山と旅のつれづれ





旅のエッセイ17


                              PC絵画、旅先の散歩道








 

  琵琶湖一周歩き旅四回目 西の湖から延命寺を経て長命寺まで


西の湖水郷風景

  葦原の芽吹き

 四日目。「休暇村近江八幡」〜琵琶湖大橋東詰めまでの予定で出かけたものの、手前・というか、この地域の水郷地帯に付随する大
きな湖「西の湖」への寄り道を思い立ち、最寄の織田信長でおなじみの安土駅に降り立つことにした。安土城址は訪れたことがあるの
で、それに寄り道のよりみちを繰り返していると時間がなくなるので、今回は省略。
 安土駅から歩いて程なく水辺にたどり着くと其処には「琵琶湖葦笛ロード」と銘打った自転車、歩行者専用道路が見事に整備されてい
た。

 西の湖の湖畔なのに「西の湖・・」ではなく「琵琶湖・・」と称しているところが面白い。大きな西の湖もさらに大きな琵琶湖の一部、とい
う位置づけなのだろう。琵琶湖に寄り添う広大な湿原地帯は、多くが水田として開墾され、西の湖と琵琶湖をつなぐ水路を残して保護さ
れているようだ。みずうみの西側湖畔一帯を歩いたがその全面が葦原で覆われていて、この季節は刈り込まれたり野焼きの跡であっ
たり、それに、景観保持のためか、枯れ立ちの葦が適度に残してあり、冬枯れの名残の風景が、ぽかぽか陽気の中で、えもいわれぬ
穏やかな雰囲気をかもし出している。

 刈り込まれた広い湖畔の平原は芽吹いたばかりの葦が地面を覆う雑草のように若草色に輝き、きらめく水面を背景に、どこまでも伸
びやかに展開している。成長すると三メートルにも達するという葦も芽吹きのころは、かがんで観察するという面白さに浸っていた。
湖面に影を映す、しだれ柳の芽吹きの薄緑と満開のサクラをめでながら、やがて三メートルの高さに覆いつくす葦原の前に「琵琶湖葦
笛ロード」は埋もれて巨大迷路になってしまうのではないかと心配になってみたが、それはそれで景観なのかもしれない。

冬の水鳥たちがシベリアへ去って静かになった湖面はカイツブリやカルガモなど、渡りの習性を忘れた留鳥たちが水辺でまどろみ、近
づく人間の気配に気が付くことも忘れていて慌ただしく湖面を翼で叩きながら逃げ去る動作がびっくりしながらもおもしろい。


芽吹き間もない葦原。成長すれば三メートル。この季節は大草原の趣だ

 延命寺と長命寺

 西の湖と琵琶湖とを隔てる位置の一部に立ちはだかる山々の中に「延命寺」と長命寺」が佇んでいる。長命寺はその名のとおり縁起
が良さそうだが、延命寺は無駄かも知れない「延命処置」を連想して複雑な気分になる。なにはともあれ、其処に延命寺なる古刹がある
のだから、素通りすることもなかろうと立ち寄ってみた。お墓を中心とした地味なお寺だ。延命?も適わずここに眠る仏様たちに、物見
遊山のふざけた旅人など失礼な存在なのかもしれず、一礼して先を急いだ。それにしても、同じ地域に長命・・と延命・・が並ぶ配置が
おかしくなってしまった。

 その延命寺からは、「湖南アルプス縦走路」などという大げさな名称の登山道があり、何とこの先の目的地「長命寺」のある長命寺山
を経て同寺へ下る尾根道を見つけた。樹林から琵琶湖の湖面を垣間見ながら延々と登り下りを繰り返し長命寺にたどり着いたときは
心底ほっとした。

 たかだか四百数十メートルの低山とはいえ、不案内な山道での単独行動は、意外なところで道に迷ってあわてたことが何度かあるの
で、慎重に慎重を重ねなければならないと常々思っている。心がけが良かったのか長命寺さまが静かに迎えてくれました。急峻な山肌
に佇む不似合いなほど大きな本堂、三重塔などからなる大伽藍だ。拝観料がいらないので、お賽銭を弾んでおいた。きっと元気で長生
きのご利益がある。そう信じよう。

