その後しばらく時が過ぎた。ある日、ギルは部屋で惰眠を貪っていた。暖かな午後の日差しが窓際から降り注ぐ。ほどよい温度でつい眠たくなってしまったのである。
「う〜ん、お日様ぽかぽかで気持ちいいな〜」
 その時、ギルのペットペグーがやってきてギルをつついた。ギルは寝返りを打って毛布をかぶってよけようとしたが、ペグーはしつこくつついてきた。どうしたのかと思いギルが起きてみると…
「おわっ! タンスの中のお洋服がごっそりなくなってるー!」
 ギルは探査の魔法で洋服の行方を探った。すると、どうやら外にあるようだった。
「ア、アレルくん、何やってるの?」
「見ればわかるだろ? 洗濯だよ。師匠ってずぼらだよな。掃除も洗濯も全然やってないじゃないか。今日はせっかく天気もいいから師匠の服、全部洗ってやるよ」
「んなあーっ! 天気のいい日はお昼寝に限るじゃないか!」
「別に師匠にもやってくれって言ってるんじゃないよ。俺が全部やるから。…あーあ、しみだらけじゃないか。師匠、しみを取る魔法か何かある?」
「ん〜、あるにはあるけど…何だったかな〜」
「とにかく今着てる服以外全部出してくれ」
 その後もテキパキと掃除洗濯をやってしまうアレルを見て、ギルは唖然とした。アレルの気品のある整った顔立ちと愛用のレイピアからすると、アレルはどこかの王侯貴族なのではないかと思われる。そのアレルが掃除洗濯などを手際よくやってしまうのを見ると随分違和感がある。その時、ギルの独特の思考回路は、アレルを魔王にしようとする連中のことに思い当たった。
(魔王、魔王、魔王…アレルくんがもし魔王になったら――魔王がお掃除――魔王がお洗濯――魔王が自分のお城の掃除洗濯とかしちゃったりして――)
「ぬあ〜んてことあるかあーっ!」
 ギルがいきなり大声を出したのでアレルは振り向いた。
「どうしたんだよ、師匠?」
「うんにゃ、何でもない。君みたいな所帯じみた子は絶対に魔王になんかならないと思うよ」
「そんなこと関係あるのか?」
「あるとも! エプロンした魔王なんかカッコつかないじゃないかあーっ!」
 ギルが何を考えてこんなことを言いだしたのかわからないアレルは怪訝な顔をした。

 掃除洗濯が一段落着くと、アレルはまた空間術の勉強に取りかかった。
「なあ、師匠。師匠は前に言ってたよな? 使い魔を召喚して召し使いとして働いてもらえば、いつでも自分の空間を綺麗にしておけるって」
「うん。でも使い魔召喚は難しいよ。一種の生命創造だからね。使い魔っていうのはどんな姿にしてもいいんだよ。人間の姿じゃなくてもいい。妖精の姿でもいいし、半魚人でもいいし、半人半獣でいいし、鳥人間でもいいし、お化けでもいい。どれだけの知能を与えるかも自由。とにかく自由度が高い。自分の好きな使い魔を召喚してみるといい」
「俺は何か精霊みたいなのを召喚してみようかな」
「イメージが決まってるならいいけど、名前は決めてあるのかい? 使い魔はペットと同じようなものだよ。違うのは主人に絶対服従ということだね。とにかく名前を付けてあげなきゃ可哀想だよ」
「名前…何にしたらいいんだろう…」
 名前をつけるということを考えた瞬間、アレルの頭の中は真っ白になった。何も思い浮かばないのだ。

