山と旅のつれづれ



巨樹巡礼第七部

主として中部地方で出会った巨樹についての雑文です。
ときとして遠路旅先で出会った巨樹を含みます。

自分の足で観察した上で文章を付け加えています。
収録データを競うものではありません。あくまで気楽な旅日記の一ページです。

10編、収録終了。第八部へお進みください。
 






 出羽三山神社参道の爺杉

 一昨年の旅の途中で見つけた巨樹です。写真を保存していながら今まで忘れていたので思い出しながら書いている。
月山、湯殿山、羽黒山を合わせて出羽三山という。
 三山の神が一堂に集まるという羽黒山は里山と言えるほどの小さな山だが、山頂の出羽三山神社は他の二山と違って延々と続く修
験の道は、樹齢数百年といわれる杉並木の鬱蒼とした木立のなかを縫って続いている。

 ふもとには、多くの宿坊が軒を連ねていて、高野山、御嶽山などと共に信仰の厚さを物語っている。シーズンには死に装束といわれる
白装束で修験の道をご本尊まで辿ることで生まれ変わって新たな生がはじまるといわれる東北の山岳信仰の一大拠点だ。
 信仰に支えられる山も季節はずれなのか、長い参道は閑散としていて行き交う人もまばらで、かえって気持ちの洗われるようなハイキ
ングでした。

 そんな参道の一角、といっても入り口から程遠くない位置の深い森の中に、周りの木々と共存するように聳えている。林立する大木た
ちを従えた巨樹は、その雰囲気が「爺杉」より「翁杉」とした方が当たっているような気がするが。
 そこから続く長い参道に沿った深い杉木立の森の生みの親のように雄雄しく佇んでいる。おびただしい人数の白装束に身を包んだ行
者をやさしく見送ってきたことだろう。

 隣接している、古色蒼然とした五重塔の威容も見逃せない。
 参道を歩きとおしてご本尊の羽黒山神社にたどり着いたとき、神社は参道の静寂とは一転して、意外な賑わいの中にあった。
 世が世なれば、別ルートで整備された車道を使ってお手軽参拝がまかり通っているようだ。


出羽三山神社参道の守り神「爺杉」
正面にかみさんがこっち向いてにっこりしていたので、これはまずいとおもい、お絵描きソフトで糊塗
しました。株元のあたりに痕跡が残っています。それにしてもうまくごまかしました。たまにはこんな細工があってもいいかも。
右は風化が激しく、古色蒼然とした風情が印象的な五重塔。爺杉と同位地にあります。








 滋賀県多賀町、井戸神社の大カツラ

 滋賀県犬上郡多賀町大字向之倉字東反尻63番地。
 何とまあ長ったらしい所在地だが、非常に分かりにくいところにある。井戸神社は粗末な社だが多賀大社の末社だという。

 滋賀県近江地域と三重県の最北端北勢地域を分ける鈴鹿山脈北端の秀峰霊仙山の東側山ろく、といっても深い山の中。市街地から
それほど遠くはないが、狭い行き止まりの曲がりくねった道に沿ってそれでも僅かな集落が点在する静かな山里は時代に取り残された
ような雰囲気だが、市街地との意外に近い距離関係を考えると、車さえあれば見かけより不便さを感じない別天地なのかもしれない。

 そんな集落の一角に天然記念物「近江河内の風穴」がある。
 どん詰まりの山の中には何とも不似合いな民家の庭先のような有料駐車場に車を休めて、入場料を払ってまずは、風穴を観賞しよ
う。
 小さな入り口から恐る恐る入るとそこには壮大な地下空間が広がっている。
 その大規模な石灰岩の洞窟に感動し圧倒されつつ帰り着くと、駐車場のオジサンに「大カツラ」の所在地を尋ねてみよう。きっと親切
丁寧に説明してくれます。

 案内板などはまったく見当たらず、地元の人に尋ねることなく探し当てることは不可能に近いといっても大げさではないほどに、この大
きなカツラの樹は大事に匿われて?いる。貧弱な道路事情もあって安全対策の上からも案内表示などは控えているのだろう。観光資
源にはなり得ない周辺環境の中にひっそりと佇んでいる。

