アレルは今日もリュシアンと剣の稽古をしていた。
「殿下の剣の腕、この短期間で随分上達したよな」
「ありがとう。君のおかげだよ」
「もう聖騎士団長を負かすこともできるんじゃない?」
「まさか。そこまで自惚れていないよ」
 リュシアンは先日の暗黒騎士団の騒動を思い出していた。直に見ていないが、聖剣と暗黒剣の力を合わせて攻撃するとかなりの威力を発揮するそうだ。ミドケニア帝国に伝わる聖剣ヴィブランジェと暗黒剣デセブランジェ、この二つの剣の使い手が現れたならなんとしても帝国に協力してもらおうと考えていた。リュシアンは帝国の発展と共に世界の平和も望んでいる。野心家のヴァルドロスとは少し考え方が異なる。ミドケニア帝国がグラシアーナ大陸南西部を代表する大国として、人々を平和に導いていくつもりであった。リュシアンがそんなことを考えていると、アレルの方は別の話題を持ちかけてきた。
「ねえ殿下、エルヴィーラ皇后様って本当に優しい人だよね」
「ああ。そういえば君は母上と懇意にしているそうだね。私も暇を見つけては母上を訪ねているが、いつも寂しげだ。話し相手になってくれると嬉しい」
「うん。皇后様はとっても優しくて、俺大好きだよ。陛下はどうして浮気なんてしてるんだろう。あんなに綺麗でいいお妃様のどこが不満なんだ?」
「それは私も理解しがたい。母上は非常に貞淑な方だし、妻にした女性以外と関係を持つのはとても不誠実だと思う」
「やっぱりそうだよな。さすが殿下はわかってるよ」
 話をしてみるとアレルとリュシアンは結婚に対する考え方や貞操観念が同じだということがわかった。アレルにとってセドリックやヴァルドロス皇帝の考え方は理解しがたいものである。ここで話のわかる人物と出会えて嬉しそうだった。リュシアンの方が男としては相当の堅物なのだということは夢にも思わない。
「そういえば殿下って婚約者いるんだよね。皇后様から聞いたよ」
「ああ、シャルリーヌ姫のことだね。彼女はとても美しく可愛らしい姫だ。まだ少女だけれどいずれは宮廷一の美女の名を欲しいままにするだろう」
「へえ、そんなに綺麗なお姫様なのか」
「私の未来の妃なのだから当然だろう?」
 その後リュシアンは婚約者のシャルリーヌ姫がいかに美しい女性か、愛しい女性であるかを延々と語り始めた。呆れる程に許嫁の賛美を続ける。これは相当の愛妻家になるだろうと思われた。男としてちょっと馬鹿かもしれないとアレルは思った。
(ふうん、皇后様もすごく綺麗な人だったけど、シャルリーヌ姫もそんなに綺麗な人なのか。考えてみればシャルリーヌ姫って未来の皇后様だよな。皇太子であるリュシアン殿下の婚約者なんだから。お妃様に選ばれる人が綺麗なのは当然のことかも)
 リュシアンにシャルリーヌ姫を紹介してもらってもよかったのだが、アレルはやめておいた。これ以上リュシアンの熱愛っぷりは見ていられない。婚約者本人を前にしたらどうなるのかあまり想像したくなかった。それほどまでに美しい女性なのだろうか。以前エルヴィーラ皇后に聞いたところによるとまだ十五歳とのことだが。
 リュシアンと別れた後、アレルは宮廷内を回り、シャルリーヌ姫の元を訪ねた。シャルリーヌ姫は確かに美しい少女だった。くるくるとカールした巻き毛が豊かに風に揺れる。長い睫毛に美しい瞳をそなえていた。だが、その表情は何故か暗かった。
「あなたがシャルリーヌ姫?」
「ええ、そうよ。あなたは勇者アレルくんね。リュシアン様から話は聞いているわ」
 シャルリーヌ姫は快くアレルを迎えてくれた。日差しのよい庭園に案内され、テーブルと椅子のある場所まで進む。高級な紅茶とお菓子が出されると二人だけになった。美しく淑やかな少女を見ていると、リュシアンの表現も言い過ぎではないように感じられる。確かにいずれは宮廷一の美女の名を欲しいままにするだろう。
「いきなり訪ねてごめんなさい。リュシアン殿下の婚約者ってどんな人かなって思って」
 シャルリーヌ姫は寂しげにほほ笑む。
「ねえ、どうしてそんなに寂しげなの? リュシアン殿下の未来のお妃様なんだよね?ってことはいずれは皇后様になるんじゃない?」
「わたくしにはまだその資格はないもの」
「え?」
「わたくしはね、まだ大人の女性になっていないの」
 その意味することを知っているアレルは黙ってしまった。つまりシャルリーヌ姫はまだ初潮を迎えていないということである。アレルは意味を理解していたが、あまりそれを前面に出さずに答えた。
「まだ十五歳でしょ?」
