか?」
「それは無理だよ。だってここはボク専用の別の空間だもん。招かざる客は入って来れないよ! 君はさっきの場所では一時的に行方不明になってるようなものだ」
「あんた賢人だとか言ってたな。この特殊な空間は一体どうやって作り出しているんだ?」
「知りたい?」
「知りたい」
 ギルはアレルをじっと見つめた。
「見たところ君はひじょ〜に高い魔力を持っているね。きっと大魔導士になれるよ。既に賢者になれる資格ももってるみたいだし」
「『賢者』と『賢人』って何か違うの?」
「『賢者』は攻撃魔法、回復魔法、その他全ての呪文を取得した者に与えられる称号さ。『賢人』というのは世界に数人しかいない存在だ。簡単に言えば仙人みたいなものさ。賢人は一般に知られている賢者や大魔導士よりずっと難しい魔法を知っているんだよ。そしてそれぞれの空間を作ってそこに住んでいる。ところでアレルくんどうだい? なんならボクに弟子入りしてみないかい? お菓子食べ放題! 世界のことも聞き放題! おまけに空間術も学べてまさにいいことずくめだよん!」
「そうだな。空間術には興味ある」
「それじゃ決まりだ! 君はこれからボクの可愛い弟子。知りたいことがあったら何でも聞きなさい!」
「ああ、よろしくな、ギル師匠」
 こうしてアレルはギルという賢人を名乗る魔導士に弟子入りすることになったのだった。





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