World > Africa > Democratic Republic of the Congo

Artist

FRANCO, SIMARO ET LE TP OK JAZZ

Title

1974/1975/1976


1974/1975/1976
Japanese Title 国内未発売
Date 1974 /1975 /1976
Label AFRICAN/SONODISC CD 36520(FR)
CD Release 1992
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 このアルバムを聴いていると、なぜかいつも寝てしまう。退屈だからではない。ひたすら気持ちいいのである。しかしフランコのアルバム数あるなかで、なぜに決まってこれなのか?
 思うに、秘密はコーラス・ワークにある。このころのTPOKジャズはたえずメンバーに異動があったとはいえ常時4名以上のヴォーカリストを擁していた。ユニゾンまたは平行3度で一分のスキなく緻密に編み込まれたコーラス・ラインがぶ厚い壁となって聴き手に押し寄せてくる。“壁”と感じるのは、声質はスウィートなんだが細くなく、発声が力強くストレートなせいだ。でも、通気性がいいので不思議と圧迫感はない。

 なんでもO.K.ジャズは「ハーモニック・フォース」と称するルンバ・コンゴレーズ独特のヴォーカル・スタイルを完成させたのだそうだ。アフリカの音楽では、通常、ことばのトーン (speech tone) がメロディ・ラインを左右するらしいが、O.K.ジャズはこれを無視してハーモニーを優先させた。その結果、本来の歌詞内容から離れた多義性を帯びるようになったという。
 たとえば、歌詞に'mama' ということばがあって、作者にとっては自分の母親をさすものであったとしても、「ハーモニック・フォース」の働きにより幼女を除くあらゆる女性に向けられたかのように響くのだそうだ。
 わたしはリンガラ語がまったくわからないので、この点についてはどうも判然としないのだけれども、O.K.ジャズが本来の歌詞内容を正確に伝えることよりも、ハーモニーによる音楽的な効果をより重視していたということだけはまちがいなさそうである。コーラスの、あの無類の美しさのうらにはこのような秘密が隠されていたのか。

 TPOKジャズの全盛期にあたる74年から76年までの音源からなるこの編集アルバムは、"1972/1973/1974"(AFRICAN/SONODISC CD 36538)にくらべると、派手さこそないが、じっくり聴かせるタイプの味わい深い楽曲がならぶ。

 全12曲中、サム・マングワナが参加しているのは6曲。そのうちアルバム冒頭の'EBALE YA ZAIRE' は、'MABELE'"1972/1973/1974" 収録)とともに“詩人”シマロが書いた叙情味あふれる傑作のひとつとされている。「ザイール川」を意味するこの作品で、フランコの硬質で柔らかなトーンのギター(フランコにかぎってはこの対極が共存する)をバックに、シマロはザイール川の流れのように滔々と歌い続ける。名唱である。

 マングワナは75年にグループを脱退すると、一時、古巣のタブ・レイ(ロシュローから改名)のもとに身を寄せたのち、ザイールを出国。中央アフリカ共和国からカメルーン、ナイジェリアを経て、コート・ジヴォワールの首都アビジャンに腰を落ち着ける。そして、76年、念願の自分のグループ「アフリカン・オール・スターズ」を結成。ザイール音楽にハイライフやビギンなどのさまざまな音楽をブレンドされた文字どおりの“ワールド・ミュージック”をつくり上げた。

 その後、パリへ進出し成功を収めたマングワナは、82年とフランコ最晩年の88年の2度、フランコとの共演アルバムを残している。このときのレコーディングは、現在それぞれ2枚のCDに収められている。

 (1) FRANCO, SAM MANGWANA & LE T.P. O.K JAZZ "1982/1985" (SONODISC CDS 6854)
 (2) FRANCO, SAM MANGWANA ET LE T.P. OK JAZZ "1980/1982" (SONODISC CDS 6860)
 (3) SAM MANGWANA, FRANCO ET TP OK JAZZ "FOR EVER" (SYLLART/MELODIE 38775-2)
 (4) FRANCO & SAM MANGWANA "LES RUMEURS" (SONODISC CDS 6981)

 なお、2004年にンゴヤルトから、フランコとマングワナが共演したナンバーを集めた編集盤が全2集で発売された。

 (5) THE VERY BEST OF FRANCO & SAM MANGWANA ET L'ORCHESTRE T.P.OK JAZZ VOL.1: OU EST LE SERIEUX?(NGOYARTO NG 0106)
 (6) THE VERY BEST OF FRANCO & SAM MANGWANA ET L'ORCHESTRE T.P.OK JAZZ VOL.2: COOPERATION(NGOYARTO NG 0107)

 (5) は70年代のTPOKジャズ在籍時、(6) は1曲を除いて80年代の脱退後の音源からなる。全19曲中、初CD化音源は'ASSITU' コンプリート・ヴァージョン、'ZENABA' 別ヴァージョンのわずかに2曲。収穫といえば、これまではっきりしなかったマングワナ参加のアルバムがいくつか判明したことで、上記以外につぎの7点がある。

 (7) FRANCO & LE T.P.O.K.JAZZ "1972/1973/1974"(AFRICAN/SONODISC CD 36538)
 (8) FRANCO ET L'OK JAZZ "GEORGETTE/INOUSSA 1970/1973"(AFRICAN/SONODISC CD 36572)
 (9) FRANCO, SIMARO ET LE TP OK JAZZ "1974/1975"(AFRICAN/SONODISC CD 36519)
(10) FRANCO, SIMARO ET LE TP OK JAZZ "1974/1975/1976"(本盤)
(11) FRANCO "NAKOMA MBANDA NA NGAI"(AFRICAN/SONODISC CD 36571)
(12) FRANCO & LE T.P.OK JAZZ "LES ANNEES 70"(SONODISC CDS 6953)
(13) FRANCO & JOSKY, PEPE NDOMBE EN COMPAGNIE DU LE T.P.OK JAZZ "DES ANNEES 70/80"(SONODISC CDS 6952)

