歴史浪漫文学賞(郁朋社)に応募した作品です。最終選考作品まで残りましたが、
賞には入りませんでした。やむなく自費出版に踏み切りました。
「懲りない人だなあ」と思われるかもしれません。しかし、まあ一定の評価はある作品だとは思って
頂ければ幸いです。ただ、読みずらい作品であることは間違いありません。
@固有名詞が多く、筋が見通しにくいA原資料にあるがままの表現も使ったB単調な事実の表記を多用
した―等である。これらは、リアリティーが強化され、舞台である西尾市吉良町の読者、郷土史、民俗学
の勉強に役立つかもしれない、と考えたからです。でも、この意図は失敗だったかもしれません。
前置きは、これくらいにして、本論に入ると、原資料は、万屋の三代から七代までの当主・源兵衛が
天明4年から明治43年まで125年にわたって、慶弔、病気、旅行、災害等の見舞い、返礼の金品、
買い物等を書き留めた『萬般勝手覚』です。これをそのまま紹介しても、事実の羅列だけなので、
ほとんど読まれないでしょう。そこで事実を大きく曲げない程度に、肉付けをしました。
万屋の発足は、元禄時代。忠臣蔵で知られる吉良義央の治世と考えられます。初めは色々な物を扱う
いわゆる万屋で、三代の時に衰えますが、四代が中興、料理屋に転身、五代が村役人を務め、最盛期を
迎えますが、明治時代に入ってから衰退を続け、大正時代になって倒産、消滅します。
この間、劇的な展開はありませんが、それでも125年の間には、様々な出来事がありました。大洪水
に見舞われ、街中を船で行き来することもありました。妻らが京詣で、善光寺詣りもしました。七代は、
最初の妻との間に、4人の子を設けますが、全て赤ん坊の内に亡くします。そして最初の妻、妹と死別
します。後妻との間には7人の子を設け、全員が成長します。万屋衰退の決定的原因は分かりませんが、
子だくさん、安政地震、濃尾地震と二つの大地震、幕末明治の社会的混乱が、大きな影響を与えたこと
でしょう。
■内容