 カツラの樹は、一株で「森」をつくる典型的な樹種で大木はほとんど例外なく多くの樹幹とそれを取り巻く無数のひこばえ(根元から発
生する子株)からなっている。まことにその風貌が奇異で楽しい特徴的な樹だとおもう。
 もうひとつの特徴は、必ず川の源流である沢筋の斜面に、判で押したように同じような環境のなかに存在していることだ。
 その地で初めて観るカツラの巨樹も何時か観た記憶があるような錯覚をしたり、混同しそうになることがしばしばある。それほどに生

 育環境が限られるということだろう。樹形も生育環境も極めて特異な樹種だとおもう。
 さて、この日は独り旅の途中で、同じく単独行動のうら若き女性と行動を共にすることになった。
 巨樹探訪という私と同じ目的で行動する単独の女性は珍しい。
 巨大な石灰岩の洞窟探検?と巨樹探訪とをしばしご一緒することになった。

 旅先で美人女性との一期一会の出会いに、年甲斐もなく少しときめく楽しいひとときでした。
 ご本人の許しを得て写真の中に収まっていただきました。肖像権やプライバシーの問題もあるので、個人の特定につながるような構
図ではなく、巨樹との比較対照に協力していただく目的で片隅に収まっていただきました。
 巨樹の大きさを強調する、願ってもないこのようなチャンスには中々恵まれません。感謝かんしゃ、です。


一株で「森」を形成する特異な樹形が際立つカツラの巨樹。
収まっていただいた女性に感謝。
逆光が入ってしまったが、それがかえって面白いかも。それにしても本当にでかい。







  静岡県、 武速神社の将軍杉

 
 県道63号線と同じく283号線の合流点。道路に密着している。
 静岡県内でも数少ない杉の大木。
 伝説によれば、延暦16年(797年)征夷大将軍坂上田村麻呂が武速神社で蝦夷との戦いにのぞみ、勝利を祈った。その際に食事を摂
り箸を地に挿しておいたところ、根付いて大木となった。そこから将軍杉の名がつけられた。
 平成三年十一月一日静岡県教育委員会。浜松市教育委員会。
 (以上は現地の解説版の丸写し。)

 新幹線、東名高速、東海道線、国道1号線。大動脈が密集していて、太平洋岸に接する静岡県の平野部は、背後にうねる山裾の茶
畑の風情も相まって明るく温暖なイメージが先行するが、北部は南アルプスの山ふところに深く入り組んでいて、曲がりくねった貧弱な
道路は、それ自体が道に迷っているかのような、つかみどころのない最低限の生活道路にようやく人々の暮らしが支えられているよう
な気がする。

 この、将軍杉も林道のような道路の脇に忽然と現れ、通り過ぎてから、その存在に気がつく。目通り10.6メートルは巨大というほどで
はないが、秀麗な姿形がたのしい。粗末な武速神社は上記の説明によれば、千二百年の歴史を刻むが、わびしい佇まいが大杉のふと
ころに抱かれてかろうじて守られている。

 箸を挿したら根付いた、とか、杖を突き刺したら根付いたといった伝説は各地にあるが、使い捨てがまかり通る現代社会でもあるまい
し、そんな時代に杖を挿したら、そのあと、必需品の杖を使わずに行動したことになるし、箸を突き刺して捨ててしまったなら、飯が食え
なくなるではないか。それではもったいないし困るのだ。もう少し気の利いた伝説を思いつかなかったものかと、ばかばかしくて楽しい連
想にふけっていた。


道路にへばり付くようにそびえる秀麗な木肌が印象的。
巨樹にありがちな節くれだった痛々しさがない。神社や民家と対比することで、迫力が増してくる。









 津久八幡宮の夫婦杉

下呂市萩原町上呂、久津八幡宮は国道41号線脇にあり、この大きな二本の杉の木はJR高山線を挟んでよく目立っている。実際、こ
の巨樹は以前、高山線を利用して旅行中、それも、熟年旅行者たちに隠れた人気の「青春18切符」でグループ旅行中、ゆっくり走る普
通列車の窓から確認して以来のご対面であり、宿題を果したような気分でじっくりと観察させていただいたことになる。
樹幹に関する限りは堂々たる巨樹だ。惜しむらくは上部が枯死したのか、20メートルほどのところでばっさりと切断されているこだ。

