「参ったなあ。次の町までだいぶ距離があるのにもう日が暮れちまった。今日はここで野宿するしかねえな」
 アレルとセドリックは引き続き旅をしていた。目的地はミドケニアの首都メアンレ。旅の途中、夜は宿に泊まるようにしていたのだが、今日は無理なようだ。もう日が沈みどんどん暗くなっていく。仕方なしにセドリックは野宿の用意をしようとした。しかし、空を見上げた彼は顔を顰めた。雨雲があるのである。雨に濡れたまま野宿するのはまずい。どこか雨をしのげる場所はないかと探し始めた。それを見たアレルは一つの提案をした。
「なあ、俺の空間に来ないか?」
「え?」
「俺、実は空間術っていうのを使えるんだ。自分の空間を持ってる。その中に入れば雨風しのげるし、ベッドで寝ることもできる」
「!? なんだって? 君はそんなことまでできるのか! 一体いくつ秘密を持っているんだ?」
「いいから来いよ。ほら!」
 アレルがぱちんと指を鳴らすと突如周囲が部屋の中に変わった。部屋の中は程良い明るさで、気温も暖かい。きちんと片付いた、落ち着いた部屋だった。
「ここが俺の空間だよ」
「君の空間って………要するに君の部屋ってことかい?」
「亜空間にある俺の家みたいなものだね。普通の家にあるものは一通りそろえてある」
「な、なんだかすごいなあ………あ、お邪魔しま〜す……」
「堅くならなくていいからもっとくつろいでくれよ。そこの椅子にでも座って。今、お茶を出すから」
「へええ〜、こんなすごいことまでできるんだ……」
 セドリックは驚きに満ちた表情で周囲を見渡した。一体どれだけの高等呪文を極めた魔道士ならここまでできるのだろう。その気になればずっとここに住むこともできそうである。
しばらくこの高度な術に感銘を受けていたセドリックは、これはアレルの空間、アレルの部屋なのだと改めて気付いた。そうしてみると、子供らしいものはどこにも置いていない。魔道書が本棚に山積みになっているが、間違っても玩具の類はない。ぬいぐるみのひとつでもあれば可愛らしいのに、などと考えていると、部屋の奥から人の姿をした猫――猫人間がやってきた。
「セドリックさん、初めまして。僕の名前はジジといいます。猫人間の使い魔です。今、お茶をお持ちしました。どうぞ」
「なっ!? 猫、人間? 使い魔……ボルテ君だけじゃなかったのか」
「はい。ボルテは御主人様のアレルが馬に乗りたかったり、馬が必要だったりした時の為に生み出されたんです。僕はこの空間の世話係です。アレルがいつ帰ってきてもいいようにこの空間を綺麗にお掃除しておくのが僕の役目です」
「ほええええ」
「なに間抜けな声出してるんだよ」
「あ、アレルくん! 君って子はこんなすごいことまでできるのか! 最早世界最強の勇者とかいうレベルじゃないぞ!」
「ジジは俺の使い魔。一応召し使いのようなものさ。何か必要なことがあったら遠慮なくこいつに言ってくれ」
「はい。セドリックさんはお客様ですから何でも言うこと聞きますよ」
「何だって! 本当に何でも言うことを聞くんだな!」
「はい」
「本当に何でも?」
「はい」
「本当に何でもいいんだな?」
「はい、遠慮なくどうぞ」
「それなら………そうだ!ジジ君と言ったね。君は猫なんだよね?」
「はい、そうですが」
「それなら………肉球を触らせてくれ!」
「……え?」

