酒場で情報収集を終えたアレルは再び町の中を探索した後、宿屋を探した。たまたま見つけた宿屋に入ると、そこの主人はとても人が良さそうな男だった。柔和な表情から穏やかな人柄が滲み出ている。宿の主人はアレルを見ると優しい表情を浮かべ、温かく迎えてくれた。
「坊や、いらっしゃい。お父さんやお母さんは?」
「俺、一人旅なんだ。今は猫のルネスと一緒に旅してる」
「おやおや、こんなに小さいのに一人で旅とは。さぞかし危険な目に遭うことも多いだろうに」
「いつも気をつけてるから大丈夫さ。それよりおじさん、ここは猫と一緒に泊まることはできる?」
「ああ構わないよ」
 宿の主人はさっそく部屋に案内してくれた。小ぎれいに片付き、質素だが清潔に保たれた部屋。こまめに掃除してあることを感じさせる。アレルが荷物を置いていると中年の女性がやってきた。どうやら宿屋の主人の妻らしい。アレルが一人旅をしていると聞くと非常に驚いた。
「まあまあ! こんな小さな子が一人で旅だなんて! さぞかし大変だっただろう?」
「うん、まあ、確かにいろんな目に遭ったけど」
「そうだろう! ここは我が家のように思っていいんだよ! ゆっくりしておいき。ああ、そうだ。洗濯物はあるかい? おやまあ、服がほつれてるじゃないかい。おばさんが直してあげるから遠慮せず出しなさい」
 宿屋の夫婦は甲斐甲斐しくアレルの世話を焼いた。やはり十歳にも満たない子供が一人で旅をしているのは驚かれるようだし、心配されるようである。アレルは純粋に好意に甘えることにした。宿の主人の名はバート、妻の名はケリーと言った。夜がやってくると彼らは腕によりをかけてご馳走を作り、アレルに食べさせた。傍らでは黒猫のルネスが分けられた食事を大人しく食べている。危うく殺されるところを助けられたからか、ルネスは基本的にずっと大人しくしたままだった。
「おじさんもおばさんも本当によくしてくれてありがとう。この料理とっても美味しいよ」
「そう言ってくれるとこちらも嬉しいよ。さあ、お代わりはいくらでもあるよ。お腹いっぱい食べなさい」
「それにしても坊や、どうしてたった一人で旅をしているんだい?」
 アレルが記憶喪失であることを話すと、夫婦は心底同情したようだった。そして大人の旅の仲間を探すように言ってきた。二人共善良な人間であるようだ。子供の一人旅であるアレルの世話をとことん焼いた。世間ではどんなに悪い大人がいるか、いい大人と悪い大人の見分け方など、夫婦の知っている限りのことをあれこれ助言してくれた。アレルは人を見る目に自信があるわけではない。信じていた人間に裏切られた記憶だけは薄っすらと頭の中にある。夫婦の助言を素直に聞いていた。
 その後、アレルは黒猫のルネスの話をした。
「黒猫が不吉だっていう迷信は確かに聞いたことがあるね。地域によっては徹底的に黒猫を殺してしまうらしい。しかしこの猫を見ていると酷いことをするもんだってつくづく思うね。こんな可愛い猫を殺そうとするなんて。この町では大丈夫だから安心しな」
 夫婦がルネスを撫でようとしても、ルネスは怯えてしまった。今まで自分を見た人間は全て自分を殺そうとしてきたのだから無理もない。ルネスはアレルの膝の上に乗ると丸くなった。
 その時、宿屋に一人の男が入ってきた。
「おや、ニールお帰り」
「ただいま。今日は随分と可愛いお客がいるなあ」
「そうなんだよ、聞いとくれ。この子ったらこんな小さいのに一人旅してるっていうんだよ」
「何だって!? 危ないじゃないか!」
 アレルにとって一人旅などどうということもないのだが、七歳くらいの子供が一人で旅をしているというのはアレルが思っている以上に驚かれ危険だと心配されることのようだ。
「アレル君、紹介するよ。こいつは俺達の自慢の息子、ニールだ」
 この夫婦の息子なだけあってニールも見るからに人が良さそうだった。戦いや暴力とは無縁の穏やかな家庭。アレルは久しぶりに人の温かさに触れたような気がした。しかしどんなに温かくて穏やかな家庭でも、その平和を脅かされることがある。それは兵役である。ニールは現在兵役で、これからまた戦地へ赴くところなのだそうだ。
「ニール、今度はどこに行くことになったんだい?」
「ソリューズヒルだ。今度は西から迂回したミドケニア軍が攻めてくる」
「ミドケニア軍!? まだ攻めてくるのか!」
 アレルは思わず叫んでしまった。宿の親子は特に驚いた風もなく、続きを話す。ミドケニア帝国との戦争は誰でも知ってることである。