幸い夫婦?とも、枝がしっかりと再生していて、異様なかたちでありながら部分的には生き生きと葉を広げている。大掛かりな外科手
術が功を奏したのだろう。
こんな物凄い丸太をはるか上の方できれいに切断するその過程を知りたいものだ。如何に機械力の時代であっても、容易な作業では
なかったはずだ。

 二本の内の一方は表皮が「杉皮」よりも松の木肌に似ている。こういう木肌は他でも見ているが、たぶん、老化が進んだことによる、人
間でいえば「しわ」のような現象なのだろうと思われる。縦の繊維が断裂していて、大げさに言えばレンガ積みか角ばった石垣のような
風情だ。やがて、腐食して剥がれ枯死していくのだろうけれど、千数百年を生き抜く杉の巨樹たちは人間の生の営みに比べればまだま
だ、気の遠くなるほどの年月をしぶとく生き抜くにちがいない。


津久八幡宮の夫婦杉。樹勢が衰えて上部をばっさりと伐られているが、
その効があったか、身軽になった残存部分に芽生えた枝葉が勢いを増している。








   高山千光寺五本杉

 高山市郊外、円空仏で名高い千光寺を囲む一周4キロの千光寺八十八箇所巡りの一角にある。五本が束状になった杉の大木がそ
れぞれの領分を侵すことなく真っ直ぐに成長して見事に競い合っている、清清しい風情が楽しい。
 五本が均等に分かれた一本の木という見方もできるが、わたしは密集した五本が一体化していると思いたいし、そんな奇跡的な共存
関係を信じてみたいと思う。見事に優等生的な姿態に心が洗われるおもいがする風景だ。
 この木については、「旅のエッセイ10」から「禅昌寺、千光寺巡り」をご参照ください。ミニ八十八箇所のトレッキングコース巡りも手ご
ろで楽しい旅のひとこまになることでしょう。千光寺の円空仏の拝観も一見です。


高山千光寺五本杉。端正な樹形が楽しい、ほんとに珍しい集合樹と思われる。
(旅のエッセイ10。禅昌寺、千光寺巡りを合わせてご覧下さい)







  静岡県大光時春埜杉

 静岡県浜松市。
 このページ中の「武速神社の将軍杉」と同様に静岡県の北部、深い山の中だ。
 平成の大合併で海岸のイメージが強い浜松市がこんな山奥まではみ出してきてしまった。楽器もオートバイも自動車も浜松なら、熊に
出くわしそうな山里も浜松市なのです。都市、農山村などの従来の先入観を意識の中から消し去るには、まだ当分の間、時間が要る。
 将軍杉を観たあと、その足で大光寺埜野杉を探して車でウロチョロしていたら、何時の間にか標高800メートルの高原台地に入り込ん
でいた。

 東京の「明治の森」から大阪府箕面の「明治の森」まで千数百キロに及ぶ歩道「東海自然歩道」上に位置する春埜山大光寺は不親切
な地図には表示さえ省略されている粗末な道路に面した高原台地の頂上付近に、何と鳥居の門構えで待ち構えていた。神仏混在のよ
うだ。

 民家集落の全くない山の中にひそかに佇む大光寺の本堂の正面斜面に、この巨大な杉は踏ん張っている。
 周りには大小の木々が密集していて不思議なほど共存している。そんな周辺環境にあるので、巨樹の全容を捉えることが難しく、大き
いくせに目立たない控えめな存在だ。静岡県には杉の巨樹は少ないというけれど、探してみるとそれでも結構あるものです。そんな中で
も立派な存在だと思う。

