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Artist

FRANCO

Title

20EME ANNIVERSAIRE 6 JUIN 1956 - 6 JUIN 1976, VOLUME 1


20eme vol.1
Japanese Title 思い出の70年代
Date 1976
Label AFRICAN/SONODISC CD 50382(FR) / オルターポップAFPCD207(JP)
CD Release 1989 / 1990
Rating ★★★★★
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Review

 かつて『思い出の70年代』のタイトルでオルターポップから国内配給されていたフランコの代表作。本盤はO.K.ジャズ結成20周年記念アルバムとして、76年にAFRICAN/SONODISC から発売された2枚組LPの1枚目をまるまるCD化したもの。タイトルからして回顧的な中味を想像したくなるが、むしろ、いまや向かうところ敵なく、さらなる前進を続けるTPOKジャズの勢いをそのままに反映した“攻め”のアルバムといえる。
 国内配給はされなかったが、まったくおなじジャケットでLPの2枚目を収めた"VOLUME 2" (AFRICAN/SONODISC CD 50383)も発売されていて、こちらも必携だ。

 まず気が付くのは、これまでのどのO.K.ジャズのアルバムにくらべても音質が格段によくなっていること。モノラルから全編ステレオ録音になったのも本盤がはじめてではないか。さらに、シングルの寄せ集め的な傾向がつよかった従来のアルバムとちがって、トータル・アルバムとしての統一感がとれていることも特筆すべきだろう。("VOLUME 1" 冒頭の2曲と、"VOLUME 2" ラストの2曲はともにフランコの作品!) 豪華だがこんなにもムダがなくキチッと構築された端正なアルバムが作れたのも実力と権力を兼ね備えたフランコなればこそ。まさに王者の風格がただよう。

 表紙には、めずらしいことにタイトルとフランコ本人の名まえがあるのみでバンド名がクレジットされていない。じつはこの年、フランコはザイールの国民栄誉賞というべき 'Officer of the National Order of the Leopard' (高級官僚待遇らしい)を受勲している。だから、フランコ個人の受勲記念アルバムとしての性格もあったのだと思う。

 ところが、インナー・スリーブを見ると、それぞれの曲の作者がその曲のリーダーであるかのようにクレジットされている。本盤でいうと、フランコ作の'LIBERTE''MATATA YA MUASI NA MOBALI EKOKI KOSILA TE' では“フランコとTPOKジャズ”とあるが、ウタ・マイ作の'MELOU' では“ウタ・マイとTPOKジャズ”というようにだ。

 楽曲にアレンジが施されて完成にいたるプロセスについて、G・エウェンズはその著"CONGO COLOSSUS" のなかでつぎのような興味ぶかいエピソードを紹介している。
 フランコをはじめザイールのミュージシャンの多くは楽譜が読めない。そこでフランコはまず、メンバーがそれぞれ持ち寄った曲を検討し、その曲を演奏するミュージシャンの選定をおこなう。そうしておいて、はじめはメイン・シンガーの歌とギター伴奏のみで演奏してみる。他のミュージシャンたちはじっとそれを聴き入りながら、その曲に合ったアレンジを構想する。こうして、つぎの段階でリズム・セクション、その他のギター、コーラスが加わった演奏をくり返しおこない、大方アレンジが整ったところで最後にホーン・セクションを加えるというスタイルをとった。フランコはすでに自分のレコーディング・スタジオを構えていたものの、オーバーダビングの設備がなかったため、ライヴ演奏さながらフルメンバーによる一発録りでおこなわれたという。

 ところで、フランコ本人が書いた曲については、細部にいたるまで終始フランコが指示していたが、他のメンバーの曲については、ギター・ソロを入れる程度で、あまり口をはさむことなくメンバー任せにすることも少なくなかったようである。フランコ以外のメンバーがリーダーとしてクレジットされていたことの裏にはこんな秘密があったのだ。曲が完成するまでのこうした分業的な流れを知るにつけ、TPOKジャズというのはレンブラントやルーベンスなどが営んでいた工房のようなものだと思うようになった。
 
 レンブラント作とされる作品が、じつは本人はほんのすこし筆を入れただけで大部分が弟子たちによって描かれたものであったとか、それどころかレンブラントはまったく描いていないとさえ疑われている作品がいくつもあって、いまも真贋問題で揺れている。ここではレンブラントが作品の構想に携わったかいなかではなく、じっさいにかれが筆を入れたかどうかが問われている。

 そう考えると、フランコ作の2曲を除く残りの4曲、ウタ・マイ作の'MELOU' 、ンドンベ・オペトゥム作の'VOYAGE NA BANDUNDU' 、ユールー作の'KAMIKAZE' (なんというタイトル。歌詞内容が知りたい)、ボーイバンダ作の'NZETE ESOLOLAKA NA MOTOTE' にはたして本当にフランコは参加していたのか疑いたくもなる。
 「そんなことは断じてない!」とは思う反面、G・スチュワートの著書"RUMBA ON THE RIBER" の記述によると、76年10月の時点でTPOKジャズは、ヴォーカル9人、ギター(ベースも含む)11人、サックス6人、トランペット4人、トロンボーン2人、コンガ2人、ドラムス2人の計36人からなる大所帯だったというから、そのなかにフランコの影武者がひとりふたりいたところで不思議はないような気もする。

 70年前後にザイコ・ランガ・ランガ、ベラ・ベラらとともに頭角を現した新世代のバンドにトゥ・ザイナがある。フランコのレーベルEDITIONS POPULAIRES からレコードが発売されていたことからわかるとおり、O.K.ジャズを若くしたような甘酸っぱいサウンドで、かれらが出したシングルは大当たりした。かれらはレコードの売り上げから得た利益を新しい楽器やアンプなどの機材の購入にあてた。ところがやっと手に入れた念願の楽器が突然なくなってしまったり、何者かによって壊されたりして、2年も経たないうちにスッカラカンになってしまった。

