鳳来寺開山千三百年慶讃法要が営まれた2003年9月27日、愛知県鳳来町の同寺を
再び訪れました。本堂で午後1時から法要が営まれ、平成の峯の薬師如来像が特別開帳されました。
この日は朝から晴れ上がり、微風もあって暑くも寒くもない絶好の日和。12時15分ごろ、頂上駐車場に到着。
持参した握り飯の昼食をとった後、鐘楼などを見て回りました。
午後2時過ぎからは田楽堂で、復曲謡曲「鳳来寺」の素謡が
奉納されました。続いて狂言「清水」「梟」の
奉納があり、100人を超える参拝者が熱心に鑑賞していました。素謡が予定時間より延び、15分近く遅れて
「清水」が始まりました。結局、帰途を考えて最後まで見ずに3時30分過ぎに田楽堂を後にしました。
鳳来寺は大宝3(703)年、文武天皇の勅願により、利修仙人が開創した、といわれます。現在は真言宗
五智教団の本山となっています。表参道からは源頼朝が寄進したという1425段の石段があります。
鳳来山は標高695メートル(684メートルの表記も)で、山全体が国の名勝・天然記念物に指定されています。
謡曲は、利修仙人が勅使・藤原公宣から天皇の病気を治してほしいと頼まれ、さんざん断ったが、説得され、
鳳凰に乗って参内。仙人に従って参上した薬師如来の使いである2人の大将が持ってきた薬壷を清涼殿と
紫震殿に納めると、天皇の病気が平癒。天皇から鳳来寺の寺名が与えられた、といった内容です。
解説書によると、上演詞章は、天台座主教仁親王(1818‐1851年)の筆といわれる鳳来寺蔵版本の
「三州鳳来寺謡本」(石版本)を元に整理されました。伝存する「鳳来寺」のテキストは、『国書総目録』に
よると、曲名を「鳳来寺」「煙巌寺」「薬師」とするものの3種類があり、曲名「鳳来寺」に
元禄2年版本などがあり、伝本状況から謡曲の成立時期は江戸前期と考えられる、としています。
本堂は江戸、明治、大正と、少なくとも3度は焼失したといわれ、現在の建物は昭和49(1974)年に
再建されました。本尊の薬師如来は、利修仙人の時代から山頂近くに生えていたといわれる“六本杉”の
最後まで残り、平成2(1990)年の台風で倒れた巨木を使い、平成11(1999)年に完成しました。
特別開帳は10月31日まで。■鎮守堂■奥の院
【写真は特別開帳が始まった日の鳳来寺本堂】(2003年10月3日)