 ――数時間後

「あーもうっ! 何にすればいいんだあー! 何も思いつかない!」
「アレルくんって何でもできると思ってたけど、できないこともあるんだね。君はネーミングセンスが無いんだ」
「う、うるさいなあ! だって自分の使い魔なんだから、いい名前つけてやりたいじゃないか!」
「そうかそうか。それじゃあお師匠様がアドバイスしてあげよう。例えば…そうだな、『ポチ』っていうのはどうだい?」
「ポチ!?」
 アレルは限りなく嫌そうな顔をした。『ポチ』というのは犬の名前で最もありふれたものの一つではないか。
「他にも『タマ』とか」
 今度は猫の名前でありふれたものの一つである。アレルはありふれた名前ではなくて尚且つ良い名前を考えたかったが、ネーミングセンスが無い為、全く思い浮かばない。ギルが思いつくのはありふれた名前ばかりである。
「クロ、シロ、太郎、花子」
「なんだよそれ!」
「とにかく名前が決まるまで使い魔のことは後回しね。召喚できても名前つけてあげられなきゃ可哀想だから」
「ううっ…」
 思いもよらないことで行き詰まってしまったアレルであった。

 その夜――
「フッフフッフフーン。今日はカレーライスでも作ろっかな〜」
 晩御飯の献立を考えていたギルの頭の中に突然よからぬ企みが湧いてきた。
「今日はアレルくんの苦手なもの見つけちゃったもんね。ネーミングセンスが無いとは意外な欠点だったなあ。だけど他にもきっとあるに違いない! 例えば辛いもの! 子供は辛〜い食べ物には慣れてないはずだ。フッフッフ。人間誰しも良い心と悪い心を持っている。今ボクの中で悪の心がもくもくと湧きあがってきたぞー! ええい! 可愛さ余って憎さ百倍! 可愛いけどいつもクールでおませなアレルくんに、今日は激辛カレーを食べさせて泣かしちゃえ! 弟子をいじめて泣かしちゃうなんてボクってわ・る・い・子! アレルくんは可愛い子だからきっと泣いた顔も可愛いぞ〜。フフフ、楽しみだなあ」
 どこからともなく突拍子もない発想が湧いてくるギルの頭の中であった。ギルは嬉々として激辛カレーを作り始めた。
「はーい! アレルく〜ん! 今晩はギルちゃんお手製の料理だよ〜ん! これはインドゥーというちっちゃな国のカレーライスという料理だ」
「その国はどこにあるの?」
「中華(チョンファー)の近くにあるよ。行ったら是非本場のカレーを食べてみるといい」
 アレルは激辛カレーを食べ始めたが、いくら食べても目を涙ぐませることもなく平然としている。ギルにとっては計算外である。
「なっ!? アレルくん! 君、こんな辛いもの食べて平気なのか?」
「俺、別に辛いもの平気だけど? 元々好き嫌いなしで何でも食べられるし」
「そっ…そんなっっ! これは激辛カレーだよ。カレーには辛さに段階があって、甘口、中辛、辛口、激辛とあるんだ。これは激辛カレーなのにそんな平気な顔して食べてるなんてー! ああっ! 君の親御さんはきっと育て方を誤ったに違いない!」
「辛いものひとつで何でそんな話になるんだよ」
「小さい子供には薄味のものを食べさせるって昔から決まってるんです! そして大きくなるにつれて少〜しずつ辛いものに慣らしていく。それが子育ての基本なんですっ!」
 いきなり子育てについて力説し始めたギル。アレルにはよくわからない。辛いものの話をしていたのではなかったか。
「そんなこと言われても俺、記憶喪失だし、どういう風に育てられたかなんて覚えてないよ。だいたい、それなら俺に激辛を食べさせてどうするつもりだったわけ?」
「うっ! そ、それは…」
 まさかアレルの泣いた顔が見たかったなどとは言えないギルであった。
「泣かぬなら、泣かせてみよう、ほととぎす、なあ〜んちゃって」
「は?」
「ううん、いいんだよ。倭の言葉をちょっと変えて使ってみただけだから」

