天下分け目の「関ヶ原」で見る
私は,よく関ヶ原を訪れます。関ヶ原は東に不破郡垂井町、西に滋賀県米原市に接する。町内を国道21号、365号、名神高速道路、東海道本線、東海道新幹線などが通る交通の要所でもある。
東海地方と近畿地方の境にあたるため、「関ヶ原の合戦」といった歴史上の重要な事件が起こるなどして、全国的に有名である。休日には、関ヶ原を目指して、関東、関西方面からも多くの観光客が訪れる。
関ヶ原町歴史民俗資料館
「関ヶ原の戦い」の様子が入館してからすぐの大型ジオラマと音声ガイダンスによって、おおよそつかめる。また関ヶ原の戦いで使われた武具、火縄銃などが展示されている。ミュージアムショップでは、武将Tシャツ、武将家紋携帯ストラップなど参戦した武将のオリジナルグッズ、関ヶ原の合戦関連の書籍を販売している。書籍の中には一般書店ではなかなか入手できないものもある。
わたしが訪れた平成21年9月19日(土)、26日(土)には、多くの観光客が訪れていた。連絡先はTel.0584−43−2665
・関ヶ原歴史資料館入り口
・関ヶ原歴史資料館隣にある徳川家康最終陣地
桃配山
関ヶ原の戦いで、徳川家康が最初に陣をしいたところ。山腹に家康が腰掛けたという腰掛け岩がある。なお、名前の由来は大海人皇子(天武天皇)がこの山へ出陣して、兵士を励まし、桃を配ったという伝説に基づいている。
・「関ヶ原の戦い」で徳川家康が最初に陣をしいた「桃配山」入り口
・徳川家康が腰掛け作戦を練った石
笹尾山
関ヶ原の戦いで、石田三成が陣をしいたところ。
三成は、北国街道を守備するため、兵6,000と豊臣の兵2,000を笹尾山の正面に配し、竹矢来を二重に田の中に囲う。竹矢来の前面に島左近を、中間に蒲生郷舎を置き、三成自身はこの山頂で指揮しました。この山の前面が最大の激戦地。
・笹尾山にある石田三成の陣地
・石田三成の陣地から戦場を見下ろす
松尾山
こちらの山は前の2つの山と違って、かなり近づきがたい。下の駐車場から歩いていっても、40分かかるとのこと。私は諦めて登るのをやめた。ここに、敵方が襲って来ることは難しい。山の上からは、伊勢街道、北国街道、中山道が見渡せる絶好の地。ここに、戦いを左右した小早川秀明が陣をしいた。
・夕暮れ迫る松尾山
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私が車で走った尾張の道
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