ミドケニア皇帝ヴァルドロスは相変わらずアレルを盲目的に可愛がっていた。寵姫達は寵を失ったままである。先日のクリーパーの一件も含め、皇太子リュシアンと臣下の者達は本格的に懸念し始めた。そしてある日、とうとう決行に出る。ヴァルドロスの元にリュシアンとホラーツをはじめとした重臣達がそろってやってきた。
「どうした? 皆の者。改まって」
「父上、今一度お尋ねしたいのですが、父上はアレルくんのことをどう思っているので?」とリュシアン。
「あんな可愛い子は今まで見たことがないな。できればわしの息子にしたいくらいだ」
「あの、陛下、誠に申し上げにくいのですが……」とホラーツ。
「なんじゃ。アレルくんに何かあったのか?」
「そうではなくて、何かあってからでは遅いんです。私共は皆陛下をお慕いしております。しかし一人の大人として子供が危険にさらされるようなことがあってはならないと思っております。万が一陛下がご乱心なさりアレルくんに何かするようなことがあれば――」
「ちょっと待て! わしがそんなことをすると思うのか! 毎日あれ程可愛がっているというのに」
 この時ヴァルドロスは初めて気付いたのであった。リュシアンと重臣達の何かを危惧するような目。どうやらとんでもない誤解を招いていると気付き、ヴァルドロスは慌てて否定した。
「ちょっと待て! わしのアレルくんに対する気持ちは大人が可愛らしい子供を慈しむ極めて健全なものだ!」
「それでは何故寵姫達に興味を示さなくなったのです? アレルくんが宮廷に来た日を境に誰とも床を共にしていないではありませんか」
「そ、それはだな……ん〜……何故だか急にそんな気分にならなくなったのだ」
 ヴァルドロスがそう答えた途端、リュシアンと重臣達の表情が一層険しくなる。
「なっ………何だおまえ達その疑惑の目は!」
「父上、我々はずっと危惧しているのですよ。急に女に一切手を出さなくなりひたすら男の子を可愛がるというのは――」
「ちょっと待たんか! おまえ達! わしがそんな趣味に走るとでも思っているのか! そっ……それは犯罪ではないか。いや、それ以前にだな。わしがそんな人間だとでも――わしが保護者となってアレルくんをそういった輩から守ってやるべきであってだな」
「とにかく現在父上には嫌疑がかかっているのです。これは国の醜聞にもかかわりますし、我々も大人としてそのような危険な状態を見過ごすわけにはいきません」
「誰も幼児趣味になぞ目覚めてはおらん! 誤解じゃああああーーーーー!!!!!」
 その後、皇帝ヴァルドロスは激しく落ち込むことになるのであった。アレルは非常に可愛らしい子供である。世の中には変態的な趣味を持つ輩がたくさんいる。せめて自分の元にいる間だけは大人として保護してやりたい気持ちでいっぱいだった。それなのにまさか自分がその変質者と同じような目で見られているとは。

「あれ? 陛下何してんの?」
 いつもならとっくに遊ぼうと言ってやってくるはずのヴァルドロスがいつまで経っても来ないのでアレルは探しに来た。アレルの気のせいでなければミドケニア皇帝ヴァルドロスはいじけているように見えた。そしてちらりとこちらを見る。
「アレルくん…」
「何? どうしたの?」
「わしは変なおじさんじゃないよ」
「え?」
「君も今まで大人達によく言われただろう? 変なおじさんに気をつけなさいって。その変なおじさんとわしは違う、違うんじゃぞ」
「誰も同じだなんて言ってないよ」
「口に出して言わなくても目つきが暗にそう言っておった……あやつらめ……リュシアンまでひどいではないか……重臣共も……ホラーツなんぞ自分が男色家のくせに……」
 今ひとつ状況が飲み込めないアレルであった。一体何をもって臣下が君主を『変なおじさん』呼ばわりしたのか。それによりいじけている皇帝というのも見ていて気が抜けてしまう。国の政治に関することなら皇帝らしく威厳を放ち命令を下すヴァルドロスであるのに、政務から離れるとどうしてこうなってしまうのか。
「アレルくん、いいかい、ここではわしが君の保護者のようなものじゃ。変なおじさんからはみーんなわしが守ってやる。アレル君に変なことをしようとする輩がおったらわしが極刑に処してやる。断じてわし自身が『変なおじさん』なんかではないぞ! それだけは信じてくれ」
「誰もそんなこと疑ってないよ」
「それならいいんじゃ。ううっ、アレルくーん!」
 ヴァルドロスは泣きながらアレルに抱きついた。すると瞬く間に重臣が家令を率いてどたどたとやってきた。
「こらっ! おまえ達! まだわしを疑っておるのか!」
「陛下、万が一ということもありますので必ず誰か側仕えの者をつけて下さい。我々は君命より子供の安全を優先します」
「誤解だというのに!」
 誤解というのは何のことなのか、アレルは首をかしげた。ヴァルドロスは自分がどういう意味で疑われているのかわかって立腹しているし、重臣達は重臣達で君主が子供に犯罪行為を行うなどという事態にならぬよう細心の注意を払おうとしている。皇帝と重臣達の言い争いは徐々に激しくなり、アレルはとりあえずその場を去ることにした。

 先日のクリーパーの一件以来、宮廷内は警備が強化された。巡回する兵士の数も増えた。そんな中、アレルは暗黒騎士を一人見かけた。以前会ったことのある暗黒騎士団大隊長クラレンスである。
「あ、軟弱兄ちゃん久しぶり」
「……アレルくん、と言ったね。最初の一言がそれかい」
「あの時のことは謝ったりなんかしないぜ。あんたの部隊に死人は出さなかったはずだ」
「なんとも複雑だね。神託を受けた子供の勇者の仕業だとわかった時には皆、驚きを隠せなかったよ」
「俺に仕返ししようとか企んでないのかい?」
「僕は君に素顔を見られた。それは暗黒騎士にとっては最大の屈辱。だがいいんだ。君はまだ子供だからね」
「子供だから、か。ま、どのみちあんたに負けることはないけどな」
「アレルくん、きみは大人を馬鹿にしてるところがあるようだね」
「そんなことはないと思うけど……でもそういう時もあるかな」
 アレルとしてはなるべく素直な子供でいたいが、時に生意気な子供にならずにはいられなくなる。大人が自分より弱いというのもあるのかもしれない。アレルは薬か魔法で小さくなっただけで本当は大人なのではないかとも言われたが、やはり悪ガキなのだろうか。
「まさか皇太子殿下にまで失礼な態度を取ってやしないだろうね?」
「大丈夫だよ。いくらリュシアン殿下が俺より弱いからって馬鹿にしてなんかいないぜ」
「……君って子は……」
「それより魔族がこの宮廷内にクリーパーを仕掛けてきたんだ。あんた達暗黒騎士も警戒を怠らないでくれ。今回は俺も協力するからさ」
「君は誰の味方なんだい?」
「誰の味方でもないよ。自然界なら無条件に味方するけど、人間ならその時の気分で決める」
「相変わらず変わった子だな」
 暗黒騎士達のアレルに対する感情は複雑である。ただの子供なら見つけ次第それ相応の報復でもなんでもしただろうが、神託を受けた勇者で尚且つ皇帝から可愛がられているとなれば手荒な真似はできない。クラレンスなどはアレルから『軟弱兄ちゃん』と呼ばれてしまうくらい人が良いが、そんな暗黒騎士達ばかりではない。以前アレルに大打撃を与えられた暗黒騎士達の間にも不穏な動きが出始めるのであった。



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