 ふもとまで続く直線的な石段は、かなりきつく、深山幽谷の赴きながら、降りてしまえば、湖畔の景観とともに門前街もあり、さみしい延
命寺との際立った違いが印象的だった。
 疲れた体でバス停にたどり着いたら近江八幡駅行きのバスが私を待ち構えてくれていた。
 この日の行程は、およそ16キロ。そのうち半分は山歩きなので、距離の割には疲れが残った。


その名もありがたあい長命寺本堂





 



琵琶湖一周歩き旅五回目、


休暇村近江八幡から琵琶湖大橋まで、22キロ+3キロ


山が笑う季節。桜と芽吹きの饗宴

  山が笑っている

 近江八幡駅からこの日の起点である休暇村行きのバスに乗り遅れた。次の便は一時間後だ。一日の計はトイレでがんばりながら?
考えることから始まる、などとふざけたもの思いにふけるものだから、大事なバス便(びん・べんとも読みます)を逃してしまった。仕方な
く、別の途中まで行くバスに乗って、最寄りのバス停で降りて歩くことにした。起点の休暇村へは距離にしておよそ三キロ。標高400メー
トル程度の山越えをやって背後から到達するという難行?をやってしまった。

 この日のコースは湖岸まで山が迫り、平地のほとんどない急斜面にかけられた自動車道を歩いた。サイクリングや歩行者道路が完
備されていた前回までのコースと違ってスペースにその余裕のない山岳路だ。随分と趣が違うところがかえって面白い。覆いかぶさるよ
うな山を仰ぎ、樹林から光る湖面を見下ろし、アスファルトの車道を歩いた。さいわい、車の往来が極めて少ないので危険がない。前回
は山の中から到達した「長命寺」へ今回は当初に予定した山肌を伝う湖岸に沿って達した。

 この日は、四月十八日。湖畔に情緒たっぷりのサクラ吹雪が舞い散るなかで、山の木々の芽吹きが浅緑や淡いピンクに彩られる「山
が笑う季節」の到来に、ついこの間までの冷たい強風に耐えて歩いた日との乖離が信じられないほどの思いにかられる。
春の野山の芽吹き、特に高名な詩人が形容したという「山が笑っている」という名言をこの季節、いつも思う。プロのもの書きが言うのだ
から「名言」は当然だし、やわらかに膨らむ木々の初々しさを視界いっぱいに眺めて歩くと、限りなく気持ちが和む。

 山岳道路はここで終わり。ふたたび近江平野が展開する伸びやかな風景の中、琵琶湖に流れ込む河川の多さが非常に目立つ。そ
の多くが「天井川」といわれる、田んぼと水面との高低さがほとんど無い川であり、交差する道路の橋がアーチ状に弧を描いて川を跨い
でいる。潮の干満の無い湖ならではの干拓風景なのだろうと推し量ってみた。湖北と違ってこの地域の流入河川の河口のほとんどに流
れをせき止める頑丈な可動堰が設備されている。湖に流れ込む水の調節というより、湖水からあふれる水を低湿地帯に誘い込まない
ための、逆流の防止がその使命ではないかと察してみた。そういう設備が必要なほどに低地帯ということなのだろう。


時おり雨滴が落ちてくる琵琶湖大橋付近。湖の周辺はこの季節、天候の変化が多いようだ。

  琵琶湖大橋

 やがて琵琶湖大橋が近くなると、その壮大な風景に見とれつつ振り返れば大きな曲線を何重にも描く湖岸が霞んで、遥かな距離を歩
いてきた感慨に浸っていた。
 琵琶湖大橋自体が観光資源なのだろう。付近は巨大ホテルやリゾートマンションの高層ビル群が、のどかだった風景を一変させてし
まう。超巨大なリゾートマンションが折から雲が厚くなり日暮れ前のような薄暗さの中で、灯りの無い部屋がやたらと目立った。
帰宅して調べてみたら、設備の良いワンルームマンションの部屋が大量に売り出され、350万〜500万という。
バブル全盛時代のお荷物かと勝手に想像してみたが、たぶん当たっている。

