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Artist

FRANCO & LE T.P.OK JAZZ

Title

1972/1973/1974


1972/1973/1974
Japanese Title 国内未発売
Date 1972 /1973 /1974
Label AFRICAN/SONODISC CD 36538(FR)
CD Release 1993
Rating ★★★★★
Availability


Review

 O.K.ジャズ時代から通算して、ザイール以外の国々でも最大のヒットを記録したのが73年に発表された'AZDA' 。じつはこの曲、フォルクスワーゲン社のキャンペーン・ソングに使われたもの。途中はいるリフレイン'Veway, Veway, Veway' (ベウェー、ベウェー、ベウェー)とは、現地でのフォルクスワーゲン (VW) の略称だそう。しかし、タイアップだったのと別に、この曲はその後のTPOKジャズの音楽性を決定づけるマイルストーンとなった。

 ミディアム・テンポのコーラスではじまり、2分を過ぎたあたりからギターの一閃を合図に迫力のホーン・セクションが加わり一気にヒートアップ。フランコのヴォーカルにコーラスがシンプルなリフレインで応酬する典型的なコール・アンド・レスポンスがしばらくつづく。5分30秒あたりにふたたびホーン・セクションがかぶさってフランコの熱いギター・ソロに突入するというダイナミックな展開。

 74年にEDITIONS POPULAIRESから発売された2枚のLPをまるまる収録したこのアルバムは、'AZDA' をはじめ、かれらの代表曲がギッシリ詰まった名作。これからフランコを聴こうというひとにはまずおすすめしたいアルバムだ。

 69年の終わりごろから、ファンファン、シマロ、ユールー、ビチュウといったバンドの主要メンバーたちは、フランコの許しを得ないままに、密かに自分たちのレコーディングをおこなってきた。72年、そのことがフランコの知るところとなってかれは大激怒。このとき、フランコはコンゴ−ブラザヴィル出身のユールーとビチュウがバンドを分裂に導こうとしているとやり玉に挙げ、ユールーを首にしてしまう。この処分を公正でないと感じたファンファンもあとを追うように脱退。

 フランコはグループを建て直すために、かつてフランコに背いてクァミーのオルケストル・レヴォルシオンに参加したベテランのリズム・ギタリスト、ブラッツォをバンドに呼び戻した。さらにベースには“デッカ”Mpudi 'De(c)ca' という28歳の腕利きミュージシャンを採用しパワーアップをはかった。

 そして、もうひとり、由緒あるO.K.ジャズのサウンドを塗りかえた逸材がこのとき、ヴォーカリストとして加入した。その男の名はサム・マングワナ Sam Mangwana 。フランコより7歳年少の1945年キンシャサ生まれ。アフリカン・ジャズの流れを汲むアフリカン・フィエスタ・ナショナル出身のかれを起用したことにたいし、当初、マスコミをはじめ世間は批判的だった。なぜなら、アフリカン・ジャズとO.K.ジャズとは決して相容れない二大潮流と考えられていたから。

 マングワナのもとにはフィエスタ・ファンから「家に火をつけてやる」などといった脅迫状がいくつも届けられ、TPOKジャズ・デビューを目前にしてかれはすっかりナイーブになってしまった。
 そこでフランコはマングワナのために自分のボディガードを付けて、それでも災難にあった場合はむこう1年間のギャラを保障し、なおかつかれがどこへなりとも身を潜めることができるようにと飛行機チケットの手配まで約束するという気の配りようだった。それぐらい、フランコがマングワナに期待するところが大きかったわけで、マングワナはそんなフランコの期待に十分に応えコンサートは成功裡に終えることができた。

 そのとき、マングワナがTPOKジャズをバックにはじめて歌った曲こそ、シマロが書いた傑作'MABELE' であった。ろうそくが明滅しながら最後に燃え尽きるさまをひとの一生に重ね合わせたこの歌で、シマロは“詩人”と称せられるようになった。長い詩だが英訳をもとにその一部をわたしなりに解釈するとこうなる。

「老後のことを考えて、かれは若い時分からせっせと節約に励む。しかし、いったん年をとると考えが変わってしまう。なぜなら自分が死んだら、貯めたお金を他人が私利私欲のために使ってしまうのがわかっているから。ああ、大地(MABELE)よ。わたしは君のために嘆く。わたしも年をとれば、わずかな金を恵んでもらおうと杖をついて歩くことになろう。ひとびとはこう心でつぶやくだろう。あの男は結婚しなかったのか?子どもはいなかったのか?と。かつて面倒をみてやったひとたちさえわたしをさげすみ冷笑することだろう。しかしわたしはかれらに言おう。たとえ、そんな人生でもわたしはけっして悲嘆しない。それが運命なのだから。」

 わたしは老人介護施設に勤めている。戦中戦後を明日のためにと死にものぐらいで生きてきたひとたちの現在がここにある。おのれの身を削ってまで慈しみ育ててきた子どもたちに、親を家庭で引きとって看ていこうという意志はもはやなく、なかには早く逝ってもらいたいとひそかに願っている子たちさえいる。生、老、死という避けがたい運命のさきに「諸行無常」を感得したシマロの人生哲学には、まさに高齢社会をむかえた日本の現状が投影されていると思った。

