ミドケニア宮廷の者達は最近の皇帝の様子に面喰っていた。無類の女好きから一変して子供好きのおじさんになってしまったという不可解な状況に困惑の色を隠せない者も多い。一体どうしてしまったのか。
 ミドケニア皇帝ヴァルドロスは女好きな為、結果的に子だくさんだが、特に子供好きというわけではなかった。必要最低限のことはするが、それ以外はほとんど情をかけない。皇太子であるリュシアン皇子だけは後継ぎということもあり、思い入れが違うが、他の子供達にはそれほど興味関心は示さなかった。ましてや自分の子でもないのに可愛がるなど、これまではなかったことであった。
 さらに不可解なのが寵姫達が急に寵を失ったことである。皇帝ヴァルドロスは別に女が嫌いになったわけではない。だがあれ以来どの側女とも床を共にしていない。急にそういう興味を失ってしまったようだった。女に手を出すことが一切なくなり、血のつながりのない男の子をひたすら可愛がるその光景を見て、宮廷内の口さがない人々はある疑いを持たずにはいられないのであった。
「アレルくん」
「あ、あなたは昨日のホラーツさんという人だよね? 俺に近づいちゃいけないって陛下に言われてただろ?」
「アレルくん、ホラーツ殿はそんな人間ではないから安心していいよ」
 見ると、昨日会ったホラーツという大臣の外にも主な官僚達がそろっている。
「みんなそろってどうしたの?」
「あー……その……なんだ、陛下のことは好きかい?」
「さあ、どうかなあ。毎日遊んでくれるのはいいけどさあ。あんなに可愛がられると嫌いにもなれないけど、好きかって言われると複雑だなあ」
「そうだよねえ。ところで、今まで何も身の危険を感じたことはないかね?」
「別に殺気なんて感じたことはないけど」
「いや、そうではなくてだね……」
「なんだよ」
「陛下の様子がおかしくなったりしたことはあるかい?」
「実の子でもないのにあそこまで可愛がるっていうのがおかしいといえばおかしいけど」
「う〜む、とにかく、今のところは何も起きていないようだね」
「???一体どうしたのさ?」
「いや、その、なんだね、まさかとは思うけど陛下が君に対しいわゆる『変なおじさん』がやるようなことをするんじゃないかと危惧してしまってね」
 アレルはぽかんとした。そのまま首を傾げる。あまり意味は伝わっていないようである。
「まあ、とにかく君と陛下を二人きりには絶対にしないように気をつける。常に誰かそばにいることにするんだ。側仕えの者達にも何か異変があったらすぐに我々の元にかけつけるよう言い含めてある。本当は皇太子殿下がいらっしゃれば一番良いのだが……」
「皇太子様はいつ帰ってくるの?」
「そろそろ軍の演習も終わる頃だろう。万が一、陛下がご乱心遊ばすようなことがあったら止められるのは皇太子であるリュシアン様だけだ。我々では力不足。それでも何かあれば命がけで諫言する覚悟はできているが。最悪の場合諌死ということも」
「なんかものすごく深刻な話をしてるように聞こえるけど、俺には今ひとつ何のこと言ってるかわからないんだけど」
「君はまだ幼いからね。無垢で無防備でまだ知らないことも多いだろう。我々は皇帝陛下に忠誠を誓っているが、この場合、陛下への忠誠より子供の安全の方が大事だ。一人の大人としてしかるべき振る舞いをしなければね」
「あ、あのさあ、だから……」
「アレルくん、意味がわからないのなら直感的に理解してくれ」
「そんなこと言われても……」
 ホラーツと呼ばれた大臣を初め、官僚達は次から次へと深刻な話題をするが、アレルには何を言ってるのかはっきりとわからないままであった。はっきりとわからない問題で諌死などという言葉が出てきてはおざなりにするわけにもいかない。意味を聞きたいが大臣達ははっきりと説明しようとしないのだ。
「とにかくだね、アレルくん、もし陛下と二人きりでいて、様子がおかしくなったら――」
「生理的嫌悪を感じたらすぐに逃げなさい」
「ホ、ホラーツ殿! はっきり言い過ぎです!」
「いや! やはりこれくらいは言っておかねば! いいかい、アレルくん、もし生理的嫌悪を感じたらすぐに逃げて誰か他の大人のところへ行くんだよ!」
 当の皇帝ヴァルドロスが聞いたらさぞかし立腹したであろう。アレルの方は困惑していた。
「生理的嫌悪って、別にそこまで嫌ってるわけじゃ……ヴィランツ皇帝の方からはそんな感じの嫌悪感を感じたけどさ」
「ああ、そうか、やっぱりヴィランツ皇帝は噂通りの……もし我らがヴァルドロス陛下からも同じような嫌悪感を感じたらすぐに逃げるんだ! いいね!」
「ヴァルドロス陛下がヴィランツ皇帝みたいになるっていうのか?」
「そのようなことがないよう、我々もできる限りのことはするが、とにかく気をつけなさい!」

 そのようなやり取りが起きているうちに、ミドケニア帝国皇太子リュシアンは軍の演習を終えて帰ってきた。照りつける太陽の光を浴びて輝く長く美しい髪。整った顔立ちと爽やかな雰囲気は周りの空気を浄化するかのようだ。リュシアンはさりげなく従僕に尋ねる。
「私がいない間、何か変わったことはあったか?」
「殿下、それが……」
「どうした? 何かあったのか。遠慮なくはっきりと言うがいい」
「このところ陛下の様子がおかしくて……」
「また美女にうつつを抜かしているのか? 全く父上にも困ったものだ。今度はどこの女だ?」
「そ、それが……小さな男の子に夢中になっております」
 それを聞いたリュシアン皇子はさあっと血の気が失せ、青ざめた。従僕はぽつぽつと語り続ける。
「息子でもない男の子にすっかり夢中になってしまわれまして……ただ子供を可愛がっているだけのようにも見えますが、どうも執着が強すぎるのと、それ以来ルジェネ姫が寵を失っているのが気にかかりまして」
「ちょ、ちょっと待て。まさか、そんな、父上がそんな趣味に……だいたい、それは犯罪じゃないのか!」
「幸い殿下が恐れておられるようなことはまだ起きておりません」
「『まだ』とはなんだ! これから起きる可能性は充分にあるということではないか! じょ、冗談じゃない! 事の次第を初めから順番に説明しろ!」
「は……」
 リュシアン皇子は従僕からここしばらくの出来事を聞いた。
「勇者アレルか。噂には聞いたことがあるが……」
「勇者アレルは非常に見目麗しい子供です。彼が宮殿を訪れてから陛下はなんだかすっかり子供好きのおじさんになってしまい、毎日アレルと遊んでおります。それだけならいいのですが、アレルが宮殿に来た日を境にルジェネ姫は寵を失ったのです。それがどうも気にかかりまして」
「あれほど女好きだった父上が……」
「あれ以来美女には目もくれない有り様です」
「ち、父上………」
 リュシアン皇子は真っ青になったままである。万が一、何か過ちがあってはならない。今までは成熟した美女達が相手だった故に皇子の立場から諫言するのも限界があったし、リュシアン自身もこれ以上何を言っても無駄だと半分あきらめてもいた。しかし相手が子供となれば話は別である。しかもそれは国の醜聞にも関わってくる。
「わかった。これからは私自ら父上を監視する!」



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