 ここまで、湖畔のリゾート、レジャー施設のことごとくが見た目には閑散としていることが気になった。賑わうはずのレジャー施設も、人
の動きの少なさや建物の老化が目立ち、やりきれない淋しさに支配されている。

 この日の踏破距離は22キロ+山道3キロ。少々歩き過ぎだ。足の一部が皮下出血を起こしていた。駆け足で下り坂になってきた空か
ら、ポツリぽつりと冷たい雫が【先を急げ】と催促しつつも、ぎりぎりまでどうにか持ちこたえてくれて、車中の人となり、ほっとしたとき、車
窓を伝う無数の雨滴を見つめて、心がけが良かったのだろうと一息ついた。







琵琶湖一周歩き旅六日目


琵琶湖大橋東詰からJR石山駅まで20キロ


湖南の観光拠点、水生植物園・水の森のシンボル巨大風車

   六日目。四月二十四日(日)
  目的地が次第に遠くなる。
 JR西日本、守山駅から前回の到達点「琵琶湖大橋」までは、便数の少ない路線バスでおよそ三十分。朝五時に起床して支度して、こ
の日の起点に立つまでに四時間半を要した。
 それにしても今回は琵琶湖の南端に達したので、次回からは次第に近くなるはず。

 「春に三日の晴れ間無し」といわれるほどに、好天が続かない季節でも原則自由人の年金生活者なので、直前の天気予報を信用し
て、気が進まない日曜日でのご出発です。
対岸がほとんど見えず海のようだった水面も琵琶湖大橋付近を堺にして狭まり、大きな川の河口のような風情に様変わりで、対岸にあ
る遊園地の大観覧車がこれ見よがしに円を描くのをはじめ、小さく見えても実際には大きな建造物が湖岸線と背後の比良山系の山々
の間にひしめいている。

 琵琶湖大橋からほどなく、烏丸半島の大部分を占める水生植物園「水の森」の一角にそびえる巨大な風車がゆっくりと回転しながら
おいでお出でをしていた。時間が無いので後ろ髪を引かれる思いでやり過ごした。興味深い植物園にのめりこんでしまったら、この歩き
旅の目的が何であったかということさえ忘れてしまいそうなので、過去にこの植物園を訪れた記憶を辿りつつ先を急いだ。

 この日は日曜日だ。さすがに人出が多い。それに、琵琶湖大橋から西の湖岸は環境保護の規制がゆるいのか、あるいは、厳重な保
護の上に最大限の利用を目指しているのか、次々と現れる設備の行き届いた駐車場と緑地公園、立派なトイレの常設されたバーベキ
ュー広場など、前回までの淋しい観光施設とは趣が違っている。

 折からの休日。そこらじゅうでアウトドアを楽しむファミリーで賑わっていた。駐車場のすぐ脇で文字通りドアの外で焼肉パーティーだ。
当世のレークサイドでのレジャーは贅沢なモーターボートやヨットか、そうでなければ、安上がりなアウトドアで焼肉パーティーに二分され
るようだ。沖での水上バイクで爆音と白波けたてて疾走する光景よりは、草原に集うバーベキューファミリーや物静かな釣りに興じる風
景のほうが、垣間見ていてやっぱり気持ちが休まる。

 母なる湖に付随する「内湖」はここでも多く、しばしば両岸が湖になっている。
 緑地帯、サイクリングロード、歩行者道路の外側には立派な車道が付きまとっていて、走る車の多さにうんざりするが、湖面の増水時
に氾濫を防ぐ防水提の役目を担っているとの解説に接して、なるほど・・と思った。車道は幾分高い位置に横たわっている。
川の可動堰と相まって「点」ではなく「線」でガードしている。琵琶湖の恵みは同時に水を治めることのむずかしさ、大変さをも伴っている
ことを実感するおもいだ。

