アレルは宇宙空間に漂っていた。ギルが新しく宇宙というものを見せてやろうとして独自の術を使ったのである。最初アレル達は森の中の家にいた。そこからまるで身体が抜け出したようになり、意識のみとなった二人はどんどん宙へ浮いていく。遥かな上空まで浮き上がったアレル達にはサイロニアの国が小さく見えた。だがそれでもまだまだ上空へ高く浮かび上がり続ける。そのうちにアレルが持っている地球儀で見たようにグラシアーナ大陸が一つの形をとって見えてきた。更に上空へ、アレル達の視野は広く、大きく広がり、やがて世界が球状に見え、大陸を雲がところどころ覆い尽くすようになった。そして更にその球状の星の周りを月が回り、辺りを見渡せば無限の宇宙が広がっていた。遠くに太陽が見える。その他にも、地球より遠くにも近くにも惑星が見える。時には彗星も見えた。そして更に視界が広がり、大きくなり、太陽系が見え、銀河が見え、銀河系、銀河団、超銀河団となり――
「どうだい? アレルくん。これが宇宙だよ。これは世界でも数人の賢人しか使えない術なんだ」
「俺達が生きている世界はこんな風に成り立っているのか…たくさんの銀河の集まり――宇宙の広さからしたら銀河だって小さい存在だ。それなら俺達はなんてちっぽけな存在なんだろう。こんなに小さい世界で俺達は齷齪と生きているのか…」
「そうだよ。宇宙は深遠で広い。ボク達はこんな広〜い世界の本当にごく一部なんだ。こんなこと知ってるのは賢人だけだけどね」
 アレルは暫し茫然として宇宙空間に見入っていた。やがてギルの術は解け、元の住処に戻った。アレルはぼうっとしたままだった。宇宙があまりにも壮大で、現実に戻るのに時間がかかった。
「君もこの術を使いこなすことができればいつでも宇宙遊泳できるよ」
「星を見るのは好きだけど…そうだな。たまにはいいかもな。なんだか宇宙っていい。興味ある」
「わかってることは少ないけどね。今の術は古文書の一つに載っていたんだ。それを賢人の一人が見つけて他の賢人にもそれが広がって、賢人独特の知識になったんだ。どのみち普通の魔力ではこの術は扱えないよ」
「他の賢人はどこにいるの?」
「各大陸ごとに一人ずついるよ。いろ〜んなところに隠れてるから、他の大陸に行ったら探してみるといい」
「教えてはくれないんだね」
 ギルは少し考えた。賢人は皆、隠遁生活を送っている。世間で有名な存在ではない。
「う〜ん、そうだね。それじゃ名前だけ。マルキア大陸にはグルガンというおじいちゃんがいるよ。そして北ユーレシア大陸には中華(チョンファー)に伏龍(フーロン)という囲碁の名人がいる」
「囲碁?」
「もし会ったら教えてもらいなさい。難しいけどね。そして南ユーレシア大陸にはボクの愛しのヴェガちゃんが――ああ、愛しのヴェガちゃんヴェガちゃん――」
 ギルは急に浮かれ出した。目がハートマークになっている。
「そのヴェガって人、女?」
「そうだよん! 賢人の中では紅一点! 賢人っていうのは年齢不詳の外見してる人多いけど、ヴェガちゃんはボクにとって永遠の二十歳。とってもチャーミングは女の子! 時々ラヴレターとかくれるんだよ!」
「師匠に? ホント?」
「何を言う! 異性から送られてくる手紙と言えばラヴレターに決まってるじゃないか!」
 そこへギルのペット、ペグーがやってきてアレルに囁いた。
「ヴェガさんはたまに会いに来てくれたり、話を聞いてくれたりしてくれるんだ。ギルの奇行を見てもただ穏やかに笑顔で見ていてくれる。それがギルにとってはこの上なく嬉しいんだよ」
「その人のこと好きなの?」
「う〜ん、そうだねえ。とにかくギルはヴェガさんのことになると、いつも以上におかしくなっちゃうんだ」
 そんなアレルとペグーの会話をよそに、ギルはヴェガという女賢人への愛を語り続ける。
「ああヴェガちゃん、あなたはどうしてヴェガちゃんなの? 決して結ばれぬ運命の私達」
「師匠、何言ってるの?」
「ああヴェガちゃん、アイラヴュー! ジュテーム! ボクのハートを受け取ってえ〜」