「そうなんだよ、坊や。ミドケニア帝国はまだこのダレシア王国をあきらめていない。先日南方から進軍してきた暗黒騎士達は原因不明の撤退をしたが、一方向のみから攻めているわけじゃないからね。一つの国を征服するのに複数の方向から攻めるのは、強大な軍事力を持った帝国にとってはわけもないことさ。君もソリューズヒルには近づかない方がいい。これからあそこは戦場になる」
「ニール、今度も無事帰ってきておくれよ。全く、兵役なんてものなければいいのに」
「母さん、国王陛下がしっかりとこの国を統治してくれているから俺達は平和に暮らしていけるんだよ。その平和を脅かそうとする帝国と戦うんだ。国民の俺達も協力しないと」
「そうだけどねえ、息子を送り出す親にとってみれば死んでしまうかもしれないのに戦地に送り出したくはないよ」
 アレルはしばらく宿の親子の会話を黙って聞いていた。宿屋を営んでいる夫婦、バートとケリーの息子のニールは兵役で戦地に赴かなければならないらしい。
(戦争か……)
 せっかく暗黒騎士達を足止めしたと思ってもまた別の場所で戦争が起きるというのだ。なんだか自分のやったことが無意味であったような気になってくる。また自然は破壊され、人間、動植物を含めた多くの生命が失われようとしているのだ。
 アレルは宿屋の息子のニールを見た。体格はいいから兵士としては有能に入るだろう。しかし人の好さそうな顔を見ていると、とてもじゃないが戦争などに巻き込みたくない。この人は平和な場所で穏やかに生きるべきだと、アレルは強く感じた。こんな優しそうな人が兵士として戦争に行くなんて納得できない。アレルはそう思った。
「ニールさんみたいな人が戦争に行くなんて……ニールさんは軍人じゃない。戦うのが好きって感じにも到底見えない。戦争に行ったら死んじゃうかもしれないんだよ。親にも心配かけちゃうし」
「坊や、俺を心配してくれるのかい? ありがとう。でも俺は行かなければならない。この国を守る為だからね。小さい頃からずっとここで生まれ育ってきたんだ。俺はこの国が好きだ。他の国に侵略されようとしているなら是非とも守りたい。もちろん俺の力は微々たるものだけどね。でも国王陛下の命を受けて戦い、この国を守ることは、最終的には俺の一番大切な家族を守ることになるんだ」
「家族を?」
「ああ、そうだよ。征服された国では略奪が起きる。殺人だって横行してしまう。そんなことになったらこの国もこの家も滅茶苦茶だ。だから俺は一兵士としてしっかりと戦わなければならない。国の平和の為、家族の平和の為、自分の大切な人を守る為に戦うんだ」
 アレルは戦争と平和について思いを馳せた。兵役に赴く国民は何も戦いたくて戦争に参加するわけではない。国王の命令で仕方なく戦うのであり、自分の国が滅びれば最終的に自分と大切な家族が危険に晒されるからである。国王が国の平和を守り、しっかりと統治し、治安維持をしていれば国民たちは平和に暮らせる。その代り国民は兵役に従う。その仕組みについて漠然と考えた後、戦争の悲惨さに思い当たった。
「ダレシア王国南部は戦場になってほとんどが焼け野原になってしまったそうだ。かなり熾烈な戦いが繰り広げられたようでね。兵士を募集しても足りないから俺達平民まで徴集がかかってるんだ。今度こそは帝国軍を食い止めないと」
「また暗黒騎士が相手なの?」
「いや、今度は別の軍隊だ。暗黒騎士達は南方から攻めてきたが、原因不明の撤退をしたままだ」
「そっか。…またたくさんの生命が失われるんだな」
「…そうだね。国王陛下だってできれば戦争なんかしたくないんだ。だけど相手が攻撃を仕掛けてくる以上応戦しなければならない。王は国の平和を守る義務があるからね」
 アレルの頭の中のイメージでは、ダレシア王国の王はきっといい王なのだろうと思った。そしてミドケニア帝国の皇帝は自らの野望の為に他の国の平和を脅かす悪い皇帝ではないかと思った。アレルにとって帝国や皇帝の第一印象はヴィランツ帝国とその皇帝である。帝国は悪い国、皇帝は悪い奴という印象が非常に強かった。ミドケニア帝国とその皇帝もやはり野望の為にどんなひどいことでもするのではないかと思った。
「帝国なんて碌な国じゃないや。ただ領地を増やしたいだけの為に大勢の生命を犠牲にするなんて。今までたくさんひどい死体を見てきたんだよ。戦争なんて……」
「それは怖かったろう。君がこれからどこへ旅するのか知らないけれども、ソリューズヒルにだけは行ってはいけないよ」



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