琵琶湖大橋そっくりの近江大橋。デザインに一工夫あってほしいような気がする

 当てにならない天気予報

 天気予報を信用して出てきたのに、湖国特有の気象か、あるいは一般的な春のあらしか分からないが、急速に暗くなった空からアラ
レと雨、派手なカミナリ、それに突然の強風と、何でもありの悪天に見舞われ、雨合羽も役に立たず、わずかな雨よけスペースを見つけ
てやみ間を待つ惨めな格好に、これも旅の試練かと、惨めに楽しむ?ことにしました。
 バーベキューのファミリーたちは、慌てて車に逃げ込んだものの、食材も炭火もびしょぬれ。白煙を上げて抵抗していた炭火もやがて
沈黙してしまった。

 ただ、こういう天気は長く続くものではなく、まもなく晴れ間が覗いた空からお天道様が、濡れた衣服を乾かしてくれて、天気の神様
は、差し引き貸し借りなしで清算してくれました。それに加えて雨上がりのすがすがしい景色のおまけまでありました。

 緑地公園の多いこのコースも近江大橋と東海道本線(琵琶湖線)の鉄橋が視界に入ると、この日の予定到着点「石山駅」は近い。
琵琶湖大橋より少し小規模ながらデザインが良く似た「近江大橋」付近から瀬田川の接点にかけては、湖を中心としたリゾートというよ
り、レークサイドタウンだ。湖岸に沿って南下してくるにしたがって、人々の暮らしがせせこましく?なってくる。
 伸びやかな風景を堪能したあとで、歴史の古い街中の入り組んだ路地を迷いながら辿った石山駅で切符を求めつつ、そんなひねくれ
た思考をしている自分に少しあきれた。








琵琶湖一周歩き旅七日目


(石山駅から琵琶湖大橋西詰まで)およそ20キロ


湖に隣接する街中の琵琶湖文化館。
現在は閉鎖され、多くの文化財の倉庫になってしまった。

 長大な都市公園

 この一連の歩けあるけシリーズでもっとも遠い地点に到達した。 
ここからは、琵琶湖の西岸に沿ってひたすら北上することになる。
歴史の古い雰囲気を残す石山駅周辺の街を抜けると、ほどなく近江大橋の秀麗なラインが視界に捉える湖岸に出る。ここから大津京
駅付近までのおよそ7キロの湖岸は護岸整備が徹底している。波打ち際は、大きく平らな敷石が整然と敷き詰められ、波による侵食に
抵抗している。すがすがしい遊歩道が芝生や草原を縫い、琵琶湖特有の子鮎の釣りに静かに興じるお年寄りやルアー(疑似餌での釣
り)で外来魚のブラックバス、ブルーギルを狙う若者たちで賑わって?いる。

 背後を彩る落葉樹の並木の若葉は何時の間にか木陰を提供するほどに成長してまぶしいほどの若緑が風にそよぎ、春爛漫の歩き
旅だ。
 ただ、この地域は街の真っ只中にあって、林立する高層ビル、自動車の往来がひしめく幹線道路が湖岸の背後にあり、街の喧騒が
伝わってくる。自然の風景や自然を生かした公園というより、巨大な都市公園が延々と横たわっている感じだ。
 いままで歩いてきた琵琶湖大橋以東の湖東の湖岸一帯の雰囲気とは、まるで違ってきている。
大橋以西の東岸も都会だが、西岸は繁華な喧騒を感じる。

 湖岸の散策を楽しむ人々も、歩くために最低必要な装備を背負って・・というより、暇つぶしのそぞろ歩きか健康維持の習慣的なウオ
ーキングを楽しむ都会人が多い。
 隣接する人口密集地を思えば当然の風景であり、そんな環境の中に身をおく住人の暮らしに羨望を思う。