 行基菩薩が大光時開山の折に記念に植えたと伝えられる。
 樹高43メートル。目通り(眼の高さでの幹周り)14メートル。


大光時春埜杉。周りの木々が非常に細く小さく見える。
片隅の社もこの巨樹の大きさを強調している。








  高山市、飛騨国分寺の乳イチョウ

 国指定天然記念物
 推定樹齢千二百年
 目通り(眼の高さでの幹周)約10メートル
 樹高37メートル

 飛騨国分寺の本堂と鐘楼門との間に位置し樹齢およそ千二百年の雄株で、枝葉密生し樹幹の所どころに乳根(木根)を垂れ、樹勢
は盛んである。由来については、往昔、行基菩薩の手植えと伝えられる。俗に「乳イチョウ」の名がある。乳が出ない母親に、この樹皮
を削り与える時は乳がよく出るといわれている。根元に子育て地蔵が祀ってある。昔から国分寺のイチョウの葉が落ちれば雪が降ると
も言い慣らされている。
     以上は現地解説版の丸写し

 大きいだけでなく、樹形が素晴らしく梢までバランスの良い見応えのある樹だ。
この日は4月9日。標高500メートルの高山市は、春いまだ覚めやらず、木の芽はようやく僅かに膨らみを湛えている程度だが、新緑
や紅葉の季節はさぞや華麗な雰囲気に包まれることだろうと思いつつ芸術的な展開を見せる枝葉を眺めていた。
 この大イチョウについては、トップページから「旅のエッセイbP1青春18切符で高山へ」を合わせてご覧ください。


大らかに展開する枝葉。鎮座する子育て地蔵も可愛い。
この日は4月9日。いまだ冬枯れの状態だが、休眠中の樹形も節くれだった逞しさが見ものだ。
みどりしたたる季節はさぞや・・・








 八百比丘の大楠

 老楠にゆかりある伝説を尋ぬれば、今よりおよそ千三百年前、若狭の国に世にめずらしき神童あり、幼にして母に別れ、継母につか
えたり、継母はその聡明なるを憎みて毒殺せんとして毒薬を盛りにし、聡明なる少女はこれを受けて飲みたるがごとくよそおいてひそか
に捨て去る。やがて父に死別するや父母の菩提を弔わんがために尼となる。もとより、大慈大悲の心深く、巡礼となりて諸国の神社仏
閣を巡拝しながら諸人を憐れみ、これを救い、やがて日本の津々浦々を巡礼し、知多郡なる南粕谷の地に来たり、当寺に参拝し後、記
念のため楠樹をお手植えさる。然して曰く「我死なば、其の霊この楠樹の精とならん」と言い残して若狭に立帰る。

 やがて八百比丘、若狭において入定し給う。以来星移り年変りて慈に千有余年、記念の楠樹はいつしか八百比丘の精霊こもれる古木
となり、里人に尊崇せらるるに至る。而して不老長寿開運福徳、商売繁盛を祈念するもの或いはまた不慮の疾患苦悩の解脱を祈る者、
頼る多し、殊に珍しきことには、婦人の容貌を美麗ならしめ給うとの事にて、婦人のこの霊木に祈念するもの多し。金照山大智院山主敬白。
(以上は現地の解説版の丸写し)

クスの巨樹は知多四国八十八箇所巡礼寺のひとつ、金照山大智院の寺域に寄り添っている。
 また、別の旅先で得た伝説によると、
 福井県若狭の地で人魚を食べて千年の命を得たというおぞましい伝説に基づく女性「八百比丘」。後に尼になって各地を行脚し、足跡
を残したと伝えられる「八百比丘尼」。大智院の解説とはずいぶんと違いがあるが、だから伝説は面白い。

 各地に伝えられるという八百比丘尼御手植えの巨樹のひとつ。
 のたうちまわるような奇怪な樹形に圧倒される。
 何本かに分かれているのは部分的な朽ち果てを繰り返した結果であり、根株はひとつの独立したかたちを保っているのだろうと思わ
れる。

 おそろしく特異な樹形とは裏腹に、それぞれの樹幹の表皮は若々しく、老樹の風格がない。巨樹に付きもの節くれだった痛々しさやそ
れ故の堂々たる風格があまり見られないという点で特徴的なクスノ木だと思う。それにしても、関東以西の太平洋に面した平野部にクス
の大木は多い。


