■元禄なごや犯科帳(実在の騎馬目明し・庄三郎の活躍ほか)

三河商家五代の家計簿―万屋源兵衛盛衰記―      猷々自的

 歴史浪漫文学賞(郁朋社)に応募した作品です。最終選考作品まで残りましたが、 賞には入りませんでした。やむなく自費出版に踏み切りました。
 「懲りない人だなあ」と思われるかもしれません。しかし、まあ一定の評価はある作品だとは思って 頂ければ幸いです。ただ、読みずらい作品であることは間違いありません。
 @固有名詞が多く、筋が見通しにくいA原資料にあるがままの表現も使ったB単調な事実の表記を多用 した―等である。これらは、リアリティーが強化され、舞台である西尾市吉良町の読者、郷土史、民俗学 の勉強に役立つかもしれない、と考えたからです。でも、この意図は失敗だったかもしれません。
 前置きは、これくらいにして、本論に入ると、原資料は、万屋の三代から七代までの当主・源兵衛が 天明4年から明治43年まで125年にわたって、慶弔、病気、旅行、災害等の見舞い、返礼の金品、 買い物等を書き留めた『萬般勝手覚』です。これをそのまま紹介しても、事実の羅列だけなので、 ほとんど読まれないでしょう。そこで事実を大きく曲げない程度に、肉付けをしました。
 万屋の発足は、元禄時代。忠臣蔵で知られる吉良義央の治世と考えられます。初めは色々な物を扱う いわゆる万屋で、三代の時に衰えますが、四代が中興、料理屋に転身、五代が村役人を務め、最盛期を 迎えますが、明治時代に入ってから衰退を続け、大正時代になって倒産、消滅します。
 この間、劇的な展開はありませんが、それでも125年の間には、様々な出来事がありました。大洪水 に見舞われ、街中を船で行き来することもありました。妻らが京詣で、善光寺詣りもしました。七代は、 最初の妻との間に、4人の子を設けますが、全て赤ん坊の内に亡くします。そして最初の妻、妹と死別 します。後妻との間には7人の子を設け、全員が成長します。万屋衰退の決定的原因は分かりませんが、 子だくさん、安政地震、濃尾地震と二つの大地震、幕末明治の社会的混乱が、大きな影響を与えたこと でしょう。
■内容


©2002−2005 Yuusuke Niinomi

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