 都市公園のような湖岸の散策がおよそ二時間。一転して、ここから先の湖岸は、小さな入り江と半島が織りなす複雑な水辺が続き、
基幹道路は入り江の奥をつなぐように通じていて、小さな半島の先への道路は、ほとんどが水辺で行き止まりになってしまう。琵琶湖を
巡る歩き人にとっては、湖面の見えない上に車ばかりが行き交う道路など、徹底して避けたい。
 水辺に向かう細道を見つけては入り込むと、私有地に入り込んでしまって失望したり、行き止まりか途切れ途切れの小規模な緑地帯
が気持ちを癒してくれるが、先ほどまでの快適な散策路を満喫してきた身には、いささかその違いに戸惑うことになってしまった。

 ヨットの駐船場?

 それに、ここまでほとんど見られなかったヨットやプレジャーボートがやたらと多くなって半島の先の多くはそれらの保管場所になって
いて、駐車場のようなプライベートスペースが多く、陸地にヨットやモーターボートが無造作に並べられている。どうやら、水上に繋留する
ことを法的に禁じられているようで、一艘一艘鉄骨で組んだ台座に乗ったヨットが長大な帆柱を空に突き出して林立している光景は雑
然としていて絵にならない。ヨットは、水面に白帆をいっぱいに広げて風を受けてこそ優雅なヨットなのだ。

 それにしても、おびただしい陸地に繋留された状態のヨットや豪華なモーターボートの群れには驚嘆するというか、お金と時間があると
ころにはあるものだと感心する。 
 いままで歩いた地域にはヨットやモーターボートをほとんど見なかったので、複雑な湖岸のこのあたり一帯を指定して厳重な規制の上
で繋留管理をしているようだ。
 歩き人としては、湖岸に沿って継続して歩ける遊歩道があるとありがたいのだが、じぐざぐの湖岸と小さな川の流れに寸断されていて
致し方がないのかもしれない。


琵琶湖八景の名勝、浮御堂。住宅街の一角にあるこじんまりとした御堂だ。


 一部には、道路に面して立ち並ぶ民家の間の数十センチの間道にさりげなくハイカーを誘い入れる配慮もあり、立ち寄ってみると、民
家裏側の敷地の庭や花壇の先に湖面がさざなみをやさしく打ち寄せる水辺の草はらや砂浜がまるでプライベートビーチのように広がる
贅沢な住環境の家々が立ち並ぶ集落に接して気持ちが安らぐ。

 自宅の庭でバーベキューやりながら、沖にたゆたうヨットやミシガンやビアンカなど大きな観光遊覧船、時には白波けたてて走り回る
水上スクーターを眺めながらのひとときなど、おいそれと真似のできない遊びをいながらにして満喫できるのだから、しあわせだ。
 そんな特権的ともいえるプライベートなイメージの湖岸をハイカーにさりげなく開放している雰囲気も楽しく、遠慮がちに歩かせてもらう
ことにした。

 関西の大都市圏に近いためか、とかく、いわゆる「温泉マーク」といわれる下品なイメージの強い温泉地「雄琴温泉」は、いつの間にか
湖岸に巨大なホテルが立ち並び、湖の景観に人工的な美しさを添えて佇んでいた。下品な評価も払拭したかと期待したが、温泉街の
一角にうさんくさい雰囲気のエリアがしぶとく生き残っているようだ。

 琵琶湖八景のひとつといわれる浮御堂は、意外と小さく湖面に突き出たお堂が美しい。
 住宅街の一角の目立たない位置に佇んでいた。ここからは、30分でこの日の終着地、琵琶湖大橋西詰めだ。とにかく、この日のコー
スは行ったり戻ったりで歩き人泣かせの迷路が多かった。どうにか予定通りにこなしたのが不思議なくらいだ。
 湖の西岸を北上すると、あれほど繁華な町並みも琵琶湖大橋が視界に入るころには、のどかな里の風景に変わっていた。歩きなが
らもこんな変化に接するのが面白い。



琵琶湖一周歩き旅八日目以降は旅のエッセイ 18へ続きます






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