し〜ん……………

「肉球って……」
「猫と言えば肉球! あのぷにぷにした感覚が何とも言えない! おまけに君は知能の高い使い魔だから引っ掻かれることもない。安心してぷにぷにできる!」
「あ、あの……別に……いいですけど……」
 セドリックはジジの肉球を押し始めた。ジジはきょとんとした顔でされるがままになっている。
「う〜ん、いいなあ。他に肩揉んでくれたりもするのかなあ? 他にもマッサージとか」
「え? いいですよ」
「おおっ! 猫の肉球でマッサージされるこの幸せ!」
「ジジ、ごめんな、こいつ、ちょっと変な奴なんだ」
「いえ、いいんですよ、アレル」
 その日の晩御飯アレルの空間ですることになった。料理はアレルとジジの2人で作ったものである。
「アレルくん、料理うまいなあ」
「ティカっていう女の人に教えてもらったんだ」
「ティカ? 誰だい、その人は。どこで知り合ったんだ?」
「サイロニアの伝説の勇者ランドって知ってるかい? あいつの仲間だよ」
「ああ、そういえばそんな奴がいたっけ? 君も神託を受けた勇者同士知り合いなのか」
「ああ。極悪の国ヴィランツはあいつに任せてきた。俺はもうあの国に関わるのはまっぴらだからな」
 その後アレルは勇者ランド一行の話をしたが、セドリックはあまり興味を示さなかった。
「食事が終わったら、次は風呂に入ろうぜ」
「何っ! この空間には風呂まであるのか!」
「ああ、普通、宿に泊まらなきゃなかなか風呂に入れないだろう? 俺はそういう時いつもこの空間で入ってるんだ。けっこう大きな湯船にしといたからゆっくりとくつろげるぜ」
 アレルの空間にある風呂は、ナルディアという国のを参考にしたものである。自分が知っているものとあまりにも違うその作りにセドリックは驚いた。アレルが空間術を使えると知ってから驚きの連続である。
「おおおおお! なんだこの風呂は? 俺が知ってるのと違うぞ!」
「今、使い方教えるから」
「使い方って……俺が知ってるのとどう違うんだ?」
「まずこれがシャワー。蛇口を捻るとお湯が出てくる。あったかい雨が出てくるみたいな感じ」
「わっ!」
「あと、これがシャンプーとリンスで――」
 セドリックはさらに驚きの連続になるのだった。アレルの空間の風呂は非常に心地よかった。広い湯船に浸り、身体を思い切り伸ばす。
「すごいなあ。お兄さん、もうびっくりの連続だよ。それにしてもこの気持ちのいい風呂は一体どこの国のものなんだい?」
「ナルディアっていう国だよ。俺はそこで記憶喪失の状態で目覚めたんだ。あの国の人達ははっきりとは言わなかったけど、俺は彼らが古代人だったんじゃないかって思ってる」
「古代人? この優れた技術もその為か」
「ああ。あの国にいたのはほんの少しだけだけど、他にも見たことがない機械がいっぱいあった。だけど鎖国状態にあったから俺みたいな余所者は置いておけなかったんだ。それでワープ魔法で何も知らずに選んだ先がヴィランツだったんだ」
「ふうむ。なるほど。そうだったのか。君は記憶喪失で目覚めてから波乱の人生を送っているんだねえ」
「俺、もうあきらめてるんだ」
「何を?」
「平穏無事な人生を送ること」
 アレルは声を落としてそう呟いた。悲し気な表情、何かに絶望したような表情。そんなアレルを見ていてセドリックはいたたまれない気持ちになった。
「そんなことはわからないよ。世界に平和が戻ればめでたしめでたし、だろ?あとはお姫様と結婚していつまでも幸せに暮らしましたとさ、とかよくある話さ」
「俺には無理だと思う。前もそうだったし」
「前って? いつのことだい?」
「……え? あれ? 俺、何言ってるんだろ?」
「記憶が戻ったのか?」
「いや、全然。考えると頭が痛くなる。なあ、俺って本当に子供だと思うか?魔法や薬で小さくなっただけで本当は大人なんじゃないかって言われたことがあるんだ。それに俺って大人よりずっと戦士として強いし」
「そうだなあ。今の発言は気になるけど、だけど俺は君を子供として扱うよ」
二人は風呂からあがると居間にあたる部分でくつろいだ。
「そろそろ寝るか」
「あっ」
「どうした、アレル君?」
「ベッド一つしか用意してない」
「そうか。じゃあ今夜は一緒に寝るか」
「そうだな。でもこれからはちゃんと用意しておかなくちゃならないな。俺だっていつまでも子供じゃないし、これから女の人と旅することもあるだろうから」
「そうだねえ。ところでアレルくん、俺はいいけど、他の男とは一緒に寝ない方がいいぞ」
「何で?」
「危険だからさ。世の中いろんな趣味の奴がいるんだぜ」
「そりゃそうだろ」
「君は俺の言ってることがわかってないようだね」
「趣味なんて人それぞれだろ」
 セドリックは真面目な表情になった。アレルはまだ純粋で世の中のことを知らない。変態的な嗜好を持つ大人についてはある程度教えておかなければならない。
「……いいかい? これは君の為に言っておくんだけどね、世の中には同性愛者っていうのがいるんだよ」
「何それ?」
 まだ子供なのだから知らないのも無理はない。だがアレルの器量を考えるとそういったことについて教えておいた方がいいだろう。見目のよい子供は常に危険にさらされる。セドリックは落ち着いて言い聞かせるように説明した。
「男同士で恋愛?」
「ああ。または女同士でもある」
「何言ってるんだよ。そんなことあるわけないだろ?」
「へ?」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと寝るぞ」
「ちょっと待った! 今の話は本当だ! 本当にいるんだってば!」
「そんなのあり得ないよ」
「あ、いや、だからね、おーい、アレルくん!」
 アレルはさっさと寝入ってしまった。あとに残されたセドリックは唖然とする。きちんと真面目に説明したというのに全く相手にされなかったのだ。
「う〜ん、この様子だと実際に目撃するまで信じないぞ。まあ、まだ子供だからなあ。そのうち理解する時がくるか」



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