見てきました                   猷々自的

長命寺に参詣すると長命になる?

 2005年11月19日、滋賀県近江八幡市の瑞龍寺と長命寺を訪れた。近江八幡市の基は、 天正13(1585)年、豊臣秀次が八幡山(標高約284m)に城を築いて開いた城下町で、商都として 発展する。その基となる八幡城跡にある瑞龍寺を訪れようと、一泊した宿からJR近江八幡駅に出て、レンタ サイクルで出発した。瑞龍寺は、市街地の外れの八幡山上にある。自転車で10分ほど走れば、山麓のロープ ウェー乗り場に着く。ロープウェーは15分おきに出る。

 午前10時前に雨が本降りとなり、止んだのでロープウェーに乗る。降りて展望台に上ると、 近江八幡の市街地が一望できる。安土町にある安土城跡、信長の館館も視界に入る。瑞龍寺本堂に続く道は 紅葉がきれいだ。ほかでは気づかなかったが、同じモミジの木でも、 全く紅葉していない緑の葉と真っ赤に紅葉した葉があった。

 瑞龍寺は観光パンフレットによると、文禄5(1595)年、秀次の生母・日秀尼により、秀次の菩提を弔う ため、後陽成天皇から寺号と京都村雲の地を賜り、創建された。昭和36(1961)年、八幡山に主要な建物が 移築された。日蓮宗唯一の門跡寺院。寒く時折、雨がぱらつくあいにくの天気だったが、参拝者は多かった。

 その後、歴史民俗資料館、旧伴庄右衛門邸、旧西川邸、古い町並みを 見る。中でも近江商人の伴庄右衛門邸は すごい。畳表、蚊帳などを商った豪商の家で、木造の一部三階建て。この邸宅に使われている柱材は目を見張る ものがある。これだけ頑丈な柱材は、それほどお目にかかれるものではない。一見の価値がある。

 昼食の後、最後の目的地である長命寺に向かう。行きは、八幡山の東側から湖周道路に出たが、40分ほど走っ ただろうか、ようやく登り口に着く。公称808段という石段は急峻である。 しかも段差が不ぞろいである。 30センチほどの所もある。手すりはない。休み休み20分ちょっとかかって本堂のある場所に到着する。

 5、60段も上がると、息が切れる。しんどいので、途中で、「後どれくらいですか」と降りてくる人に友人が 聞く。「半分ぐらいでしょう。ま、ボツボツ行きまひょ」との答え。最後の100段ほどは、特に急峻である。 上がりきると、しばらく動けなかった。中学生らしき運動部員が、最後の100段ほどを駆け上がっていった。

 西国31番札所。本堂は拝観無料。三重塔、三仏堂、鐘楼など格式がある建物が並ぶ。本尊は千手十一面観音 だったと記憶しているが、直接、拝観することはできなかった。地元の人が推奨する午後、境内から見る 琵琶湖のきらきら光る湖面は確かにすばらしい。近江富士といわれる三上山も遠望できる。

 山上に建つ寺を訪れる場合、行き(上り)は怖くても、帰り(下り)は、よいよいというのが普通だが、長命寺 は違う。「行きも怖いが、帰りも怖い」。時間的には10分ちょっとで麓まで下りたが、下手をすると“ひざが 笑う”。かなり慎重に下りなければならなかった。カニのように横になって降りる女性にも出逢った。

 下りた後、近江八幡駅まで自転車を走らす。帰りは、白鳥川沿いの自転車・人専用道を走る。途中、広大な農地 が広がる。その一つで、キャベツ畑をトラクターでつぶしていた。もったいない感じがしたが、帰って農家出身の 女房に聞くと、梱包費も出ないという。何か生かす方法はないものか。政治の貧困を感じる。

 帰りは30数分で、近江八幡駅に戻れたが、自信のない人はこのような行軍は避けた方がよさそう。自転車は ひざより上の筋肉を使う。階段の上りはひざより下の筋肉を使う。階段のくだりはひざにくる。ひざが笑いそうに なった。使う筋肉が違うので、しのげたが、ほぼ限界という感じがした。 【写真は紅葉に覆われる瑞龍寺の山門=滋賀県近江八幡市で】


©2002-2005 Yuusuke Niinomi

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