ギルという変わり者の魔導士と出会ってから一晩。アレルは起きて部屋から外へ出た。
 ギルの空間は元いた森とつながっており、動物達と触れ合うことはできた。だが強力な結界が張ってあり、魔族達はこちらのことは全く感知できないのだそうだ。ギルは変わり者だが決して悪い人間ではない。それに魔法や世界について多くの知識を持っている。アレルはこの機会に知りたいことは全部聞いてみようと思った。
 一方、ギルは可愛い弟子ができて大層喜んでいた。変わり者としてずっと他人から冷たい視線にさらされてきた彼にとって、客人というだけでも嬉しいというのに、更にアレルは自分に弟子入りまでしてくれたのである。様々な事情を抱えた、特別な星の元に生まれた子供であるようだが、ギルはたいして気にしなかった。むしろ、そういう子供をうまく導いていくのが賢人である自分の役目であろう。
「フンフンフーン。今日も気持ちのいい朝だな〜。さてさてアレルくんはどこに行ったのかなあ? 外に出て行ったはずなんだが。お〜い、アレルくんや〜い」
 ギルがアレルを探していると、かけ声らしきものが聞こえてくる。
「朝から剣の修行かにゃ? さすがは神託を受けた勇者。感心感心――」
「ハッ!」

どごおっ!

「おわっ!」
 凄まじい音がしたので見ると、なんとアレルは素手で大岩を砕いていた。
「よーし、今日の特訓終わり! あ、ギル師匠おはよう」
「ア、アレルくん、君って子は…可愛い顔に似合わずなんてパワフルな…」
「ギル師匠、見てくれよ、この大岩。見事に粉砕だぜ! 俺、剣を奪われた時の為に格闘技も練習してるんだ」
「あああ、せっかく可愛いのにボクのイメージが…」
 ギルはアレルを見て、この幼い子供があっさりと大岩を砕くなんて信じられなかった。アレルはまだ子供であるし、体格も別段大柄というわけでもなく細身である。この身体のどこにこんな力があるのだろうと不思議に思った。歴史上記録に残る真の武人は幼少の頃からまるで鬼神のように強かったという話だが、ギルから見たアレルは単に可愛い子供であった。到底想像できない。しかし元気がよいのはいいことだと思い直して、ギルは朝御飯の準備に取りかかった。
「ギル師匠って料理できるの?」
「もっちろんだとも! ボクにまっかせなさ〜い!」
 ギルはフライパンを出すと油をひき、卵を取り出した。
「目玉焼きは芸術だ。全く同じものは決してできない。作るたびに違う目玉焼きができる。人の手により形作られる生命の神秘」
「何言ってるんだよ」
「これから卵割るから黙ってて!」
 ギルは卵を掴んだまま、割ることに集中しようとした。だが、なかなか割ろうとしない。そのうち、ぶるぶると手を震わせた。
「お、おい、卵ひとつ割るのになんでそんなに震えてるんだよ」

 ぐしゃっ

 その時、ギルが持っていた卵は力の入れ過ぎで潰れてしまった。ギルは卵の殻の中に指を突っ込んでいる状態で硬直していた。
「あーっ! またやっちゃったーっ! ボク卵割るの下手なんだ。時々こうやって失敗しちゃう」
「そんなに力入れなくたって割れるよ。もういい、俺がやる」
 アレルは手際よく片手でぽんぽんと卵を割り始めた。
「な、なぬっ! 卵を片手で? どうやったらそんなことができるんだあーっ!」
「別にコツを掴めば難しくないよ」
 結局、朝御飯はアレルが作ることになった。
「ん〜、おいし〜ね〜。アレルくん、お料理上手!」
「ありがとう。ティカっていう女の人に教えてもらったんだ」
「男の子なのにお料理するなんて偉いねえ」
「性別なんて関係ないだろ? 厨房で働いているコックだって男じゃないか」
「それはそれ。料理は女がするものだという古い考え方はまだまだ人々の間に根付いているよ」
「そんなのおかしいよ」
 ギルは意外そうにアレルを見た。アレルの外見はどこかの王侯貴族を思わせる気品のある顔立ちである。見た目からすると、さぞかし高貴な身分なのではないかと思うのだが、そんなアレルが料理をしたり、性別にこだわったりしないのは意外である。
「う〜ん、そうだねえ。でもそんなこと言うなんて…女が家事するものだって考え方にこだわらない男はこれからモテるぞ〜。君の方が奥さんにお料理作ってあげちゃったりとかしちゃったりして」
「料理が苦手な人と結婚したらそうなるかもな」
「君、きっといい旦那さんになれるよ」
 ギルの言葉にアレルはたいして興味を示さなかった。

