ミドケニア宮廷エルヴィーラ皇后の住まいに一つの影が忍び寄った。魔族の一人である。今日アレルはシャルリーヌ姫に会いに行っている。この隙を狙って皇后を襲うつもりであった。
 一方、皇帝ヴァルドロスは珍しくエルヴィーラ皇后を訪ねるつもりであった。アレルとエルヴィーラがどれだけ仲良くなったのか、様子を見に行こうと思ったのである。アレルの好みそうなお菓子とエルヴィーラの好きな花を持って出かけた。
 ヴァルドロスがエルヴィーラ皇后の住まいに近づいて最初に聞いたのは妃の悲鳴であった。
「何事だ!?」
「ミドケニア皇帝ヴァルドロスか。皇后の元に来るとは珍しい」
「何奴! わしの妃に何をしている!」
「人間の負の感情を増幅する術は知っているだろう? それをこの女にかければどうなるかな?」
「やめろ! 衛兵! 曲者じゃ! 直ちに捕えろ!」
「そうはいくか。おまえ達はこの皇后の絶望にのみ込まれるがいい!」
 ヴァルドロスは衛兵を呼び寄せたが、肝心の皇后を魔族に捕らわれたままである。魔族はエルヴィーラ皇后を捕らえ、何らかの術をかけているようだった。皇后の身体から黒いものが噴き出し、おぼろげに形をとる。
「何だ? 何をした!」
「皇后は心の中に虚無をかかえている。深い悲しみ、絶望、虚しさ、寂しさ、そういったものを術で増幅させ、魔物を召喚したのだ」
 まるで亡霊のような魔物。それはヴァルドロスと帝国兵に襲いかかった。人間の負の感情から生み出された魔物。霧のような形態をとり、金切り声を上げながら獰猛に暴れる。その声は皇后の悲しみや絶望を象徴しているかのようだった。騒ぎを聞きつけてアレルもやってくる。
「ちっ! シャルリーヌ姫に会いに行ってる隙を狙ったか!」
「アレルくん、気をつけろ! 奴は魔法も使うぞ!」
「陛下は下がっててくれよ。早く皇后様を助けなきゃ」
 アンデットとは少し違うようだが火や光に弱そうだ。アレルは魔法を詠唱し聖なる炎を出した。魔物は金切り声を上げたまま消滅する。アレルはエルヴィーラ皇后を捕らえている魔族に攻撃した。
「皇后様を離せ!」
「おっと、そうはいくか。騒ぎを聞きつけてたくさんの兵がやってきた。こいつらから負の感情を増幅させて――!?」
「同じ手が何度も通用するか!」
 アレルは魔族の術を封じると素早く止めを刺した。

「皇后様、しっかり!」
「アレルくん、妃の容体はどうじゃ?」
「あんな術をかけられたせいで衰弱してるけど命に別条はないよ。だけど医者に診せた方がいいな」
「エルヴィーラが狙われるとはな」
「皇后って立場上、いつ誰に狙われたっておかしくないじゃないか。くそっ! 俺としたことが。こうなったら新しく結界を張ってやる!」
 アレルは新たに結界を張った。人間の負の感情を増幅する術。これを宮廷内で行使できないようにしたのである。その後、エルヴィーラ皇后の看病を続けた。
 皇后が襲われたことは宮廷内にあっという間に広まり、リュシアンは早速駆けつけてきた。
「母上!」
「リュシアン……大丈夫よ……」
「殿下ごめんなさい。俺がついていながら皇后様を怖い目に遭わせてしまった」
「アレルくん、何を言うんだ。君は充分やってくれたよ。それにしても魔族め、許せない!」
「リュシアン……アレルくん……わたくしは大丈夫だから安心してちょうだい」
「母上、どうか無理はなさらずに。妹達もひどく心配しております。まもなくこちらへ来るでしょう」
 その時、セドリックがやってきた。
「リュシアン殿下、アレルくん、ちょっといいかい?」
「どうしたんだ?」
「どうも宮廷内に魔族と通じている奴がいるようだ。そいつが手引きした可能性もある」
「セドリック殿、それが何者かは突きとめられましたか?」とリュシアン。
「まだはっきりとはわかってないが、やはりルジェネ姫の身辺が怪しいな」
「ルジェネ姫……まさか魔の者と通じるようなことがあれば追放はおろか、場合によっては処刑も免れない。皇后に危害を加えたのは重罪だ」
「なんとかして尻尾をつかみたいんだがな」
「それにルジェネ姫だって単独で行動しちゃいないだろう。仲間がいるんじゃないのかな」とアレル。
「皇帝陛下の寵姫ともなると、手っ取り早く尋問ってわけにはいかないんだろうなあ。何か動かぬ証拠を見つけないと」とセドリック。
 三人が話していると、皇女達がやってきた。ヴァルドロス皇帝とエルヴィーラ皇后の間に生まれた五人の娘。リュシアンの妹達である。皇女達は次々と母親である皇后を見舞った。皆、心配そうである。
「お母様、ご無事ですの?」
「魔物に襲われたと聞きましたわ」
「お母様、しっかりして下さいませ」
「ああ、こんなに弱ってしまわれて……」
「お母様は元々お身体が丈夫ではないのに」
 その後、アレルとセドリックはリュシアンに五人の皇女を紹介してもらうことになった。いずれも美しい娘達である。しかし、五人の名前を聞いた途端、ぽかんとしてしまった。

第一皇女ラナ
第二皇女リナ
第三皇女ルナ
第四皇女レナ

「こっ、このネーミングは……」
「ってことは第五皇女様の名前は……」
「あなた方の予想通り、第五皇女であるわたくしの名はロナですわ」
 ロナと名乗った第五皇女はむすっとした顔で答えたのだった。

 一方、魔族達は――
「勇者アレルの張った結界、かなり強力なものだぞ」
「クリーパーの侵入も阻み、感情を増幅させる術も使えなくなっている」
「まどろっこしい手はやめて総攻撃に移るか」
「ヴィランツ皇帝もこのミドケニアに興味を持っている。この機会に利用させてもらおうか」
「このミドケニアに破壊と死を!」



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