一方その頃、魔族とヴィランツ皇帝は――
「何故だ! 何故見つからん! 完全に気配が消えた。水晶玉を使ってもあやつの姿や居場所を映し出すことはできない。どういうことだ?」
「魔界の者達よ。余はどうしてもあのアレルという子供を手に入れたい。あらゆる意味でな。一度はまんまと逃げられたが今度はそうはいかない。何としても我が物にしたいのだ」
「ヴィランツ皇帝よ、それは我らとて同じ。あやつを味方に引き入れれば世界は我らの思うがままだ。何としても我が魔界の眷属に――」
「何としても――何としても――」
 魔族達とヴィランツ皇帝はなんとかアレルを手中に入れようと画策していた。
 一方アレルとギルは、ギルの空間の中でお茶を飲んでいた。ギルのペット、ペグーは餌を食べながら羽を繕っている。至って平和な光景である。アレルはこれまでのことを簡単に話していた。ヴィランツ帝国から脱出し、サイロニアへ向かったこと。自然を操る能力を持っていること。記憶喪失であること。神託を受け勇者と言われたことなどを、かいつまんで話した。
「ふうむ。君はいろんな事情を抱えているんだねえ。それにしてもあのヴィランツ帝国から無事脱出できたなんて、君はとても運がいいよ」
「自然を操る能力を持ってなかったら無理だったかもな」
「ふうむ、それに記憶喪失か」
「そうだよ。だから俺は自分が何歳なのかもわからないんだ。俺が大人より強かったりするから、もしかしたら魔法か何かで小さくなった大人かもしれないっていう意見もあるんだぜ」
 するとギルは何かの魔法をアレルにかけた。何かを探っているようだった。
「どれどれ? …見たところ君の肉体年齢は七歳で間違いないと思うが」
「そんなことわかるのか?」
「うん、探査の術を使えばだいたいね。君の誕生日まではわからないけど、生まれてから七年くらい経ってる」
「そうなのか。じゃあこれから年齢を聞かれたら七歳だって答えることにするよ。今はラピネス歴1007年だから数えやすいな。暦を参考にするよ。ところでその探査の術とかいうので俺の記憶はわからないのか?」
 ギルは再び探査の術をアレルにかけて、アレルの記憶を探ってみた。
「う〜ん、単純な記憶喪失ではないようだね。なんだかすごくぼやけててわからないや。ごめんよ」
「いや、別にいいさ。ところでギル師匠はどうしてここに住んでいるんだ? ルドネラ帝国の出身なんだろ?」
「ん〜…このサイロニア付近はグラシアーナ大陸のほぼ中心にあるというのもあるけれど、他にもちょっと理由があってね。それにボクはルドネラ帝国の魔導士達からは追放されてしまったし」
「どうして?」
「みんなボクのこのお手製のローブが気に入らないんだ! こんなの魔導士が着るのにふさわしくないって」
 アレルは改めてギルの着ているローブを見た。蛍光色の橙色に赤や黄色の模様が混じっている。派手でセンスが疑われる。
「つまり服のセンスだけで追放されたのか?」
「他にもみんなしてボクのことを変人変人、ルドネラ一の変人だって言うんだ。ひどいでしょ? みんなあんまりだ! だからボクは『変人』じゃなくて『賢人』になってやったんだもんね! フーンだ! ローブだって、魔導士に必要なのは博識さと魔力で服なんて関係ないのに。ただボクはお日様みたいにぽかぽかあったかい色の服が好きなだけだったのに〜」
 そう言うとギルは泣きだした。アレルは返答に窮したが、なんとか宥めて別の話題へ持って行った。
「まあまあ師匠、それより世界のこと教えてくれよ」
「おおそうだった。君は記憶喪失で自分の生まれた場所を探しているんだったね。それで他の大陸の出身なのではないかと思っていると」
「そうだよ。このグラシアーナ大陸だけでも広いのに全ての大陸を旅してまわるのなんてきっと大変なんだろうけどな」
「それなら範囲を少し絞ってあげよう。今からボクの言う質問に反射的に答えてみてね。寒い地域は北と南どーっちだ?」
「北に決まってるじゃないか」
「それじゃ君は北半球の人間だね」
 アレルは何のことかわからないという顔をした。
「この機会に北半球と南半球について教えてあげよう」
 北半球と南半球についての説明を一通り聞くと、アレルは非常に感心した。
「へえ、世界ってそういう仕組みになってるんだ。じゃあ本当に寒い地域は北端と南端なんだな」
「そう! 君は当たり前のように北が寒いと答えたから北半球の人間に間違いないよ。南半球についての知識を持っている人だって自分が昔から住んでいる場所を中心に考えてしまうものなんだ。南が寒〜いだなんて、北半球の人間にとっては変な感じがするよ。これで君の探索範囲が少し狭まったね。もっとも世界には南半球より北半球の方が大陸は多いけれど」
「ねえ、北半球、南半球っていうことは、世界はもしかして丸いの?」
「おっ! よくわかったね〜。アレルくん、あったまいい〜」