「あの、師匠…」
「ヴェガちゅわ〜ん!」
「駄目だこりゃ」
 アレルが見たところ、ギルはヴェガという女性に恋してるようだ。何を言ってもヴェガのことばかり言い続けるようになったので放っておくことにした。

 その後、アレルは様々な魔導書を読み漁った。サイロニアで学ばなかったものはこの機会に全て吸収してしまおうというのである。そのうちに使い魔召喚の本を見つけた。
「この通りにやれば使い魔召喚ができるんだな。よーし!」
「アレルくん、名前はどうするの?」
「まずは知ってるやつの名前を借りることにするよ」
「そんなことしてその人怒らない?」
「人じゃないから」
 アレルは魔導書に従って使い魔召喚を行った。魔法陣の中からおぼろげに動物の輪郭が現れてくる。それは馬だった。
「馬はかけがえのない旅のパートナーだからな。いつでも召喚できればいいと思ってさ。普通の馬と違って必要な時だけ召喚して、危険になれば引っ込めればいい。これなら馬を誰かに盗まれることもないし、旅の途中で馬を殺されることもないし、安心だ」
「ふ〜ん、それでこのお馬さんの名前は?」
「ヴィランツ帝国から亡命する時に一緒だった馬の名前を借りて『ボルテ』と名付けることにするよ。よし! おまえの名前はボルテだ! これからよろしくな!」
「ワンワン!」
 ボルテと名付けられた馬の使い魔は犬の鳴き声になっていた。
「…あれ?」
「馬なのに犬の鳴き声になってるよん。アレルくん、使い魔召喚は難しいからうまく使いこなせてないんじゃないか? それとも『ワン!』と鳴く馬にしたいならそれでもいいけど。使い魔ってのはその辺何でもありだからね」
「お、おかしいなあ…」
 アレルはもう一度術をやり直した。
「アンアン!」今度は子犬の鳴き声である。もう一度やり直し。
「ばう!」今度は狼のように吠えている。
「お、おっかしいな〜。こんなはずじゃ…今度こそ成功させてみせるぞ!」
 アレルはもう一度入念に使い魔召喚の本を読み直し、慎重に術を使った。
「ヒヒーン ブルルルル!」
「やった! 成功だ!」
「やったね、アレルくん」ギルも一緒に喜んだ。
 馬の使い魔はアレルにすり寄ってきた。アレルは優しく撫でてやる。
「よし! おまえの名前はボルテだ! これからよろしくな!」
「うん、よろしく、ご主人様」
「俺のことはアレルでいい」
「じゃあアレル、僕が必要になったらいつでも呼んでね!」
 そういうとボルテは消え去った。やっと使い魔召喚が成功したのでアレルは嬉しそうである。
「…今のお馬さん、最後に人の言葉しゃべったね」
「そういう風に作ったからな。しゃべれないといろいろ不便じゃないか」
「それはそうだねえ。しかし、ちょっとまごついたけど、うまくやったじゃないか。これなら多人数で旅をすることになっても何頭でも召喚することができるんじゃないかい? 馬車とかも作れるとお嬢様、お姫様の護衛とかに最適だよん!」
「…え? せっかく散々悩んだ挙句、やっと一匹命名したのにそれをまだ何匹も名付けろって言うの…?」
 アレルはがくっと脱力した。ネーミングセンスの無い彼にとって動物の名前を考えるのは非常に頭を悩ます問題であった。
「ただ必要な時に馬を召喚するだけなら名前なんか――」
「名前付けてあげなきゃ可哀想だって言ったのは師匠じゃないか!」
「それは自分の空間で召使いとして働いてもらう使い魔のことだよ。君は他の使い魔はいらないのかい? それなら自分の空間は自分でお掃除しないと。でもそうなると大変だぞ〜。空間を所有しながら旅だなんて、空間のお掃除どころじゃない時だってあるだろうに」
「そうだな。じゃあ一人だけ――」
 アレルはまた使い魔召喚の術を唱え始めた。ギルはどんな使い魔が出てくるかワクワクしている。やがて可愛らしい猫人間が出てきた。執事のような服装をしている。
「ご主人様〜。初めまして! ご主人様がお留守の間、この空間はちゃ〜んと綺麗にしておきますからね! いつでもご主人様が空間にいらっしゃるのをお待ちしています。それではご主人様、僕からのただ一つのお願いです。僕の名前をつけてくれませんか?」