八百比丘の大楠(八百比丘とは表示されていない)
部分的に朽ち果て、台風などで倒され、なお再生を繰り返した逞しさが全身に現れている。
木肌の若々しさは特筆ものだ。







   観音寺のクスの木

 愛知県知多半島の付け根付近。東海市は名古屋市のベッドタウンというべきか、郊外に広がる住宅地の中、小さな丘の上に鎮座して
いるささやかなお寺「観音寺」。この名称は全国に数え切れないほどあるので、名称だけを頼りにカーナビで検索すると、お目当ての目
的地を探し当てるのに大変な手間がかかる。

 隣接する造成中の住宅地の中にわずかな空き地を見つけて、工事中の周囲に気遣いながら駐車すると、そこから続く私道のような狭
くて登りのきつい道路の上からお坊さんが盛んに手招きしている。こういった条件は良くないが目的地に近い道路は車に乗ったまま無
理を押して入るより歩くに限ることにしているが、親切なお坊さんの厚意には応えねばならず、痛しかゆしの想いで、狭い登り道を恐る
おそる車で入り込むと3台ほどのスペースに招かれ、「よく来てくださった」と歓迎されてしまった。

 ここは知多四国八十八ヶ寺の巡礼寺なのだが、信仰心の極めて薄い「巨樹巡礼者」の私にとっては、お坊さんの好意がこそばゆく
て、おもはゆくて、居心地のよくないことはなはだしい。折から、知多四国八十八カ寺は今年開創二百年の節目として巡礼者も多いのだ
ろう。お坊さんも意識して気を使っているようだ。

 巡礼寺の札所で歓迎されてしまったらどういう態度をとるべきか、悩みつつ受付を覗いたところ、誰もいない。で、迷いが去ったので、
変な話だが明るい気持ちになって賽銭箱に銀色に光るお金をカラーンと投げ入れて「不信心者の罪滅ぼしです。」と、心でささやいて罰
があたりませんように・・とオネガイしたのでありました。これ、けっこう信仰心の現れなのかなあ。
 クスノ木は、さして大きくはないが、広くもないお寺の境内に勢い良く枝葉を展開している。
 静岡県以西の太平洋岸に沿った平野部にクスノ木の巨樹はほんとうに多い。


観音寺の楠の木。際立った大木ではないが、やさしく伸びやかな枝葉が境内に快適な
木陰を提供している。








 長野県上伊那郡中川村、丸尾のブナ

 推定樹齢 600年
 目通り幹周 6.45メートル
 所在地 中川村大草沢入山1658-1
 標高 1280メートル

陣馬形山(千四百数十メートル)の山頂直下まで通じている車道の途中に数十メートル森の中を登った先にある。
ブナの純林とも思えない亜高山帯の中にたった一株、孤高の存在のように凛として佇んでいる。

 かつて、木材としては役立たずの存在として疎んじられた「ブナ」は森林や自然の環境維持にとって極めて有用な樹種として復権を果
たしている。ただ、巨樹ファンにとっては、眼を見張るような大径木にならずに朽ち果て、世代交代を繰り返す比較的短命樹が多いブナ
は、世界一のブナの純林として知られる白神山地の秋田県側でお目にかかった「森の巨人100選」に称えられる巨樹でも、幹周は4メー
トル余り、樹齢はおよそ400年と推定されている。

 それぞれが複雑な形状の立ち木は幹周りの長さだけではその規模を比較し難いが、この樹「丸尾のブナ」はブナとしては目の当たり
にしてみると本当にでかい。
 これほどの巨樹が国や県など地方自治体による天然記念物の指定も受けていないようだ。すくなくとも、現地の解説版からはそれをう
かがうことができない。(見落としたのかもしれないが)

  この樹の存在については、各種の資料からも見られず、なぜか、無名をかこっているような気がする。環境省は何をしているのだろ
う。法に守られた保護が望まれる。
中川村に移住し、素晴らしい自然環境のなかに、暮らしを営まれる知人の招きに甘えてグループで訪問し、ひとときを楽しませていただ
いた際に発見した見事なブナです。
 わたしにとっては大発見です。自分のリストになく、期せずして現地で偶然お目にかかった巨樹を観るとき、無上の楽しさを覚える。


長野県中川村、丸尾のブナ。幹周り6、45メートルは杉や楠の木の16メートル、中には
20メートルにおよぶ巨樹とは比ぶべくもないが、ブナとしては巨大樹だ。