 これらほかにも正真正銘のラスト・レコーディング (14) "FRANCO JOUE AVEC SAM MANGWANA"(GRACE MUSIC GR 004)がある(筆者はLP(RYTHMES ET MUSIQUE 850) から複製したCDRで所有)。

 ところで、この時期、73年にオルケストル・コンティネンタルからジョスキーが加入したのを皮切りに、翌年にはおなじくコンティネンタルから“ウタ・マイ”こと 'Wuta Mayi', Wuta Yundula Mayanda (Blaise Pasco) 、75年にはタブ・レイのバンド出身の“ミ・ソロ”ギターの名手“ミシェリーノ”'Michelino' Mavatiku Visi、サックスのエンポンポ Empompo 'Deyesse' Loway 、ンドンベ・オペトゥム 'Pepe' Ndombe Opetum 、さらに76年9月にはレ・グラン・マキザールから“ダリエンスト”(Daniel) 'Dalienst' Ntesa Nzitani というように80年代のTPOKジャズを支えるそうそうたるメンバーが続々と加入している。フランコの逆鱗にふれてグループを去ったユールーも一時復帰したようだ。
 みんな、アフリカン・ジャズやO.K.ジャズの流れを汲む若手バンドのメンバーとしてそれなりに名をあげたツワモノたちばかりである。だから、マングワナの脱退は痛かったにはちがいないだろうが、ヴォーカリストには不自由しなかったはずだ。このぜいたくな布陣によってあの壮麗な声の壁が築かれていたのである。
 ちなみに、ミシェリーノ、エンポンポ、ンドンベ参加のタブ・レイのバンド(アフリカン・フィエスタ・ナショナル〜アフリザ・アンテルナショナル)は"TABU LEY 'ROCHEREAU' 1971/1972/1973" (SONODISC CD 36552)など、ウタ・マイ、ジョスキー参加のコンティネンタルと、ダリエンスト参加のレ・グラン・マキザールはコンピレーション・アルバム"LES GRANDS MAQUISARDS/CONTINENTAL/VOX AFRICA/CONGA SUCCES"(AFRICAN/SONODISC CD 36513)などで聴くことができる。

 本盤でいえば、'EBALE YA ZAIRE' とよく似たゆったりした曲調の、シマロ作品'CEDOU' 、洞窟のなかで歌っているみたいなフランコ作の'OU EST LE SERIEUX?''TANGELA NGAI MBOKA BAKABAKA MOBALI' なんかは必殺のヴォーカル・ハーモニーが最大限に生かされている好例といえるだろう。

 これらの曲はいずれも後半のセベンにはいると一気に加速化する。このリンガラ音楽特有のパターンはフランコがはじめたものらしく、歌もの中心の前半部と、それに続くシンプルなパターンを反復するモントゥーノ部から構成されるキューバ音楽の“ソン”をヒントにしたとする説はたいへん興味深い。(このすばらしいソンについてはアルセニオ・ロドリゲスほか、キューバ音楽のコーナーを参照のこと。)

 それはそうと、シェケン作の'NGANDA MA CAMPAGNE' も含めたこれら一連の曲でのフランコのギター・ソロはおそろしくキレがよくて「エクセレント!」の一語に尽きる。
 しかし、いっぽうでギター、ベース、ときおりはいるホーンズのリフのほかは、ドラムスらしき音は聞こえず、コンガ、マラカス、ウッドブロックなどが控えめに聞き取れる程度というのは、ロックやジャズの楽器編成になじんだ耳にはどこかアンバランスに感じられる。思うに、これはヴォーカルとギターとの繊細なアンサンブルをフルに引き出そうとのフランコの考えから出たものではないか。

 その証拠にラストの3曲、フランコ作の'BAMASTA BONANE' 、デル・ペドロ作の'ZOZO' 、シマロ作の'DECISION' は本盤にはめずらしくコンガが前面に出ているせいか、こころなしかコーラスがおとなしく控えめに感じられる。でも、わたしにいわせると、あの“壁”は、ギリシア建築のイオニア式か、はたまた日光東照宮の陽明門に似て装飾過剰な気がしないではない。むしろこれらの演奏のほうが野性味があるぶんだけ(ということはさしずめドーリア式?)全体のバランスがよく感じられて個人的には好きです。

 ところで、アルバム中盤に収められたユールー作の'LIKWEYI' 、シェケン作の'EMILIE NA GABON''LUNDA MAGUY' 、それにめずらしくサックス奏者ムセキワが書いた'NABOYI BA PROMESSES' の4曲は、O.K.ジャズ時代を思わせる古い演奏スタイル。もちろん、ここにも例の“壁”はなく、すこぶる風通しがよくさわやか。
 レアル・マドリードじゃないが、権力と財力にモノをいわせて、優秀な人材を手当たり次第にかき集めた感さえ受けるゴージャスな演奏よりも、まだいくぶん牧歌的な香りを漂わせていたこういう演奏のほうにつよく惹かれてしまうのはわたしだけなんでしょうか?

 次回は、有能な若手ミュージシャンを喰いモノにしながらしぶとく生き残りをはかっていったフランコの悪行を中心に暴いてみたいと思います。



(10.15.03)
(5.12.06 加筆)



back_ibdex

前の画面に戻る

by Tatsushi Tsukahara