ミドケニア皇帝ヴァルドロスは今日も政務に励んでいた。なんだかいつにも増して熱心である。理由はわからないが仕事熱心なのは結構なことだと臣下の者達は黙っていた。そして――
「よし! これで今日の施政は終わりだ! 他に何か見落としたことはないだろうな?」
「また何かあればその都度ご報告致します」
「そうか。それなら今日残りはわしの自由にさせてもらう」
「これからいかがなさいますか?」
「アレルくんと遊ぶっ!」
 ミドケニア皇帝は勢いよく立ちあがると部屋を出て行った。残された臣下達はあっけにとられている。

 アレルはちょうど宮廷内を案内してもらっているところだった。何故かセドリックはいない。
「アレルくん!」
「あっ、陛下」
「アレルくん、これから陛下と一緒に遊ぼう!」
「は?」
「ほら、お菓子をあげるから」
 アレルは目をぱちくりとさせた。その場にいた者達は皆唖然としている。
「アレルくんは何をして遊ぶのが好きなんだい? 鬼ごっこかい? それともかくれんぼかい?」
 アレルはぽかんとしている。
「高い高いしてあげようか? 肩車は楽しいぞ〜。ボール遊びなんかもいいな」
「あの……陛下……?」
「君はまだ七歳なんだろう? まだほんの子供じゃないか。お父さんお母さんに甘えたい年頃だろう。そこでこのわしが親の代わりに君と遊んであげようと言うんだ」
「こ、皇帝陛下が?」
「本来なら君くらいの歳の子供は親の愛情に包まれて育たなきゃいけないんだ! それなのにもう勇者の神託を受けているという! 神はなんと過酷な運命をもたらしたのだ! さあ、アレルくん、この国にいる間は何も遠慮はいらない。このわしにいっぱい甘えなさいっ!」

 セドリックはさっそく宮廷内の侍女達を片っ端から口説いていった。結果は散々であったが懲りないのが彼の性分である。この宮廷に滞在する間だけでも束の間の愛を。ここに来るまでの旅の道中、アレルから何度も女癖の悪さを直すことを指摘されたが、セドリックはアレルの言ったことを全く聞いていなかった。そうして宮廷内を歩き回っているうちに中庭に来た。そこで彼が見たのはミドケニア皇帝ヴァルドロスがアレルを肩車している光景だった。
「なっ!? 何をやってるんだ、あの皇帝は」
「おお、あなたはセドリック殿ではないですか。見ての通り、陛下はすっかりアレル君と遊ぶのに夢中になってしまったのです。一体どうされたのか、我々にもさっぱりわからない。ただ急に子供好きのおじさんになってしまわれたのです」
「あの皇帝陛下は前から子供が好きだったのか?」
「いえ、特にそういうわけでは……」
「なんかおかしくないか? 天下の皇帝陛下が実の子供でもないのにあんなに可愛がるなんて」
「は、はあ……」
「無礼を承知の上で言うが、まさかあっちの趣味があるなんてことはないだろうな?」
「そんなはずはないのですが……」
 ミドケニア皇帝とアレルが遊ぶ光景を危惧している宮廷の者達はひそかに顔を見合わせた。何しろアレルが宮廷に来た時を同じくしてルジェネ姫が寵を失い、皇帝はアレルに夢中になっているのだ。
「まさかとは思いますが万が一ということもあります。陛下とアレルくんを二人きりにしないように気をつけましょう。誰でもいいから常に側仕えの者がいる状態にしておきますから」
 そんなこととは知らずに皇帝ヴァルドロスはアレルと遊んでいた。やがて椅子に座り、アレルを膝の上に乗せる。
「アレルくん、何か欲しいものがあったら遠慮なく言いなさい。お菓子ならいくらでもあげるよ」
「欲しいものはないけど陛下に聞いて欲しいことがあるんだ」
「それは何だい?」
 アレルはダレシア王国との戦争で自然が失われたことと、毒を使った卑怯なやり口について諫言した。
「ふむ、そうか。しかし国の繁栄の為には領土拡大は欠かせないのだよ。目的の為には手段を選ばんのだ」
「それで毒を使うような卑怯な手も平気で使うわけ?」
「そうは言っても正々堂々と戦う者と卑怯な手を使う者とどっちが勝つかと言ったら卑怯な手を使う方だろう。戦争とはそういうものだ」
「陛下には罪悪感とかないんだ。多くの人が毒でなすすべもなく死んでしまったんだよ」
「その代わり我が軍には犠牲者は一切出なかった。まともに戦争をしていたらもっと犠牲者が出ていたぞ」
「だからってやっていいことと悪いことがあるだろ! 俺が世話になった宿の人も亡くなったし、ルネスだって……」
「ルネスというのは?」
「一緒に旅してた黒猫だよ。ほんのわずかな間だけだったけど。せっかく助けたのに毒であっけなく死んでしまうなんて……」
「なっ! ななな何っ! アレルくんのペットを殺しただとおおお! それは許せん。直ちにあの作戦を立てた者を罰しよう」
 アレルには理解できなかった。自分のペットだったら許せなくて敵国の人々だったらいいのか。
「作戦の企画者は厳重に罰する。それに新しい子猫をいっぱい探してくるからそれで許しておくれ」
「陛下? なんか基準がおかしいよ」
「そんなことはない。わしの可愛いアレルくんの為なら何でもしよう」
 その時周りにいた宮廷の者達は危惧するような視線を向けた。アレルはどうも自分の言いたいことが伝わってないのを感じた。ヴァルドロスは全く自分のやったことに罪悪感を感じていないようである。その後も諫言を続けたが埒が明かない。効をなさないと判断したアレルはぼそりと呟いた。
「陛下なんか嫌いだ……」
 そう言うとさっさとヴァルドロスから離れていってしまった。ヴァルドロスの方は慌てふためく。
「ま、待ってくれ、アレルくん、アレルくん、アレルくーーーん!!!!!」
 アレルに嫌われた。そう思ったヴァルドロスは取り乱し始めた。
「そこのおまえ達! 可愛い小動物を集めてこい! それとお菓子をたっぷりと、今夜は御馳走を作るんだ!」
 どうやって子供の機嫌を取ればいいか焦って考え始めるヴァルドロス皇帝陛下であった。彼の妙な乱心はこれからさらに続く。



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