 食事が終わると、アレルは空間術の勉強を始めた。飲み込みが早い彼はギルを驚かせた。
「よし、空間の仕組みはだいたいわかったかな? それじゃあ試しにいろんなものをイメージしてみてくれ。自分の空間に、自分の部屋に置きたいものとかね」
「自分の部屋か。旅の途中に休むならまずはベッドだな。それに服をしまうタンス。それに机と椅子も必要だな。魔道書とか、興味ある本を買った時の為に本棚もいるし…ん? そういえば時計とかはどうなんだ? 個人の空間で時の流れが違うとか、そういうこともできるのか?」
「何もいじらなければ時間の流れは外と一緒だよ。空間だけでなく時間まで操作しようとするにはもっともっと高度な知識が必要だ。でも時というものはあまり操ろうとしない方がいいよ。世界でも数人しかいない賢人達の中でもそれは禁忌に含まれている。思いのままに時を操ろうとする人間は罰を受けるだろう」
「そうだな。なんでもやり直しがきくなんて反則だもんな。それができれば苦労しないよ」
 もし仮に時間を思うままに操ったら、様々なことがややこしく、おかしくなってしまうだろう。どうやら空間を操るより時間を操る方が難しいようだ。
「それより、うまくイメージできてるじゃないか。今の時点では合格だね。フッフッフ〜。じゃあ次はナルディア王国にあった機械のイメージを出してみてくれないかな〜。古代人の国、古代人が使っている機械、君の話を聞いてからボクはもう夜も眠れないんだ。どんなものか見てみたい」
「ナルディアの機械? そりゃ師匠が興味あるっていうのはわかるさ。だけど俺もそんなに長くいたわけじゃないし、どうやって使うのか仕組みが全くわかってないものも多いんだ」
「どんな外見をしているのか見せてくれるだけでいいから! ねえ、お願い!」
「う〜ん、それじゃあ…」
 アレルは記憶を失って最初に目覚めた、ナルディアという不思議な国のことを頭に思い浮かべた。その中からナルディアにだけある機械のイメージをいくつか出してみた。
「ぬっ! この四角いのは一体何だ?」
「テレビ。いろんな番組を放送する機械だってさ」
「へ? 番組? 放送?」
「映像を映す機械なんだよ。でも魔法で水晶玉を使うのとは違うみたいだ。で、リモコンのスイッチ押すと一瞬で別の番組が出るんだ。魔法じゃあんなに早くはできない。いろいろ聞いてみたけどナルディアの人達にとってはあまりにも当たり前の存在だから仕組みなんて説明できないって言われちゃった」
「てれび、てれびと言ったな。よし! 早速イメージを保存してメモメモ」
 ギルはすっかり熱中してテレビのイメージを見ていた。
「でも実物がないから研究なんてできないぜ」
「いいの! 他に何があった?」
「電話とか。電話っていうのは遠くの人と話をする機械だよ。ほら、これをこう持って耳に当てて、ここからしゃべるんだ」
 アレルは電話のイメージを作り出し、ギルに使い方を説明した。
「ぬうう。心話の術とは違うようだな。機械を使って会話するとは! これでは魔法の妨害は役に立たんぞ!」
「あとパソコンっていうのもあったな。仕組みはさっぱりわからないけどイメージはだいたいこんな感じ」
 アレルはパソコンのイメージを作り出した。テレビと似て異なる機械である。
「ぱそこん? 仕組みが全くわからないとは余程高度な機械に違いない。おお! これらが超古代文明の産物なのか! ありがたや、ありがたや」
 ギルはアレルが生み出したパソコンのイメージを見て礼拝した。アレルは呆れたがギルは古代人の機械にすっかり心酔してしまい、アレルが作り出したイメージを保存して崇め奉り始めた。
「全くもって素晴らしいぞ!」
「ああ、あと冷蔵庫とかもあったな。食べ物を保存する機械だよ。すごく大きくて重いんだ。人間一人の力じゃ運べないくらい。ほら、こんなやつだよ」
「おお! 大きな扉が現れた! 中に人間が入れるんじゃないか? かくれんぼに最適!」
「絶対に入ったら駄目だって言われたよ」
「ふんふん、なるほど」
 ギルは夢中になって古代人の機械の数々を眺めた。いろんな角度から見て、どんどん挙動不審になっていく。