「確かにまだ十五歳。だけどもう十五歳なのよ。そろそろ大人の女性になっていい歳なの。早く殿下と結婚してお世継ぎを産むことが期待されているというのにわたくしはまだそこまで成長していないの」
「焦ることないと思うけど……お世継ぎとかうるさい人にとってそうはいかないのかな」
「ええ、そうよ。だからわたくし悔しくって……宮廷の女達にどんな陰口叩かれているか知っているのよ! でもこんなことどうにかできるものじゃないわ。身体の成熟が早いか遅いかだなんて。自分の身体つきを見るだけで嫌になるわ。全然女らしい体型じゃないもの」
「美人だからいいじゃないか。未来の皇后様として相応しいだけの美しさをそなえてると思うよ」
「あ、あら、ありがとう」
「そんなに焦ることないよ。成長が遅い人は十五歳になってから身長が伸びたり身体が成長するって聞いたことがあるよ」
「そうね、きっとそうよ。これからなんだわ。でもそれでやっとリュシアン様の妃になる資格ができてもちゃんとお世継ぎを産めるかしら……身体の成熟が遅いから子供もなかなかできないなんてことは……」
「それは関係ないと思うけど。子宝に恵まれないのと身体の成熟が遅いのが関係あるなんて聞いたことないよ」
「こんな話してごめんなさいね。皇后ってお世継ぎを産む道具みたいにみなされる一面があるの。皇后でありながら子宝に恵まれなかったら役立たずなの。だからわたくし、とっても焦ってしまって」
「それで表情が暗かったのか。でも大丈夫だよ、きっと」
 シャルリーヌ姫はアレルにこんな話をしたことを後悔していた。焦る気持ちからつい悩みを話してしまったが、幼い男の子にする話ではないと思ったのである。そしてこれ以上この話はしないことにした。アレルの方もなんとなくシャルリーヌ姫の様子を感じ取って話題をずらす。
「それにしてもリュシアン殿下みたいな美男子が婚約者だなんて、他の女の人から羨ましがられたりしたでしょ? しかも皇太子だし」
「そうね。わたくし、今まで『白馬の王子様』っていうのは幼い少女が抱く夢だと思ってたの。そんな人が目の前に現れるだなんて幻想で、いつか現実を知って、そうして大人になっていくんだって。そんな風に考えてたら、まさか本当に白馬の王子様みたいな方が婚約者になるだなんて思いもしなかったわ」
「そうだね。『王子』と『皇子』の違いはあるけど」
「それにヴァルドロス陛下がリュシアン様に授けられた馬は白馬なのよ」
「なんか狙ってない?」
「そうよ、白馬に跨ったリュシアン様はまさにお話に出てくる白馬の王子様そのものだわ。陛下もわかっててわざわざ白馬を探してきたのよ」
 アレルは呆れてしまった。一方、シャルリーヌ姫は感傷に浸ったような表情をした。
「ああ、リュシアン様は本当の意味でわたくしを愛して下さるかしら? 陛下から婚約者として定められたから妃にするだけで、仮初めの愛情しか下さらないのではないかしら?」
「そんなことは絶対にないと思うけど?」
 先程の熱愛っぷりを思い出してアレルは答える。
「確かにリュシアン様は婚約者がわたくしに決まってから、わたくしだけを見て下さるわ。他の女性がいくら求愛しても全く相手にしないの。でもそれは本当の愛なのかしら? もし婚約者に選ばれたのがわたくしでなかったら、きっとその方だけを見て、わたくしなんて見向きもして下さらないのじゃないかしら? 陛下から定められた婚約者であれば誰でもいいのではないかしらって思ってしまうの。リュシアン様は本当にわたくしを見て下さるの? 愛して下さるの? って」
「なるほどねえ。言いたいことはよくわかるけど」
「あ、あら、ごめんなさい! わたくしったらまた! 小さな男の子にする話じゃなかったわね」
「ううん、大丈夫だよ。俺ちゃんとシャルリーヌ姫の気持ちわかるよ。王族の愛ってしきたりに従う、みたいなところあるよね」
「そうなの。わたくしの未来はまだまだ不安ばかりよ」
「でも俺が見たところ、殿下はかなりシャルリーヌ姫のことを気に入ってるから心配ないと思うけどな。例えきっかけが親から定められた婚約者でも、真実の愛は築けると思う。恋愛小説みたいな運命的な出会いばかりが全てじゃないよ」
「まあ、なんだかあなたって子供じゃないみたい」
「よく言われるよ」
「それに女の子の気持ちとかよくわかるの?」
「こう見えても俺はフェミニストを心がけてるんだ」
「まあ、将来どんな紳士になるのか楽しみね!」
 最後にシャルリーヌ姫は笑い出した。

 不穏な影が見え隠れしつつも平穏な日々が送られる。それもあと少し――



次へ
前へ

目次へ戻る