 その夜――
「師匠! 俺、自分の空間にお風呂を作ってみたんだ。見てくれよ! ナルディアにあったものを参考にして作ったんだ」
「なぬっ! あの古代人の国のお風呂だと! 行く行く今すぐ行く!」
 ギルが入っていくと、そこには何とも言えない爽やかな空間があった。壁も天井も白で覆われており、素材はギルが知っているものとは違うものでできているようである。浴槽もそうであった。一人二人が入るにしては大きいその浴槽からは心地よさそうな湯気が立ち上っている。
「おおおおお! これが古代人の使っているお風呂か! ボクの知っているものとは違うな、なんだかピカピカで綺麗!」
「グラシアーナ大陸のお風呂なんかよりずっと気持ちいいんだぜ」
「せっかくだから今夜は君と一緒にお風呂に入っちゃおーっと!」
「別にいいよ。今から使い方教えるから」
 ギルはワクワクした。古代人の国ナルディアのものと聞くとすっかり興奮してしまう。
「まず、これがシャワーっていって、蛇口を捻るとお湯が雨みたいに降ってくるんだ」
「しゃわー、しゃわーというのか、これは! あったかくて気持ちいいぞー!」
「で、これがシャンプーとリンスで――」
 アレルの説明を聞きながらギルははしゃいでいた。アレルも空間術を取得したことで、ナルディアに滞在していた頃の暮らしが再現できるとは思っていなかった。古代人の国は非常に高度な文明であり、家の暮らしやすさ、過ごしやすさも非常に快適であった。
 身体を洗い終わると、アレルとギルは湯船に浸かった。
「あ〜、いい湯だな〜」
「ナルディアには入浴剤っていうのがあって、それを使うとさらに気持ちよくなって疲れが取れたりするんだ。種類によってお湯の色が変わったりするんだぜ。俺が世話になったジェーンおばさんがよく使ってたのはラベンダーの入浴剤だったから、使うとお湯の色が紫になったんだよ」
「おお! 紫のお風呂とは! ボクはせいぜいミルク風呂くらいしか知らないのに。それに何だ? この浴槽はボコボコと泡が出てくるぞ」
「うん、マッサージ効果とかあるんだって」
「面白いぞ! この浴槽は広いし泳いだり遊んだりできるぞ!」
 ギルは完全にはしゃいでいた。どっちが子供だかわからない状態だったがアレルは特に何も言わなかった。アレルもかつてナルディアにいた頃、そうしてはしゃいでいたのだ。
「こうして童心に帰って遊ぶのも悪くないなあ」
 お風呂でバシャバシャと泳ぎながらギルは入浴を満喫していた。
「忘れてたけど、あと髪を乾かすドライヤーっていう機械があって」
「なぬっ! そんなものもあるのか?」
「え〜と、確かコンセントに差してスイッチ押して――」
「こんせんとって何?」
「う〜ん、どういう仕組みだったかなあ? よくわかんないや。とにかく、あの国には『電気』っていうものがあって、それがあるとすごく便利な暮らしができるんだよ。だけどその仕組みまではよくわからなかった」
「『でんき』とな? 今度過去の文献で調べてみよう。それを再現できたらすごいことだぞ! これからボクはさっき入ったお風呂の研究をする。このお風呂は是非再現したい。おっ風呂〜おっ風呂〜」
 ギルは今度はアレルの空間にできたお風呂の研究に入り浸ってしまった。じゃぶじゃぶと音を立てながらあちこち触ったりしている。あまり長時間出てこないのでアレルが心配して様子を見に行った時、ギルは見事にのぼせていた。
「師匠、何やってんだよ、全く」
「うう〜ナルディア〜超古代文明の神秘〜」
「全くしょうがねえなあ」
 アレルはギルを介抱して部屋まで連れて行ってやった。ギルは自室のベッドに仰向けになった。
「アレルくん、君が教えてくれたナルディアの機械の中では『ぱそこん』とかいうのが一番謎に包まれているな」
「うん、俺も使い方さっぱりわからない」
「超古代文明の謎は奥深いなあ〜。ああ! 一度だけでも本物を見てみたいものだ!」
「俺だってナルディアへ戻れるものなら戻りたいよ。すごくいい場所だったもん」
「どうやったら行けるんだろう? なんとかして行く方法はないものか…」
「俺、世界中を旅しながら古代文明の遺跡も探索してみるよ。もしかしたら何か手がかりがあるかもしれないし」
 ギルはベッドからぴょんと飛び上がった。
「うん! 是非そうしてくれ! そしてもし見つけたらボクにも教えるんだぞー!」
「わかってるよ」





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