三、勇者


この世界には代々勇者の家系と魔王の家系がある。魔王が世界征服に乗り出せば必ず勇者が現れ、戦いになった。過去の歴史では何度も同じことが繰り返されてきた。現在の魔王が健気に世界征服に取り組んでいる一方、現代の勇者もこの世界に生きていた。

現代の勇者、彼の名前は勇輝という。勇者とは本来勇気がある者のことをいう。名前の由来は勇気である。親に名付けられる時に人名漢字から選んで勇輝という名になった。彼は現在20歳の若者だった。家は先祖代々勇者の家系。社会で公にはされていないが、密かに過去の歴史で魔王に打ち勝ってきた。そして人間の世界をずっと守ってきたのである。勇者であることは人々には秘密であった。知るのはごく一部の政府のみ。必要があれば国からの援助を受けられるようにはなっている。過去の歴史において勇者達は正体を誰にも知られることもなく、世界を守った勇者として称賛を浴び、世界に平和をもたらしてきた。魔王さえ現れなければ、彼ら勇者達は普段は一般人として、社会で普通に生活していた。

勇輝の父親は、普段はサラリーマンとして働いていた。そして先代の魔王との戦いにおいて勇者として立派に戦い、命を落とした。勇輝は今20歳である。そろそろ将来の進路を決めなければならない。勇輝は進路に迷っていた。父のようにサラリーマンとして一般企業に就職してもいいのだが、社会でうまくやっていく自信がなかった。勇輝は自分の性格を考えるにつき、一般の人より真面目過ぎると思っていた。今は真面目な人が損をする世の中である。会社で働いてもやりきれないことが多いのではと思っていた。勇輝が自分で自分の性格を自己分析してみた結果、どうも一般の人と比べて誠実、実直であるようだ。生真面目で責任感が強い。勇者の家系であるだけあって正義感も強いし倫理観も高い。義理人情にも厚い。一般の人と比べて良心的で人間関係の和を重視する。他人に対して献身的に尽くすのが好きである。

自分のこれらの特徴が全て鬱病になりやすいタイプに当てはまるということに気づいた時、勇輝は将来に不安を感じた。自分は果たして社会でうまくやっていけるのだろうか。一般企業に就職できても、パワハラなどストレスが原因で鬱病になるのが十分に予想される。今の世の中でうまくやっていくにはどうすればいいのだろう。勇輝は他の人と比べると何事にも誠実であり過ぎる。そして自分を偽れるほど器用な人間ではなかった。少しでも自分と同じタイプの人間が集まるところで働けばいいだろうか。ボランティアやNPOで活躍した方が自分に合っているだろうか。しかし勇輝は現実主義者だった。就職は安定収入が第一だった。安定した収入を得て生活に困ることなく、平和に生きていきたい。平穏無事な人生を送りたい。しかしどうやら自分の持って生まれた性格では前途多難に感じる。

(就職どうしようかな……)

そして、自分は勇者なのだということについて考える。いわゆる『正義の味方』なのである。しかし、一昔前ならともかく、今の現代社会に正義の味方がいてもやりきれないことが多く鬱病になるのがオチではないかと思ってしまう。

(俺もいつかは勇者として魔王と戦うのかな……魔王ってどんな奴なんだろう)

将来について悩みながら勇輝は今日も大学へ向かった。勇輝は現在20歳。大学生である。季節は春。新学期が始まったばかりで桜が美しく咲き乱れ、風に吹かれて桜吹雪が舞う。大学内は新入生のサークル勧誘などで賑わっていた。勇輝は自分の決めた時間割を見て、授業が行われる教室へ向かった。
教室前の廊下に、一人のおっさん学生がまごついているのを見かけた。大学生は現役で入る者がほとんど、中には浪人して希望の大学へ入る者もいる。ほとんどが若者である。しかしたまに社会人になってから大学で学ぼうとする者もいる。中高年もいるのだ。そのおっさん学生も何か学びたいことがあって年配になってから大学へ入学したのだろう。まだ慣れていないのか、辺りを見回してきょろきょろしていた。そして勇輝に話しかけてきた。