「あと洗濯機とか。服を洗う機械だよ」
「おお! これも人間が中に入れそうだな」
「人が入るんじゃなくて服を入れるんだよ。それで洗剤入れて蓋を閉めてスイッチ押したらぐるぐる回るんだ」
「面白い乗り物だ」
「乗り物じゃないって!」
 冷蔵庫や洗濯機を見てやたらと中に入りたがるギル。アレルは一応説明したのだが、根本的に用途を勘違いしているように感じられる。
「アレルくん、でかしたぞ! 君はひじょ〜〜〜に貴重な古代人の文明に触れた、世界にただ一人の人間なんだぞ! ああ、きっと他のものも我々の使っているものとは質が違うんだろう。紙とペン一つにしても」
「ああ、全然違うよ。ナルディアではボールペンとかシャーペンとかいうのが使われている」
「何だそれはあーっ! 羽ペンとどう違うのだ?」
「いちいちインクに浸さなくてもいいんだって」
「ペンくらい記念にもらってきてもよかったのに!」
「そんなこと考えてなかったな」
「あう〜!」ギルは残念そうな叫び声を上げた。
 その後しばらくギルは興奮おさまらず、ナルディア王国の機械をしげしげと見つめていた。それはアレルが記憶を頼りに描いたおぼろげなイメージであったが。アレルの方は引き続き空間術の勉強をしていた。時々ギルのペット、ペグーが近寄ってきてはちょっかいを出してきたが、そのたびにアレルはペグーの相手をしてやった。
 魔族から追われてギルの元に逃げ込んだのがきっかけで空間術という、随分と貴重なものを学ぶ機会ができるとは。この機会に学べることは貪欲に学んで吸収していこう。ふと、魔族のことに思いを巡らしたアレルは、ある疑問が思い浮かんだ。
「…なあ、ギル師匠、魔王っているの?」
 改めて、アレルは魔王の存在をよく知らない。魔族達はアレルを仲間に引き入れようとしているようだが…
「ん〜…いることはいるけど…全魔族を統べるようなカリスマの持ち主は今いないよ。魔族の世界は現在下剋上の状態にある。みんな我こそは魔族の長に相応しいって、魔王を名乗ってそれぞれテリトリーを作っている。人間の世界に侵略することもあれば魔族同士でぶつかり合うこともあるよ。下剋上の状態だから他の魔族達を統一するほどの手腕の持ち主が現れるかどうかはわからない。もし現れたとしたらそいつはきっと『魔王』ではなく『魔界の帝王』、『魔帝』とでも呼ばれるだろうね」
「俺が今その魔界の帝王の候補に挙げられてるんだ。自然を操る能力と俺の魔力をもってすれば可能だとか言ってよく勧誘してくる」
 アレルの自然を操る能力、それは魔族にとってこの上なく魅力である。自然界を支配する術を持ったアレルが魔界の帝王になれば人間を支配下におくことなどわけもない。それにアレルは魔王になるに相応しい程の魔力の持ち主である。
「君の場合、自分の空間を持てるんだから王様になりたければ自分の空間、自分の世界で王になればいいよ。自分の空間なら何でも思い通りになるからね」
「なんかそれってすごく寂しい発想じゃないか? ま、なんにせよ俺は魔王なんかに興味ないね。人を支配するより自分のやりたいように好きに生きていきたいよ」
「そ、そうか。しかし君を絶望で蝕んで魔王にしようとする輩には十分気を付けるんだぞ! このグラシアーナ大陸の魔族は割と単純思考だけど、ユーレシアやマルキア大陸の魔族は陰謀策略も得意らしいから甘く見ない方がいい」
「ふうん」
「それより宿題! 君が古代人の国ナルディアにいた時のこと、覚えてるだけ紙にまとめて提出してくれるかな?」
「いいよ」
 アレルは改めてナルディアにいた時の記憶を思い起こしていた。平和な国だった。記憶を失って倒れているところをジェーンという女性に助けられたのだが、ジェーンの家の外には出なかった為に知っていることは限られている。鎖国状態だったのだから無理もないが。あの平和な空気とジェーンの人柄のよさは、アレルにとっては未だに忘れられないものであった。





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