「この間から一生懸命考えていたさ。おまえの名前は『ジジ』だ!」
「僕の名前はジジ。わあい! ありがとう! ご主人様!」
「俺のことはアレルでいいよ」
「じゃあアレル、僕が必要な時はいつでも呼んで下さいね!」
 そう言うとジジはアレルの空間の中に消え去って行った。
「アレルくん、随分と可愛らしい使い魔じゃないか。君は猫が好きなのかい?」
「俺は動物なら何でも好きだよ。なんとなく猫が思い浮かんで、でも空間で召使いとして働いてもらうなら人間の姿じゃないといけないかなって思って、猫人間になったんだ」
「可愛い猫ちゃんだったねえ。よし! 君の使い魔の術は合格だ!」
 晴れて使い魔召喚に成功したアレル。これで新しい仲間が増えた。召喚すればいつでも現れてくれる使い魔達。
「使い魔か…自分が作り出した生き物は絶対服従している。だから裏切らないんだな。人間と違って…人を信用しないで使い魔を使役して一人で暮らしてる人とかもいるんじゃないか? 絶対裏切らない生き物を作り出すっていうのはなんだか空しいな…」
「元々、使い魔の性質はそういうものだよ。人間同士の信頼とは違うんだよ」
「いや、いいんだ。わかってるから」
 アレルはそれきり話を打ち切ってしまった。

 その夜――
「アレルくん、魔導書を読み漁るのもほどほどにして、今日はもう寝たらどうだい?」
「うん、そうだなあ。そうするか」
 ギルの持っている数々の貴重な魔導書をしまい、アレルは自分の部屋に戻って寝ようとした。そこで新しく部屋を発見した。
「あれ? こんなところにも部屋がある。どうして今まで見つけられなかったんだろう? 師匠、この部屋は?」
「ああっ! 駄目だ! アレルくん、そこは開かずの間。何があろうと絶対に入っちゃいけないぞ〜。そんなこと言われると気になってつい入ってしまうのが人情ってものだが、それでも絶対絶対絶対絶対絶対入っちゃ駄目〜! 恐怖におののくことになるよ」
「魔物でも召喚したのか?」
「もっと怖いものさ。とにかく子供の見るものじゃないの! お子様は早く寝なさ〜い!」
 アレルは首を傾げながら部屋に戻るふりをした。ギルの忠告を聞くつもりは毛頭ない。
(子供の見るものじゃない、ねえ…まさかギル師匠も男だからエロ本隠し持ってるとか…なわけないよなあ。一体何だろう?)
 ギルの目を盗んでこっそり覗いて見ると…中には無数のゴキブリがいた。
「あーっ! アレルくん! あれほど言ったのに君って子は!」
「なんだよ、この部屋。ゴキブリでいっぱいじゃないか」
「ボクはゴキちゃんが死ぬほど嫌いなのじゃ〜。だからこの部屋に群がるように術をかけて封印してたのにー!おお! 見るだけで身の毛もよだつ! あれを見た者はたとえどんな勇者でも恐怖におののく」
「そんなことはないと思うけど? 部屋にいたら適当に退治して終わりじゃん」
「そ、そんな! さすがは神託を受けた勇者なだけあるな。ゴキブリをも恐れぬ勇気を持って魔王に立ち向かう勇者達!」
 ギルにかかれば魔王もゴキブリと同じらしい。アレルは呆れた。
「あのなあ、魔王とゴキブリを一緒にするなよ」
「ボクにとってはどっちも同じようなものだよ。いや、どっちかっていうとゴキちゃんの方が怖い」
「ったく、師匠の秘密が何か隠されているかと思ったらこんなことか。子供の見るものじゃないっていうから何かと思えば…」
「ゴキブリだらけの部屋なんて子供に見せるものじゃないわい! それにボクがゴキちゃん大嫌いなのは秘密中の機密事項だったんだぞ〜」
「ゴキブリ好きな人もまずいないから」
「えーい! 今度こそ早く寝なさ〜い!」
 大嫌いだと言いつつゴキちゃんと『ちゃん』付けで呼ぶ辺りがどうもよくわからない。ギルのことは相変わらず理解できないとアレルは思った。





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