「すまん、そこの君、政治学の授業はこの教室でいいのかね?」
「ええ、そうですよ。あなたはもしかして新入生なんですか?」
「お、おお、そうなんじゃ」

これがきっかけで二人は一緒に授業を受けることにした。教室で一緒に座る。おっさん学生は今日初めて大学の授業を受けるらしい。勇輝は優しく世話好きな一面がある。年配になってから大学で学ぶのはさぞかし慣れないことも多いだろう。大学は自由度が高く、高校までとはまるっきり勝手が違う。始めの内は戸惑うことが多いのも無理はない。見た目の年齢からしても、学生に戻るのは久しぶりだろう。勇輝はおっさん学生がわからないことは親切に教えてやった。

「ところで君の名前は何というのかね?」
「俺は勇輝と言います。あなたは?」
「勇輝君か。わしの名は太郎じゃ」
「太郎?」(今時そんな名前……でも本名だったら失礼だな)

初めての大学の授業に戸惑いながらも、政治学、経済学、法律学と受講していく太郎。勉強についても、大学についても、わからないことは勇輝に聞けば教えてくれた。太郎は勇輝の心遣いに感謝した。



「魔王様、お帰りなさいませ。大学はどうでした?」
「うむ。親切な若者に会ったぞ。これで大学の潜入は問題ない。わからないことはあの若者に聞けばいいからな。あとは正体がバレぬよう上手く立ち振る舞えばよい。それにしても――勇輝君か。随分と気が利く若者じゃったのう」



その後、太郎――魔王は大学で勇輝と親交を深めた。勇輝は太郎に対して初めは敬語を使っていたのだが、打ち解けていくうちにだいぶくだけた言葉使いをするようになっていった。共に大学の食堂で昼食を食べ、雑談する。

「ところで勇輝君、わしがこの大学へ通っているのには確固とした目的があるんじゃよ」
「へえ、それは何?」
「世界征服じゃ」
「あはははは、面白い冗談だね」
「なっ!? 冗談ではないぞ! わしは本気で世界征服を目指しとるんじゃ!」

魔王はむきになった。しかし内心では慌てた。自分が世界征服を企んでいることが世間に知られたら世界中の人間から敵視されるだろう。今は正体を隠して大学で勉強しなければならない。相手が冗談だと思っている方がいいのだろう。しかし世界征服について話しても相手にされないというのは魔王の自尊心が許さなかった。その後、魔王は勇輝に対し世界征服の野望について延々と語り始めた。そんな魔王――太郎に対し、勇輝は適当に相手をすることにした。

「よいか、今のわしの姿は皆の目を欺く仮の姿じゃ。わざと冴えない人間に見せかけとるんじゃ。本当のわしは世界の支配者に相応しい、いい男なんじゃぞ」
「へえ」
「いずれは皆このわしにひれ伏すのじゃ! わーはっははははは!」
「それでどうして大学に?」
「わしは頭がいいからな。ちゃーんと気づいたんじゃ。世界を支配するには政治ができなければならん。そして政治と経済は密接に結びついている。法律もじゃ。だからわしはこの三つを勉強する為に大学へ通っているんじゃよ」
「……なるほどねえ……」

勇輝は太郎の野望について全く本気にしていなかった。真面目に授業を受け、熱心に勉強している。正に勤勉な学生そのものである。それでいて世界征服について力説している変わり者だなと思っていた。

「ところで勇輝君、君は何か趣味はあるかね?」
「俺は剣道が好きだよ。それとゲームだね」
「ゲーム? どんなゲームのことだね?」
「俺が一番好きなのはRPGだよ」
「アールピージー? アールピージーというゲームが好きなのか。ふむ」
「太郎さんの趣味は?」
「写経じゃ」
「え?」

勇輝はしばらく固まった。どう反応すべきか考える。

「わしゃ小さい頃から習字が好きでのう」
「えーと………じゃあ字、上手なんだ」
「もちろんじゃ! いずれ世界の支配者になったら書類にサインをすることも多くなろう。支配者が下手くそな字では格好がつかん。だから字が上手いことは世界の支配者に必要な条件なんじゃ!」
「あ……そ…そうだね…」

勇輝は太郎のノートを覗いてみた。確かに字は綺麗だった。しかし世界征服と息巻いている人間の趣味が写経とは……勇輝は太郎のことをますます変わり者だと思った。

「わしゃ、他に盆栽も趣味でやっとるぞ」
「そ、そうなんだ……」(写経に盆栽……思いっきりおっさんだなあ。っていうか年寄り臭い)