「いや、実は俺、ちょっと変わった地図持ってて…」
 アレルはポケットから地球儀を取り出した。手のひらサイズの球は軽く擦ると大きくなり、それを見たギルはびっくりした。
「ぎょぎょっ! 何だこれはあーっ?」
「地図だよ。地球儀っていうんだ。球に地図が張り付けてあるように見えるけど、もしかしてこれが正しいのかな?」
「そうか! 緯度と経度の修正もこうすれば必要ないんだ! もっと見せてくれ! ………およっ? 地球の裏側にも大陸がある! 何て名前の大陸なんだ? 何も書いてないぞ! ああー! この大陸には一体何があるのだろう? 見たところこれだけ大きな大洋が広がっているから航海しても果たして辿り着けるか…」
 ギルは非常に興味深そうに地球儀を見ていた。食い入るように見入って興奮している。アレルは地球儀にいつものように現在地が表示されていないことに気づいた。
「あれ? 現在地の表示が消えてる。この地球儀は魔法の産物みたいでいつもなら現在地が表示されてるんだ」
「そんなすごいものが…! ここはボクの特殊な空間だから地図上でどことは言えない場所になるんだ。言わば亜空間みたいなものだよ」
「ギル師匠はこの地球儀に載っている大陸の名前を全部答えられるかい?」
「表側だけならね。この地球儀の約半分が埋まっているところがボク達の世界だ。西端がグラシアーナ大陸、その東にあるのがザファード大陸、ザファード大陸の南がマルキア大陸、その東にある南北に渡るおっきな大陸がユーレシア。そして東端にある島国が倭だ。それより先は広〜い大洋が広がってて誰も行ったことがないんだよ。でもこの地球儀を見る限り、地球の裏側にも大陸があるみたいだね」
「そうだなあ。さすがに俺がこの裏側の大陸の出身ってことはないと思うけど、どうかな? ここも北半球だけど」
「こんなに遠くまでワープするなんて無理だよ。君はきっとこの表側の世界のどこかの出身だと思う。まあ表側だと思ってるのはボク達だけかもしれないけど。それじゃあこれから簡単に説明するよ。まずこの東半分を占めるお―っきな大陸がユーレシア大陸だ。すごいだろう。この大陸の半分は南半球と陸続きになってる。世界最大の大陸だ。東の方にはさっき紹介した倭みたいに独特の文化を持った国がある。他にも砂漠やジャングルなんてものもある」
 アレルは自分のおぼろげな記憶の中に砂漠のイメージがあることを思い出した。
「砂漠? このユーレシアという大陸には砂漠があるのか?」
「そうだよ。ここも倭とはまた違った独特の文化がある」
「…俺の記憶の中には砂漠のイメージがあるんだ」
 ギルは怪訝な顔をした。アレルは見たところ明らかに西洋人である。
「? 君が砂漠地帯に縁があるとは思えないけどなあ。それで、この大陸でいっちばん大きな国は南半球にあるダイシャール帝国だ。この大陸だけでなく、全ての大陸の中でも一番大きな国だから覚えておくといい」
「へえ? そのダイシャール帝国はヴィランツみたいに世界征服とかは企んでないの?」
「あのねえ…帝国っていったらみんな世界征服企んでるわけじゃないんだよ。このダイシャールくらい大きいと逆に領土拡大どころか統治に大変なくらいだ。うん、とにかくね、ヴィランツとはまるで次元が違うんだよ。ダイシャールはヴィランツ皇帝が逆立ちしたって一生かなわない大帝国だよ。魔法についてもこのグラシアーナ大陸一のルドネラ帝国よりずっと高度なものが開発されているし、古代文明の遺跡も多い。ダイシャールの人達はそれを有効活用しているんだよ。空間の間だってあるんだからね」
「空間の間?」
「そう! 古代文明の産物さ! そこに行くとおっきなアーチがある。そのアーチをくぐると、ずっと離れた場所に行くことができるんだ。中には他の大陸につながっているものもある。船を使わなくても一瞬で他の大陸へ行けるのさ。ルドネラ帝国皇帝宮殿の一角につながっているものだってあるんだ」
 ギルの説明をずっと聞きながら、アレルはただひたすら驚くばかりだった。ワープ魔法の存在は知っていたが、空間を使ったこんな大掛かりなものがあるとは知らなかったのである。
「それじゃルドネラ帝国へ行けばすぐにこんな離れた大陸まで行けるのか」
「そう! ダイシャール帝国の数多くの空間の間の一つにつながっている。空間の間がたくさんあるおかげでダイシャールは遠く離れた国とも簡単に貿易ができるんだよ。たまたま空間の間が残っていたルドネラ帝国が他の大陸の情報を持っているのもこの為だ。ルドネラ帝国ではなんと宮殿内で空間の間が発見されてね、つまり宮殿内で他の大陸と貿易ができるんだよ。例えグラシアーナで戦争が起きて孤立して、補給を断たれたとしても、いくらでも籠城が可能なんだ。宮殿内でいくらでも物資が入ってくるからね」
 アレルはスケールの違う話を聞いて圧倒されていた。その一方で砂漠地帯へ行くにはルドネラ帝国から空間の間を使ってダイシャール帝国へ渡ればいいということを覚えておいた。
