丹鶴城址は新宮川畔と熊野灘が望める高台にあり、城域が公園となっている。訪れた2005年
9月30日午後、城址から降りてくる何人かの高校生に会った。高校生らの憩いの場になっているようだ。
説明板によると、一帯は平安時代から新宮の要衝だった。熊野三山を支配していた9代熊野別当が別邸を建て、
その後、丹鶴姫が東端付近に東仙寺を開山し、その後、源新宮十郎行家が山城を築いたともいわれる。
関が原の合戦後、浅野忠吉が新宮入り、慶長6(1601)年から築城、紀州藩の熊野統治の拠点となった。
元和元(1615)年、幕府の一国一城令によって廃城となったが、その後、着工を許された。
元和5(1619)年には、9間四方の大天守と3間4間の小天守を持つ天守丸、二の丸、出丸などが設け
られた。しかし、築城途上のこの年、浅野氏は芸州(広島県)に国替えとなった。
浅野氏の後に入場した藩主・頼宣の付家老・水野重仲が工事を引き継ぎ、寛永10(1633)年に城を
完成させた。明治の廃藩置県で廃城となる。
【写真は公園となっている丹鶴城址】