写経と盆栽が趣味の人間が世界征服だと言っているのを考えると変な心境である。勇輝は頭の中で世界征服を目指すほどの人間ならどんな趣味が合うだろうと考えてみた。そういえば歴史上、全土統一や領土拡大を行っていた征服者達はどのような趣味を持っていたのだろうか。歴史上、残酷なことで有名な支配者達も何か趣味を持っていたのだろうか。調べればわかるのかもしれないが、少なくとも写経と盆栽でないことだけは確かだと思った。



魔王は勇輝との親交を深めていった。そんなある日のことである。他の大学生達が勇輝の噂話をしているのを聞いたのである。思わず耳を澄ます魔王。

「勇輝って本当に文武両道で何でもできるよな~。あいつ謙遜してるけどかなり頭いいんだぜ。この間のレポートだって成績A+だったんだぜ。それに文系だとか言ってるけど、理数系もかなり得意なんだ。何であいつ理系に進まなかったんだろう。高校の先生も期待してたのによ。パソコンも得意でプログラミングとかもできるんだぜ」
「それにスポーツ万能だよな。何やらせてもできるんだ。特に武道全般はメチャクチャ強いんだぜ。剣道、空手、柔道、合気道、ボクシング。その中でも剣道が一番強ええ。あれだけ強ければ全国大会――いや、オリンピックにだって出れるだろうに、あいつ、どの部活にも所属しないんだよな」
「何か他にやりたいことでもあんのかな? とにかく何でもできて嫌な奴だよな~。見た目もそれなりにカッコいいから女にもモテるしよ。しかも自覚ねえし」

これを聞いて魔王は居ても立っても居られなくなった。

(な、なんと! 勇輝君がそんなスーパーエリートだとは知らなかった。それほどの優秀な学生ならば何としても味方に引き入れなければ! わしが世界の支配者となった暁には腹心にするのじゃー!)

その後、勇輝と他の大学生達が会話をしているのを近くで盗み聞きする魔王。

「え~、別に謙遜なんかしてないよ。理系に進まなかったのは、小中学校では数学や理科は苦手だったからさ、授業についていく自信が無かったんだよ」
「とても高校で理数系の順位一番だった奴の言うこととは思えねえな」
「何で高校になって理数系の成績がよくなったのか、自分でもわからない。先生との相性がよかったのかなあ」
「おまえ、本当は理系だろ。パソコンもできるし」
「確かにパソコンは得意だな。毎日使ってたらいつの間にかできるようになったんだ」
「スポーツも何やらせてもできるしよ。武術はマジで強ええじゃん」
「ん、ん~、まあね」(勇者ですから……)

勇輝は勇者なだけあって身体能力は相当に高い。だが勇者であることは皆には秘密である。その後、仲間の学生達に羨ましがられたり、女にモテるのに自覚が無いだのと冷やかされたりするのを適当に受け流しながら勇輝は次の授業に向かった。太郎の自分を見る目つきがいつになくギラギラしていたが、特に気にしなかった。いつもの授業が終わると魔王はさっそく勇輝を世界征服の野望の為、腹心にしたいと勧誘し始めた。優秀な人材は何としても確保すべきである。

「何言ってんのさ。俺より頭のいい奴なんていくらでもいるじゃん」
「し、しかし先程の皆の話では君は相当に優秀な学生と見たぞ」
「太郎さん、この大学の偏差値知ってるでしょ? 一応そこそこのレベルだけど、もっと上はいくつもあるよ」
「謙遜しても無駄じゃぞ! わしは目的の為には手段を選ばん! 何としても君をわしの腹心にするんじゃあー!」
「世界征服の為に?」
「もちろんじゃ!」
「それなら別の場所でもっと優秀な人材を探すんだね」

そう言って勇輝はふと思った。太郎は世界征服を目指していると言っている。その為に大学で勉強しているとのことだが、何故この大学なのだろう。偏差値でいえば中途半端である。

「だいたい何でこの大学なわけ? 世界征服目指してるなら世界的に有名な大学に行けばいいじゃん。何でこんな二流大学に」

勇輝がそう言うと太郎は口ごもった。

「……家から近い」
「家から近……」

呆れずにはいられない勇輝であった。



勇者と魔王。彼らはまだ互いの正体を知らない。



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