 こんな詩の内容だからさぞかし重たい曲調を想像したくなるが、じっさいは温厚で軽やかなギターリフを背骨として、節目ごとにはなやかなホーン・セクションがはいるミディアム・テンポの陽気な曲である。そのなかを、ちょっと鼻にかかったような声質とグニャグニャ伸縮自在の独特の唱法でサム・マングワナが情感ゆたかに歌いあげていく。

 思えば、それまでのO.K.ジャズのヴォーカル・スタイルはあくまでコーラスが基本であった。ヴィッキー、エド、ムジョス、クァミーなど歴代の名ヴォーカリストたちにはうまさはあってもいまひとつ個性が欠けていた。たいするにサム・マングワナにはうまさに加えて、一聴してすぐかれとわかる個性が備わっている。マングワナの加入によって、(フランコ本人を除けば)ここにはじめてO.K.ジャズはソロ・ヴォーカリストを得た。

 7分30秒ちかくあるこの曲で、定番のフランコのギター・ソロはあってもあまり目立たない。主役はあくまでマングワナの歌でありシマロの曲である。それは従来のザイール音楽から受けるイメージとはあきらかに質がちがう。ユッスー・ンドゥールサリフ・ケイタあたりに歌わせてみたくなるような雄大で奥行きのふかい不朽の名曲といえよう。

 ところで、'MABELE' は74年7月にランクインして以来、その年の11月末までトップ10にとどまるというザイールでは息の長いヒットとなった。もちろん、その年のベスト・ソングに選ばれている。

 たった2曲のためにあまりに多くの行を費やしてしまった。その他10曲についても充実した内容といえる。
 'AZDA' 同様、フランコ作の'ASSITU' からは、かつてのラテン的な優美さは一掃され、男っぽくザラついた感覚がつよくなってきている。後半のセベンでのギターとホーン・セクションもワイルドでダイナミック。これらに典型的なように、70年代なかばから後半にかけては、TPOKジャズのサウンドがもっとも野太くアグレッシブになった時期である。

 シマロの'MINUIT ELEK LEZI' もこれらと同系列といってよく、とくに後半のセベンでの迫力ある展開はルンバ・ロックへの対抗意識がありありと感じられる。
 その点、ボーイバンダ作の'ZANDO YA TIPO-TIPO' やシェケン作の'LUKIKA' には、O.K.ジャズ時代からの穏やかで悠揚なムードが残っていて、激しい曲を聴いたあとにはホッとさせるところがある。しかし、もはや時代遅れの感さえあるのも事実。

 伝統音楽をモチーフにした'KINSIONA' では、ハチロクっぽい前のめり気味のビートにのせて、フランコが哀愁を漂わせながらザイール川のように滔々と歌う。この曲は70年に事故死した弟バヴォンに捧げられ、キコンゴ語で歌われているのだそうだ。80年代後半のライヴ演奏を収めたわたしがもっとも最初に手に入れたフランコのCD『ライヴ・イン・オランダ』(オルターポップ AFPCD205)にもこの曲が入っていた。オタンティシテの影響なのか、おなじように伝統音楽を下じきにした楽曲は、ほかにも'KINZONZI KI TATA MBEMBA''MAMBU MA MIONDO' と2曲ある。いずれもアコースティック主体の、素朴ながらも奥行きを感じさせる歌と演奏である。
 ちなみに、TPOKジャズはその長い歴史のなかで1回だけバヴォンの曲をレコーディングしている。その曲は 'BOKOKA TE FIANCEE' といって、70年と73年の演奏を収めたCD"GEORGETTE/INOUSSA" (AFRICAN/SONODISC CD 36572)に収録されている。
 
 本盤唯一のマングワナの作品'LUKA MOBALI MOKO' と73年に新加入したジョスキー 'Josky' Kiambukuta londa が書いた'MONZO' は、スマートでみずみずしい疾走感にあふれていて、他の楽曲とくらべるとさすがに感覚が新しい。とくに本盤最長の7分35秒におよぶ'MONZO' は、80年代後半の演奏を収めた"LE GRAND MAITRE FRANCO ET LE TOUT PUISSANT O.K. JAZZ" シリーズあたりからはじめてフランコのサウンドにふれたひとには、もっともなじみのあるタイプの演奏といえるだろう。

 みてきたように、サム・マングワナという逸材を得たことで、70年代なかば、TPOKジャズは結成以来、最強の布陣と最高の人気を獲得した。しかし、それはある意味でフランコが音楽的にピークに達したことをさしている。これ以降、TPOKジャズのサウンドが劇的に変貌することはなくなった。革新的要素は消え失せ、現代的な肉付けを施す程度の変化にとどまりながら、保守の王道をひた走る残りの15年だったと結論づけるのはいい過ぎだろうか。


(10.3.03)



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by Tatsushi Tsukahara