「ところで他の大陸は? グラシアーナ大陸とユーレシア大陸はわかったけど、その間にある大陸は? ユーレシアと違って南北につながってないけど」
「南のマルキア大陸はユーレシアほどじゃないけど魔法が盛んな場所だよ。北のザファード大陸は大陸ごと強力な結界を張っていて閉鎖状態にある。詳しいことはわからない」
「ザファードか…なんか聞き覚えがある気が…」
「なぬっ? ザファード大陸の人間がこんなところまで来たというのかい?」
「この地球儀で見ると、グラシアーナ大陸の東隣にあるじゃないか」
「ザファード大陸の結界は強力で普通の手段じゃ絶対入れないよ。ダイシャールとだけ空間の間でつながっとるという話は聞いたことがある。詳しいことはわからないけどね。さっきは砂漠、今度はザファードかい? 君の記憶って一体どうなってるのかさっぱりわからないや。それにしても、こんなものを一体どこで手に入れたんだい?」
 アレルは以前スコット王子に話したのと同じことをギルに話した。古代人の国だったのではないかというナルディアという王国について。それを聞いてギルは興奮した。
「こっ…こここ古代人の国だったかもしれないだとおー! そこもザファード大陸と同じ徹底した鎖国か! 一体どこにあるんだー。この地球儀に載ってるのかー?」
「どの大陸からも遠く離れた島国だって言ってたけど」
「島国島国…もしそこへ行くことができればすごい発見だぞ! でも見つからないようにしてるんだろうなあ、きっと」
「俺がどうしてそのナルディアという国に紛れ込んだのかは結局わからないままだった」
「ふうむ。君は記憶喪失で自然を操る能力を持っていて、それで詳しく話を聞けば神託を受けた勇者だと言われていて、しかも古代人と接触のある唯一の子供だということか。きっとかなり特殊な星の元に生まれたんだねえ。きっと世界全体でも君の存在は特別なはずさ」
 自分が世界的に特別な存在だと言われるとなんだか変な気分である。アレルはそこまで大物になりたいとは思っていなかった。神託では現時点で最強の勇者だと言われた。自分に匹敵するほどの勇者が今後現れたりするのだろうか。神託を受けた際、神の御使いからはそのようなことを言われたが。今後、果たして自分の運命がどうなっていくのか全く予測がつかない。己は一体何者であるのか。今後どのように生きていけばよいのか。一刻も早く失われた記憶を取り戻して、自分の身の振る舞い方を考えていきたい。
 アレルの心境も知らずギルは興奮して話し続ける。
「君と知り合えたことを神様に感謝だね! 君は魔力が高い。ボクの空間術を使えば旅に役立つものをたくさん覚えられるだろう。自分の空間を作ってさえおけば、そこにしまっておいたものをいつでも取り出すことができるよ。他の人には何もないところからいきなりものが出てきたように見えてびっくりするだろうけどね。お金だっていろんな持ち物だって食べ物だって自分の空間に好きなだけしまっておいて、旅の途中、好きな時に好きなだけ取り出して、またしまうことができるんだよ。もちろん旅先で手に入れたものを自分の空間にしまうこともできる。盗まれることもないから安心さ。人の空間に勝手に侵入できるほどの魔力の持ち主は滅多にいないからね」
「金も好きなだけ貯めておけるのか?」
「うん、銀行使わなくてもいいんだよ。便利でしょう? 他にも自分の空間なんだから自分の部屋を作っておくといいよ。旅の途中、野宿もいいけど、それがあんまり危険だったら自分の空間でふかふかのベッド用意して寝てもいいんだよ。使い魔を召喚して召し使いとして働いてもらえば、いつでも自分の空間を綺麗にしておいて、人を招待することもできるからね。もちろん、さっきみたいに追われてる時に逃げるのにも有効だ。相手は追いかけてはこれないから」
「本当に便利な術だな。一旦自分の空間に逃げたら、全く別の場所に出現することはできるのか? ワープ魔法みたいに」
「もちろんできるよ。だけど元いた位置から離れた場所へワープする時ほど魔法力を消費するから注意してね。それと知らない場所にはワープできないよ」
「この地球儀を使っても駄目なのかなあ」
 アレルは地球儀をくるくると回しながら言った。地球儀は緯度と経度も正確な位置を表している。これを使えば知らない場所にも行けるのではないかと思ったのだ。
「ワープ魔法は移動先の場所の細かいところまでわかってないと駄目だからね。それじゃあ前置きがだいぶ長くなってしまったけれど、これから君に空間術の修行をしてもらうぞ〜。そして古代人の国だというナルディアにあったもののイメージとかも見せてもらうからね!」





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