 途方に暮れていたかれらに救いの手を差しのべたのがフランコである。フランコはバンドの2人のギタリスト、“チェリー” 'Thierry' Mantuika Kobi と“ジェジェ” 'Gege' Mangaya にたいしTPOKジャズ入りをしきりとすすめた。こうして74年(76年とも)、2人はいつかトゥ・ザイナを再建することを夢見てTPOKジャズに籍を置くことになった。

 ジェジェはステージがはじめる直前にフランコがかれの耳元に語りかけた言葉が忘れられない。「若者よ。わたしは大食漢だ。だから満腹になるにはまだ足りないのさ」。このとき、あの一連の事件の裏で糸を引いていたのはフランコではなかったかという疑念をつよく抱くようになった。そして「空腹を満たす」ためには手段を選ばない“大食漢”にはとても太刀打ちできないと覚悟を決め、バンド再建の夢をあきらめ、TPOKジャズに専心したという。

 わたしはまだトゥ・ザイナのことをあまり知らなかったころ、かれらのギタープレイを聴いてあまりにフランコと似ているのに驚いたことがある。もしジェジェの話が本当なら、かつて在籍していたファンファンがそうだったように、チェリーあたりがフランコの影武者に仕立てられていた可能性も捨て切れない。その腹黒さをもってすれば、この程度のことは屁とも思わないんじゃないか。人一倍自己顕示欲がつよかったであろうフランコが自分を差し置いてメンバーの名まえをクレジットするのを認めたのも、その演奏にフランコ本人でなく影武者が参加していたからだったと考えるのがいちばんすっきりしているような気がする。

 いや、だが、これはやはりゲスの勘ぐりというものだろう。しかし、それにしてもトゥ・ザイナのすばらしい音楽を聴くにつけ、権力をカサに着て若い才能の芽をどんどん摘み取ってしまったフランコの態度はどうしても許せない。80年代なかば以降、リンガラ音楽が完全に袋小路に陥ってしまった責任の一端はフランコに帰せられるべきだと思う。

 フランコがたとえどんな汚い手を使って若い才能を組み込んだとしても、というよりそうしたからこそ、ここに展開される音楽はザイール音楽の集大成ともいえる非の打ちどころのない完璧なサウンドに仕上がっている。
 かれらに加えて、74年にオルケストル・コンティネンタルからウタ・マイ、75年にタブ・レイのアフリザからンドンベとギタリストのミシェリーノ、76年にはレ・グラン・マキザールからダリエンストとギタリストの“ジェリー” 'Gerrry' Dialungama 、その前からのメンバー、ボーイバンダ、ユールー、シェケン、ジョスキーとくれば、どこでどうころんでも悪かろうはずがない。

 かれら若い感性が大量に流れ込んだことで、O.K.ジャズの弱点であったビートにメリハリが生まれサウンドに厚みが加わりドライヴ感が高まった。このことに付随して演奏時間もザイコ・ランガ・ランガなみに平均8分から10分前後とグンと長くなった。ところが、ここがザイコとはちがうところなのだが、弛緩するところがまったくなくすべてが“必然”に満たされているのだ。

 しかも、 ウタ・マイ、ンドンベ、ユールー、ボーイバンダ("VOL. 1")、シェケン、ジョスキー、ミシェリーノ("VOL. 2" )といったフランコ以外のメンバーが書いた曲、なかには新人でしかもO.K.ジャズとは異系統のアフリカン・ジャズ〜アフリザの流れを汲むメンバーの作品がいくつか含まれているにもかかわらず、どこをどう切っても正真正銘のTPOKジャズ・サウンドになっている。たとえばウタ・マイの'VOYAGE NA BANDUNDU' は、シマロの作詞作曲とサム・マングワナの歌で切り拓いたTPOKジャズの新境地'MABELE'"1972/1973/1974" 収録)と'EBALE YA ZAIRE'"1974/1975/1976" 収録)を継承したものであるというように。
 やはりフランコのリーダーシップはハンパじゃなかった。たとえその曲にフランコが深く関わっていなかったとしても、フランコがただそこにいるというだけで、じゅうぶんに存在感を示せたのだと思う。だから、TPOKジャズは工房なのだ。

 そんな名演ぞろいのなかで頭ひとつ抜きんでているのは、やはりフランコが書いたナンバー。冒頭の'LIBERTE' なんて、曲よし歌よし演奏よしの3拍子そろった完璧な演奏。フランコのぶっきらぼうで男くさいヴォーカル、絶妙なハーモニー、クールでメタリックなギター、バウンスするベース、メリハリのあるドラムスとコンガ。そして分厚いホーン・セクションのウネるようなリフが登場する段にいたってはこのまま死んでもいい気にさえなってしまう。
 つづく'MATATA YA MUASI NA MOBALI EKOKI KOSILA TE' もこれに負けないぐらいすばらしい。"1974/1975/1976" の解説で「ハーモニック・フォース」の典型例としてあげた'mama' の妙を心ゆくまで味わいたいならこれを聴くべし!

 ここまで書いてきて、わたしがこの稿の前半でフランコのやり口を非難したのはきっとこのアルバムが文句のつけようがないぐらいに完璧なためだと知った。"VOL.2" も含め、このアルバムにかんして、なにか欠点を指摘できるひとがいたのなら是非知らせていただきたいものだ。


(10.25.03)



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by Tatsushi Tsukahara