クラレンスはアレルの言ったことがよく理解できなかった。
「…一体何を言ってるんだ、君は?」
「これ以上この地域の自然を荒らすのをやめろと言ってるんだ。動物達はみんな住処を追われたり、戦火に巻き込まれて死んでしまったりしてるんだぞ」
 クラレンスは唖然としていた。兜をかぶり、面頬をおろしているので表情は見えないが、本人はぽかんとしてアレルを見つめていた。
「これは戦争なんだよ」
「だからその戦争っていう人間の勝手な都合で動物達は迷惑してるんだよ。森の緑だってすっかりなくなってしまった」
 クラレンスはこの子供が言っていることを咀嚼した。先程から自然を荒らすなとか動物がどうのこうのと言っている。
「君は…なんだい、動物愛好者か何かかい?」
「俺は動物と話ができるんだ。だからおまえ達普通の人間とはちょっと違うかもな。俺にとっちゃ人間の命も動物の命も同じだよ。戦争に巻き込まれて殺されるなんて許せない」
「…君はどうやら特殊な価値観を持っているようだけれど、考えてもみてくれ。動物達が死んでしまうから、森がなくなってしまうから戦争をやめろだなんて、そんな理屈は到底通用しないよ。さっきも言ったようにこれは戦争だからね」
「だいたい何の為の戦争なんだ?」
「もちろん領土拡大、他国の征服、帝国の繁栄の為さ」
「単なる皇帝のわがままだろ? 今の領土で大人しく満足しろよ」
「!? …あのねえ。君はまだ子供だからよくわかってないことが多いんだよ。とにかくあと一歩でダレシア王国と決着がつきそうなんだ。ここは絶対に引けないよ。さあ、もういいだろう。大人しく帰りなさい。子供を戦争に巻き込みたくない」
 暗黒騎士の恐ろしげな姿とは裏腹に、クラレンスは良心的な大人だった。アレルの話をきちんと聞いた上で、優しく諭し、帰そうとする。しかしアレルは引き下がるつもりはなかった。
「この辺りの惨状を見て見ぬふりはできないな。これ以上自然を荒らされたくない。おまえ達を追い払ったらさっそく土地に生命力を与えてやらないと」
「え?」
「どうしても引かないんだったら、力ずくでも追い払うまでだ」
 そう言うと、アレルはレイピアを抜いた。クラレンスはひどく困惑していた。アレルは鋭い目つきで剣を抜いている。しかしクラレンスは子供に危害を加える気は無かった。
「な、何をするんだ。危ないよ」
「怪我したくなかったら言うことを聞きな。今すぐにこの土地から立ち去るんだ」
「よしなさい! 本気で怒るよ」
「こっちは既に本気だぜ」
 アレルはクラレンスに襲いかかった。レイピアを鋭く突き、何の容赦もなく鎧ごと貫こうとする。クラレンスは慌ててかわした。何事かと他の暗黒騎士がやってくる。
「何だ?」
「侵入者!? 子供だぞ!」
「一体どこから…」
 クラレンスは部下に指示を出すどころではなかった。アレルがまだ幼い子供であるにもかかわらず、剣士として恐ろしいほどに腕が立つことに気づいたのだ。しかも本気である。油断していると容赦なく殺されてしまう。驚愕のうちにクラレンスは暗黒剣を抜き、応戦した。他の暗黒騎士達も驚きながらもなんとかアレルを取り押さえようとするが、簡単に返り討ちに遭ってしまった。クラレンスをどんどん追いつめていきながら部下の暗黒騎士達をあっさり倒していくその驚異的な強さ。
「き、君は一体何者なんだ? その強さは到底子供とは思えない…」
「隊長さん、あんた暗黒騎士の癖に人が良さそうだから殺しはしないよ。あんたの部下もね。だけどこの土地からは手を引いてもらう」
「じょ、冗談じゃない! ダレシア王国制圧まであと一歩だというのに」
 クラレンスはどんどん追いつめられていく。このままでは本気でやられかねない。部下もどうやら死んではいないようだが、皆、重傷を負っている。こんな得体の知れない子供の為に退却せざるを得なくなったとしたら、主君であるミドケニア皇帝に何と申し開きをすればいいのか。心理的にも追いつめられたクラレンスは思わず暗黒剣から暗黒の力を引き出し、アレルに向かって放った。
「し、しまった…! 子供に向けて暗黒を放ってしまうなんて…」
「……?」
 クラレンスは子供に暗黒剣を使ってしまったことを激しく後悔したが、よく見ると暗黒の力の直撃を受けたはずのアレルは全くの無傷で平然としている。
「何だそれ? それが暗黒剣の力なのか? 痛くも痒くもないぜ。むしろ力が漲ってくるくらいだけど」
「そ、そんな馬鹿な! 暗黒の力をぶつけられて平気でいられる生き物なんているはずが…」
 暗黒剣というものは通常凄まじい威力を持ち、相手の生命力を一撃で奪うことすらある。使い手の生命すら吸収してしまうのもあるくらいである。それだというのに、その暗黒剣に宿る力を思い切りぶつけられてもアレルは至って平然としているのである。
「なんだか知らないけど暗黒剣の力っていうのはその程度なんだな。それなら今度は俺が聖剣の威力を見せてやるよ」
 アレルは愛剣エクティオスを翳すと聖なる力を放出し、クラレンスを攻撃した。
「うわああああーーーーー!」
 クラレンスは絶叫を上げ、どうと倒れた。暗黒騎士であるクラレンスは聖剣の力には弱い。逆に言えば聖騎士は暗黒剣の力に弱いはずなのだが、アレルは普通の聖騎士とは違うようだ。聖剣の直撃を受けたクラレンスは全身を強烈な痛みが駆け巡り、ほとんど身動きがとれなくなった。
「う、うぐっ…」
「おっと、やりすぎた? 暗黒騎士だもんな。そりゃあ聖騎士の反対なんだから聖剣には弱いよな」
 アレルはクラレンスに近寄ると、何気なくクラレンスの面頬を外した。
「な、何をするんだ! 僕ら暗黒騎士にとって素顔を見られるのがどういうことなのかわかっているのか!」
「そんなこと知らねえよ。この国に来たの初めてだし。それにしてもあんた、随分軟弱そうな兄ちゃんだな。見るからに人も好さそうだし。本当に暗黒騎士なのか?」
「き、君は誤解している。暗黒騎士は決して悪じゃない」
「そんな禍々しい鎧兜つけて悪じゃないって言われてもなあ。とにかくそれだけの重傷を追ったら退却せざるを得ないだろ? 大人しく引き返すんだな」
 そう言うと、アレルはその場を立ち去った。あとに残るはことごとく重傷を負わされた暗黒騎士達である。皆、苦しそうに呻き声を上げている。クラレンスは呆然としたまま地面に倒れていた。
(暗黒剣が効かない子供…? しかも聖剣の使い手だと…? 馬鹿な…)
 クラレンスは今しがた起こった出来事を整理するのにかなりの時間を要した。



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