本宮大社のすぐそばにある。熊野古道中辺路の終点である。われわれにとっては出発点でも
あった。イチイガシやクスの大木が茂り、天候もあまり良くなかったので、薄暗い。
説明板によると、他の99王子が巡拝、休憩、宿泊所であったのと異なり、本宮に参拝する直前に旅の塵を
落とし、身繕いを正す潔斎所であったようだ。
王子名の表し方が、史料によって異なっていて、祓殿、祓所、祓戸などの文字が当てられていることからみても、
潔斎所としての性格がうかがわれる。近くに75番目の標柱が立つ。
藤原定家は、『明月記』に「建仁元(1201)年10月16日払暁、発心門を出づ。祓殿より歩み指し御前に
参る。山川千里を過ぎ遂に宝前を拝し奉る。感涙禁じがたし」と記している。
【写真は本宮大社の潔斎所といえる祓戸王子社跡】