池水は透明感に満ちている。百済寺のパンフレットによると、喜見院は、もと千手坊と 称したが、天海の高弟・亮算が入山すると、喜見院と改めた。元文元年、自火で焼失、翌年、仁王門の側に移転 改築された。現在の建物は昭和15年、再度移転改築された。これに伴い池泉廻遊式の庭園も拡大移築された。 遠望台からは湖東の平野が眼下に展開する。「天下遠望の名園」の別称がある。 【写真は紅葉に彩られた池泉廻遊式の喜見院の庭園】